「あぁ、ちょうどいい所に!三優ちゃんっ、花椿先生を引っ張り出してきて!」
いつになく騒がしい店内。スタッフ用の通用口から足を踏み入れた途端、チーフアシスタントに大声で呼ばれて、少女は凍り付いた。
「………はい?」
「締め切りに遅れそうになるといつもこうよ!頭が痛いだの、お腹が痛いだの、子供じゃないんだから!!
電話にも出なくなっちゃったら、私達が行っても門前払いだから!三優ちゃん、お願い!!」
「……何の騒ぎだね?」
今日も仕事を優先させるようであれば、きついお灸を据えてやらなくては。
そんな事を考えながら少女を学園から送ってきた天之橋は、面食らったように店内を見廻した。
休みの札が掛けられていた店内は、勿論客の姿はなく。
その代わり、雑然と散らばったデザイン画らしき紙切れと、作りかけの服を着せられたマネキン、はさみや裁縫道具などが所狭しと置いてある。
気色ばんだチーフとその様子を見比べて、そういえば例のショーがもうすぐだったなとようやく思い当たった。
少女は困ったような口調で、おずおずとチーフに言葉を返している。
「あの……でもわたし、花椿せんせいのおうちに伺った事がなくて……」
「天之橋さんっ!合い鍵持ってますわね!?三優ちゃんと行って、先生を連れてきて下さい!
明日の夕方までに仕上げないと間に合わないんですからーっ!」
「あ…あぁ、わかった、わかったよ。」
半ばパニックになっている声に追い出されるように背中を押され、店の外に出た二人の耳に、他のアシスタントに檄を飛ばすチーフの怒鳴り声が続く。
二人は顔を見合わせた。
「……仕方ない。じゃあ、行こうか?」
「は、はいっ!」
緊張した表情の少女に微笑しながら、天之橋はもう一度ハンドルを握った。
◇ ◇ ◇
ピンポーン…ピンポーン……
高級マンションの最上階。
ひとつしかないドアの前で、しばらくインターホンを鳴らして待ったが応答はなかった。
「車があるから、いることは間違いないんだが……やっぱり逃げているようだね。」
天之橋は少女にスペアキーを握らせ、戸惑う彼女にウインクした。
「花椿……せんせい?……お邪魔しても、いいですか?」
「そんな蚊の鳴くような声では聞こえないよ?」
天之橋にそう言われながら促されて、少女はおずおずと室内に歩を進める。
「……花椿せんせい?……」
アトリエらしき部屋にも、リビングにも姿がない。
リビングから続く廊下のドアを一つ一つ開けていき、一番奥の突き当たりの部屋の前に来た時だった。
「………?」
何か物音が聞こえた気がして、少女はおそるおそるノブに手を掛けた。
「花椿せんせ……?花椿せんせいっっ!天之橋さんっ、来て下さい!!」
部屋の中には店と同じくデザイン画が散らばって。
その奥の大きなソファに倒れ込むように横になっている、彼。
悲痛な少女の叫び声を聞いた天之橋が、部屋に飛び込んできた。
「……あぁ、熱が高いな……」
何とか移動させようと小さな手が引っ張る横から、グンと持ち上げてベッドに運ぶと、泣き出しそうな彼女に声を掛ける。
「心配しなくて大丈夫だよ、私の家の主治医を呼ぶから。……こいつは毎年冬になると必ず風邪を引くんだ。
迎えに行った方が早いから少し席を外すが、その間、付いていてやってくれるね?」
頷くが早いか、少女はその辺にあったタオルを持ってキッチンに駆け込んだ。
◇ ◇ ◇
うぅ……体中痛いわ熱いわ……誰か、手握ってる?あぁ、夢見てんのねきっと。
「………椿せんせ…花椿せんせいっ……」
泣いてる……三優?アイツが何かしたのね。泣かないで、アタシが一鶴をとっちめてやるわ。
「……み、ゆ……?」
「花椿せんせいっ……!」
重いまぶたをやっとの事で開けると、ぼんやりした視界の中で、ぽろぽろ涙をこぼしながら自分の手を握る少女。
見慣れた自分の部屋の景色に、いるはずのない姿に、力無い笑いが漏れた。
ああ、前にもこんな夢見て、慌てて飛び起きたっけ。
「あー……幻覚が見えるわ……もう、ダメねー、気付くと三優のことばっかり考えちゃって」
「花椿せんせいっ……大丈夫ですか?わたしのこと、わかりますか!?」
「わかるわよ。目が見えなくても、耳が聴こえなくなっても、あんたの事だけはわかる自信があるわ。
……あら、しゃべるのね、この幻覚。寂しい夜に便利だわ~。」
「せんせい……」
熱に浮かされているんだと思ったら一層不安が募り、少女の瞳からまた涙がこぼれた。
「あー、泣かないで……まったく、一鶴は何してるのかしら?三優がアタシのモノなら、絶対こんな風に泣かせたりしないのに。
……ま、こんな夢を見ている事自体、片想いの典型的な症状だけどね。」
何とか身体を動かして、少女の頬に伝う涙を拭う。
その手にちいさな手を重ねて、少女が頬を寄せた。
「しっかり、してくださいっ……わたし、ここにいますっっ……」
「そう、いるの……だって触れて…触れて?………触れて……えぇ!?!?みっっ三優ぅっっ!?」
跳ね起きようとしても力が入らず、僅かに上体が起きただけだったが、彼の意識は完全に覚醒した。
「な、な、な、なんでいるのよーっっ!!?」
「ダメです、寝てないとっっ!熱が三十九度もあるんですよ!?」
力の入らない身体は少女に簡単に押し戻され、落ちたタオルの代わりに冷たいタオルが額に乗せられる。
「………そ、そうね、そうよねっ。あぁあ~熱が高くて~……なんだか変な夢を見たわ~。何にも覚えてないわ~。」
矛盾したことを言いながら、羽毛布団を頭まで引っ張り上げて、熱のせいではなく紅潮している顔を隠し寝返りを打った時。
今、一番聞きたくない声がドアの方から響いた。
「私が……何だって?」
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