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 memory 2 

一体、この人はどこまで知っているのか?
もしかして花椿から何か連絡が無かっただろうか?
帰ってくるのを待ちわびて勢い込んでそう聞くと、彼女はあっけらかんとして答えた。

「いいえ、全然」
「では、こうなった原因も…何も?」
「んー…そうねぇ……少し前にデザイナー仲間から、質の悪い芸能記者がこの業界の人間を狙ってるらしいから気を付けろって忠告されて、でもしばらくしたらそいつボッコボコにされて入院したって聞いてね…」
「ボッコボコ…って…まさか」
「どうかしらねぇ…でも花椿くん、三優の事になると見境ないっぽいじゃない?肋三本くらいイっちゃうと思わない?」
「そ……れは確かに…」

もしスクープを狙う質の悪い記者につきまとわれ、彼女の事を持ち出されたら。そして彼女に危害が及ぶかも知れないと判断したら、間違いなくあいつはキレる。それこそ肋三本で済んだのが幸いなくらい。

それで姿を消したのか?
しかし、自分が有名人である以上そういった事態も予測出来ていたはず。
彼女にも自分にも傷が深すぎるこの選択が最良だとは思えない。

では何があったというのか。
仕事は順調で、夏物のデザインに取り掛かっていると言っていた。
あれは、もう二ヶ月も前か?
そういえばそれから音沙汰が無かったので、少し気になって……。
まさかスランプで逃げた…とか?

「………………いやしかし」

それなら三優に別れを告げる必要は無い。
普段のアイツなら問答無用で地球の裏側辺りまで引っさらって行くだろう。
……普段?

一瞬グラリと視界が揺れ、嫌な汗が額を伝った。

「もしや……普通の状態ではない、と?」

相当ヤバくなければ…という三月の台詞が急に現実味を帯びてくる。
彼女は持ったままだった紅茶のカップを置いてため息をついた。

「そんな…それじゃあ尚更彼女を一人で行かせるべきでは……」
「いいえ、三優が行かなければいけないの。ここであの子が行かないと、花椿くんはもう終わりだと思うわ。デザイナーとしても…もしかしたら人間的にも」

きっぱりと言い放った三月の表情は、不安と憂いと強い信念がせめぎ合っているように複雑で、それ以上の異論を差し挟める余地はなかった。

 

◇     ◇     ◇

 

丸一日の強行軍を終え目的地に着いた彼女は、手紙を握りしめてそのドアの前に立った。
書かれてある部屋番号を何度も確認し、呼び鈴を押す。
応答は無い。
二度、三度、四度、五度………。
部屋の中で微かに物音が聞こえた。
ガタン、ドン、ドスンという何かにぶつかるような騒音の後、ドアが乱暴に引かれた。

っっっっ……!!」
「……こんにちは、花椿せんせい」

驚愕の表情を浮かべている花椿に、彼女が優しく微笑んだ。

「……………あらァ、お久しぶりね?何しに来たのかしら、呼んでないけど?」
「いいえ、呼ばれました」

やつれてしまった頬にばさばさの髪、身につけているのはジーンズだけ。
彼からも、部屋の中からも、強いアルコールと煙草の匂いが漂う。
少しだけ、滲んでしまった涙を見せないように明るく笑った。

「お邪魔しま〜す!夕日で湖が真っ赤になってキレイですよ?カーテン閉めてちゃ勿体ないです」

するりと彼の脇をすり抜けて室内に入った彼女は、澱んだ空気を追い出すようにカーテンと窓を大きく開けた。

「何するのよ、何でここが分かったの?呼んでないって言ってるじゃない!」

声を荒げる花椿にかまわず、彼女はテキパキと散乱している煙草、酒瓶をかき集めバスタブに水没させる。

「ちょっと、勝手なことしないでよ!もうアンタにお説教されるいわれはないわよ!?……それとも、襲いかかって欲しいワケ?」

ニヤリと笑みを浮かべた花椿が、威圧感を伴って壁際の彼女ににじり寄った。

「せんせい、わたしの事嫌いですか?」

穏やかな微笑みのまま、彼女が花椿に問いかける。

「……そうね、だ〜いっキライ。いつまでも彼女ヅラしないでよ、迷惑だから」
「せんせい、わたしの事嫌いですか?」
「は?だからそう言ってるでしょ?アンタ頭どうかしちゃったんじゃないの?」
「せんせい、わたしの事嫌いですか?」
「…………馬鹿にしてンの?いい度胸じゃない……」

すっと言葉の温度が下がり、花椿の指が三優のシャツの胸元に掛かった。

「せんせい、わたしの事、嫌いですか………?」

穏やかに笑ったまま、同じ声音で繰り返される質問。
カッとなってその指に力を込めようとした時だった。

………この子……震えてる?

制服のリボンが小刻みに揺れている。
そういえば、どうして制服を着ているのだろう?
ここは太平洋を隔てた別の国なのに、まるで学校からそのまま来たみたい。
プリーツスカートがしわくちゃになっている。
肌が乾燥している。
斜めに掛けている肩掛け鞄の隙間から覗いてるのは…………紅茶?
ハロッズのエンパイアブレンドの金色と緑の缶だ……!

すぅっと血の気が引いて、足元が崩れるような感覚。
気が付いたら彼女を、加減もせずに力一杯抱き締めていた。

「…せんせい…わたしの事…嫌い…ですか……?」

苦しげに途切れ途切れに聞こえる声が、初めて揺らぐ。

あぁ、どうして泣いているんだろう?
大切な大切な僕だけの三優が。
そうか、僕が泣かせたんだっけ…制服のまま来てくれたのに。
僕が一番好きな紅茶の葉を大事に鞄に入れてこんな所まで来てくれた。
それなのに酷いことを言って、怒って、怖がらせて、僕が僕がボクが………

「うっ……っく……あっ…く……」
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから……大きく息を吸って?………」
「……あっ…ゥ………僕がッ……」
「だいじょうぶだよ、ちゃんと息をして……ね」
「僕が……悪いんだ、ごめんなさ…っひゥ……スケッチブックくらいで怒らなきゃ…良かっ……うわあぁぁーっ…」
「分かってる、怒ってないから……だいじょうぶだよ」

いつの間にか膝をついて彼女の胸にすがりつき、泣いている自分。
涙を溜めながら優しく背中をさすり、頭を撫でてくれる彼女。
その光景を人事のように斜め後方から見ている感覚。
耳鳴りが酷くなった。
頭が痛くてボーっとする。
眠い。
眠い。
眠い……

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