翌日も朝から任務に就いていた俺の目に、信じられない光景が飛び込んできた。
小さな人影、風に翻るドレス。
誰もが息を飲んで自分を振り返った。
身体が鉛の様に重い。
ライフルを持つ手が軋んだような音を立てた。
『先輩、俺が信じられるか?』
突然、インカムから彼の声が響いた。
泣きそうになりながら声を張り上げる。
「イエッサー!」
『オイオイ、アンタにしか聞こえてないんだよ…上官を、じゃなくて俺を信じられるかって聞いたんだぜェ?』
「それも、イエッサーだ!どうすればいい!?」
『……ククク…合図から三十秒だけリモコン電波を抑える、その間に走れ。……3、2、1、ポチッと』
邪魔なライフルを投げ捨て、猛然と走り出す。
事情を知らない他の隊員が呆気に取られる中、一人だけ慌てたようにポケットを何度も押さえている者が居る事を視界の隅で確認した。
脅えて固まっている少女を抱き上げ、ぬいぐるみをその場に置いて全速力で走り出す。
火事場の馬鹿力なのか、それとも昨日飲んだクルルの薬のせいなのか。
この時の俺の100メートルのタイムは、計っていたら多分ケロンピックものだったろう。
ドーピング検査でメダル剥奪も十分あり得るが。
タイムリミットが過ぎ、昨日と同じ爆発の煙と破片から、少女を抱き込んで守る。
遠く響くこだまも消え去った後、後ろにソーサーの気配がした。
振り返らずとも誰だか分かる。
「うさぎ…あたしのうさぎが〜……」
「あぁ、スマンな。このおじちゃんが同じ物をプレゼントしてくれるから。…それより、お母さんの所へ連れていってやるぞ?」
「……オイ…オッサンそれはまさか俺様の事じゃねェだろうな」
ぐすぐすと泣き出しかけた少女がお母さん、と聞いて目を輝かせた。
「ほんとに?」
「本当だ。お母さんがどこに居るか分かるか?」
「ムシすんなこら、アンタの方がオッサンだろが」
少女が指さしたのは遠くに霞む悪の城だった。
クルルが心底楽しそうに真っ黒な雰囲気を漂わせた。
「さぁて…いっちょイキますかねェ〜…ククク……」
「……二分待て」
先程視界の隅で確認したあの男は、逃げようとした所を既に機動隊員に取り押さえられていた。
その目の前に立って見下ろし、抱いている少女が怖がらない様に出来るだけ静かな声で言う。
「……この子がいなければ射殺していた。感謝するんだな」
「ひっ………ィ……」
「先輩、早く片づけちまおうぜ〜久々にかな〜りキテんすけど?」
「ああ………そうだな」
「エロ休暇も待ってるし?」
「承諾した覚えは無いぞ」
「うそ〜〜ん……」
すくみあがった男を隊員達に任せて、血がたぎるのを感じながらクルルのソーサーに乗り込んだ。
城の近くまで来ると、ソーサーの防護フィールドが、矢や弾丸、石などを次々と跳ね返し始めた。
少女が乗っているのを見てどよめき、敵意を剥き出しにした群衆の前にゆっくりと着陸する。
「ミルリ!!ミルリっっ!!!」
一人の女性が飛び出して来た。
今はまだ敵である我々の元に、臆する事無く走り寄って来る。
「お母さん!」
少女を離すと一目散に母親の胸に飛び込んだ。
群衆の視線が一心に注がれる。
「ミルリ、どうしてっっ……子供は城の奥に避難させるって…」
「あのね、教祖さまがね、うさぎのお人形とドレスをくれたの。それでおつかいにいってきなさいって、このおじちゃんたちのところに。そしたらお母さんとお父さんはおふせしなくていいんだって!」
「ま……さか…」
「でもね、いったらおじちゃんがミルリをだっこして走って、そしたらうさぎがどかーーーんって!ミルリびっくりしちゃった」
かん高い少女の声が、いつの間にか自分達を取り囲んだ群衆のざわめきを誘う。
クルルがモバイルを操作して先程の映像をフォログラフィーで上映する。
「我々は侵略者ではない!宇宙警察と共に、教祖を逮捕する為に来た!あなた方に手荒な事はしないと誓う、どうか道を開けて欲しい!!」
俺が大きな声で叫ぶと人々の顔に戸惑いの色が浮かぶ。
群衆がどうするか決めかねている様子で囁き合っていると、ミルリを抱いた母親が頭を下げて言った。
「この子を助けてくれてありがとう……あなた達を信じます」
「……待て!信用させようとして今だけ巧い事を言っているのかも…第一その爆発物は奴らが渡したのかも知れないじゃないか!」
「そうだ!子供を脅すのは簡単だからな、自作自演かも知れない。後でどんな目に遭わされるか…」
「いいえ!この方達の言っている事は本当です」
母親が決然と言い放った。
