診察の日。
いつものデートと同じように公園を散歩し、昼食を取った後、天之橋は少女を連れて自宅まで戻ってきた。
それ自体は珍しくも何ともない、いつもの日常。
テラスでお茶を楽しみながら、主治医の到着を待って。
彼女に待ってもらう時によく使う、見知った小さなリビングに連れて行く。
「、です。はじめまして」
彼女が少し緊張して頭を下げると、老齢の医者は人なつこそうに目を細め、挨拶を返しながら悪戯っぽい表情を浮かべた。
「なるほど。あなたですか、坊ちゃんの大事な想い人というのは」
「え?」
「お噂はかねがね聞いておりますよ。いや、このようなお嬢様をいずれ奥様と呼べるかもしれないのは、私どもにとっても嬉しいことです」
「わ、私っ……あの、そんなっ」
少女が困ったように俯き、助けを求めるような視線を投げてくるのを横目に見ながら、天之橋は苦笑した。
「先生。いい加減に坊ちゃんはやめてください……40の男相手に」
「ん?お名前でお呼びした方がよろしいか?あの頃の大奥様を思い出されますかな」
ははは、という軽い笑い声に、少女は赤くなったまま『論点が違う』と唇を尖らせた。
それでも、彼の表情に辟易した色を見取って、少しだけ笑いたくなる。
おそらくいつもそうやってからかわれているのだろう。医者の物言いには、幼少の頃から彼を見守ってきたような馴れた愛情が見えた。
「では、お嬢様。そろそろ診察を始めてよろしゅうございますか」
「あ、はいっ」
しばらく歓談した後でそう言われた時にはもう、少女はすっかりこの医者に心を許していた。
◇ ◇ ◇
不安げな色の見えない彼女に安心して自室に引っ込み、天之橋はソファに腰を下ろした。
小間使いがお茶を運んでくるのに礼を言い、温かいカップに口をつけ。
ふと、彼女が淹れたものとは風味が違うのに気付いて、その違いが分かるくらい彼女のお茶を飲んでいるのだと思って息をつく。
「……………。」
何をするでもなくぼうっとしながら、天之橋はつい先日主治医と話したことを思い出した。
彼は、自分の祖父の代からこの家の主治医を務めてくれていた。
まだ若かったが、その頃から素晴らしい医者だったと聞く。医療技術より何より、彼は悩みを抱えた患者の心を労る術を知っていた。
幼少の頃には学校の愚痴や友人との喧嘩について、成年後には家族の軋轢まで、自分もあらゆることを相談したものだ。
どんな時でも、責められたことはなかった。
若気の至りで話を受け入れられず、怒鳴り散らす時期もあった自分の前で、彼はいつも穏やかだった。
忠告めいたことも言わず説教もしない、それでも最後には必ず心を落ち着かせてくれた彼に、天之橋は常に感銘と尊敬を感じていたのだ。
その彼が。
今までに見たことがないくらい厳しい目をして、『あなたは間違っている』と言った日。
「……………。」
ふう、とまた息をついて、天之橋は無意識に入口のドアを見つめた。 |