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 届かない言葉を君に 8 

天之橋は、サンルームの薔薇を愛でるでもなく、虚ろな瞳でただ見ていた。

あれから一週間。ほとんど一睡もせず彼女の事ばかり考えて、疲れきった体は足元から溶けていくようだ。
親子ほど年の離れた少女を、しかも学園の生徒を、愛してしまった自分。ずっと穏やかな時が続くと疑わなかった想いに。
下された罰は……自分を知らない彼女だった。

「………?」

ちいさな物音にふと、重い頭を上げる。
案内の小間使いに続いてサンルームに入ってくるのは、一週間前まで見慣れていた姿。

「おや……藤井くん。どうしたんだね」
彼はティーカップを持ったまま、力無く声を発した。
薄い笑みを浮かべてはいるが、目の下に深い影。
奈津実は小間使いに礼を言ってから、彼を眺めた。
「……何やってんの?」
「うん?……ああ。この時間はどうも……お茶を飲まないと落ち着かなくてね」
君も知っての通りと小さく呟いて、彼はつと目を伏せた。
いつも通りのスーツ姿。しかし普段の彼とは明らかに違う。
髪は無造作にかきあげられたまま。ワイシャツの袖のボタンは掛けられていない。
そんな様子の彼に、心は痛んだのだけれど。
どうしようもないことに、下手な慰めを言っても仕方ないから。
だから奈津実は何も言わず、本題を切り出した。

の事、なんだけど」
「ああ……聞いたよ。私に会うのが、怖いらしいね」
椅子の背に凭れて目も伏せたままの姿に不似合いな、穏やかな声がサンルームに響く。
奈津実はゆっくりと首を振った。
「アンタがどうしようと、アタシが口を出す事じゃない。でも、を苦しませたくないの」
「分かっているよ。……その為に、仕事にも行けないでいる……」
ハハ、と自嘲的に笑って、天之橋は天井を仰ぐ。
もう太陽が傾きかけている。残された時間は、あとわずか。

「アタシは……口を出したくない。どうすればいいのか、アタシにだって分からない。
 だから、事実だけ伝えに来たの」
「………?」
生気の薄い瞳が、ふと、彼女を捉えた。
その彼を、まっすぐに見返して。
「毎日毎日、はこの時間になると、誰かの為にお茶を用意し続けてる。今日も……さっきもよ。
 もう、空港に向かわなきゃいけない時間なのに、学校の給仕室で飲まれる当てのないお茶を淹れて」
「……え?」 
「それに、体育の時もトイレに行く時も、絶対にケータイを手放さない。覚えてもいない番号を、何度も押しかけては止めて」
「藤井…くん?」
「帰りは必ず昇降口で立ち止まって、誰かを待ってる。聞いても何故か分からないのに、瞳は上を見上げてるの」
「まさか………」
かちゃんとカップを鳴らして、天之橋は目を見開いた。
「彼女は……全て、忘れてしまったのだろう?」
「そうよ」
いっそさばさばした口調で、奈津実はそれを肯定した。
「あのコの頭はアンタを忘れた。けど、指が、瞳が覚えてる。
 空港にアンタを連れて行こうかって言っても、言葉では否定する。……でも、あのコの瞳は、今にも泣き出しそうで……」
心臓が痛くなるのを自覚して、制服の胸元を握りしめる。
「アタシにできることはもうないの。……だから、アンタに賭けることにする。
 このままをフランスに行かせるか、それとも……会いに行くか。
 どちらを選んでも、それで万が一どうなっても、アタシは、アタシだけは……アンタの行動を支持するから」
思い切るように一息に告げて、奈津実は腰を浮かしかけたままの彼を見据えた。
「アンタが、選んで。六時半よ」
それだけ言うと、奈津実は踵を返して出て行った。
ひとり残された彼は、呆然としてそれを見送る。

彼女が自分を待っていたなど、思いもしなかった。
いや、実際にそこに自分が現れても、彼女はまた逃げるように去ってしまうだろう。
頭が拒否することを、心が求めている。心が求めていても、拒否せざるを得ない。
そんな彼女に会いに行って、どうなるというのだろうか?

彼女を怖がらせることも、苦しめることも、嫌だった。一週間考え続けて出た結論は、このまま遠くから彼女を想うこと。それだけが最後に許されたことだと思った。
そうすれば、少女は遠い異国の地に行って、自分のことなど忘れて日々を過ごして……恋もして。17歳の女の子として、少なくとも自分といるよりは普通の倖せを手に入れることができるだろう。

けれど……。
もう少女が自分に微笑むことが無くても、例え煙たがられても。
ただの学園の理事長として、最後に顔を見て言葉を贈れたら。それだけは、自分の為に。


彼は静かに立ち上がり、サンルームを後にした。

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