「もし脅されていたら、この子がこんな顔で笑えるはずがない。この方達から逃げ出そうとも隠れようともしていない。……でも、あの男ならやりかねないのよ!何が理想郷よ……ミルリは殺される所だった!!」
「しかし……もしそうだとしても、私達が寝返ったら他の子供達はどうなる?城の奥にいるんだぞ!?」
再びざわめきだした群衆を前に、クルルがニヤリと笑った。
「アンタ達は俺達を捕まえて、教祖に突き出せばいい。後はこの人に任せて、防護フィールドを張ったままガキんとこ行って固まってろ。天才の俺様が作ったんだから城が落ちてきてもビクともしねぇからよ」
「一人に任せるだって!?絶対に無理だ!!教祖の側には常に精鋭部隊が…」
「何人だい?」
「二十人以上だ!」
「それなら一人一分で二十分てトコかなァ〜?」
「十五分だ、行くぞ」
後ろ手に緩く縄を掛けられて城の奥に連行され、教祖の前に手荒く引き出される。
豪奢な玉座にだらしなく腰掛けた教祖は、前に平伏す民に下卑た笑いを向けた。
「おお、奸賊めを捕らえたか?重畳重畳!」
「教祖様、お願いがございます…教祖様の元でお守り下さっている子供達に、一目だけでも会わせて頂けないでしょうか……?」
「ん?…ふむ、手柄を立てた褒美に特別に許すぞ。行って参れ」
「有り難うございます!」
民が急ぎ足で城の地下に消えた後、教祖がこちらに向き直った。
「……お前達のしている事は神に背く事なるぞ、分かっておろうな?……さて、ヒッヒッ…どうしてくれよう…」
「……貴様の信ずる神とやらは、子供に爆弾を抱かせて人を殺せと言うのか!?」
「…はぁん、あの汚い子供か…綺麗な格好で死ねて幸福であろ?しかも我を守るため働き、神の元へ行けるのだからな」
ヒッヒッヒ、と嘲るように笑う声に、忘れかけていた吐き気が戻ってきて目の前が真っ赤に染まる。
「………キ サ マ……許さん!!!」
ブツブツと糸の様に縄を切ると、両側に控えていた体格の良い者達が武器を構えて立ちはだかった。
その高い厚い壁の向こうから、さも楽しげな甲高い声がますます吐き気を煽る。
「下がれ無礼者めが!楯突くと他の子供の命も無いぞ?……お前達の様な珍しいモノを殺すのは楽しくて仕方ないわ。オイ、殺すなよ!我が直々に正義の罰を下すのだからな!!ヒ〜ッヒッヒッ………ひっ?」
ベルト裏のナイフが閃く間に、一飛びで前の壁三人が倒れると、そのヒキガエルの様な笑い声が引きつる。
続いて青竜刀を大きく振りかぶって来る二人を、真上に跳んで相打ちさせ、空中で手榴弾のピンをくわえて引き抜く。
四、五人固まっている場所に投げてから短銃で撃ってそれを爆破。
バラバラと破片が落ち、充満する煙が晴れた時には、身長だけでもケロンの三倍はある敵兵は全員足許にうずくまっていた。
「……なっっ……オイ!何をしておる、起きろ、起きんか!!栄えある我の精鋭部隊であろ!?いくら掛けたと思っておるのじゃ!?!?」
足許の兵士の頭をガツガツと蹴り付ける教祖の額に、赤外線スコープの標準をゆっくり合わせた。
「ヒヒィィィ〜〜!!ゆ、許してくれっ…我が悪かった、悔い改める!!宝物庫にも自由に入り持っていくが良い!……だから、な?」
「ギロロ伍長、銃を下ろせ」
教祖の隣に立ったクルルから静かな声で命令が下った。
俺は迷わず銃口を足許に向ける。
「……アンタはこんな所で死ぬ様な人間じゃない、そうだろォ?安心しなァ、ちゃ〜んと守ってやるからよ」
「おお、お前は我の信者か?うむ助かったぞ、肝を冷やしたわい」
「国民を解放出来ればアンタの身柄は任せると、宇宙警察と話がついている。適当な死刑囚をアンタだって事にして処刑したら終わりだ…容易いモンだぜェ?」
「そうか…!それで合点がいったぞ。我の精鋭部隊に生きておられては我が生きている事がバレてしまうからな…なかなか頭の回る男じゃ、気に入ったぞ」
生きていられる、その事に舞い上がっているから気が付かないのか。
それとも最初からそれに気付ける程、場数を踏んでいないのだろうか。
クルルの周囲は暗黒の闇。殺気がビンビンと伝わってくるというのに。
死んだ方がマシだという目に遭わされるんだろうな…。
同情する気はさらさら無いが、嬉しそうにクルル専用機に乗り込む男が哀れに見えてきた。
一見静かに見えるが、クルルは俺が知る限りでは、間違いなくブッちぎりで一番怒っている。
その後、教祖がどうなったのかは知る由も無い。
きっと知ると夢見が悪いから知らない方が幸せなのだろうな。
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