「わあぁ……!」
感嘆の声をあげて、は思わず駆け出した。
赤、白、黄、色とりどりの花々。ピンクをベースにして広がる花の絨毯の中で、嬉しそうにはしゃぐ彼女はまるで……。
「……まるで、花の妖精のようですね」
「え? 何か仰いました?」
くるりん、とスカートを翻して、少女が振り向く。
キールは咳払いして目を逸らした。
「……いえ。なんでもありません」
「??」
無邪気に見つめる視線が痛い。短い息をつき、彼は再びの方を向いた。
「学習や育成は、いかがですか」
「え?……ええ、まぁ」
生返事をしながら、彼女の注意は完全に足元へ行っていた。ひときわ美しい淡いピンクの花を摘もうとして、その指を止める。
「……順調なのですか?」
重ねて問うと、はやっと顔を上げた。
「ええ。最初は要領が判らなくてレイチェルにハートを取られっぱなしだったんですけれど、この一ヶ月位でなんだかどんどん発展しちゃって……いつのまにかレイチェルよりたくさん星ができていて。
安定度なんて40を越えてしまっているんですよ」
すごいですよね、とほけほけ言う彼女に、驚いたのはキールの方だった。
『なんだか』?『いつのまにか』?……そんなとぼけた態度で、天才少女の誉れも高いあのかたに優っているのか?
「きっと……もうすぐ、試験は終わります」
ハッとして見ると、穏やかなの瞳に、確固たる『意志の強さ』が映ったような気がした。
「惑星は満ち、宇宙は安定期に入ろうとしています。
どちらが女王になるのか判りませんけど、今までの功績と才能をみればレイチェルですよね」
嫌味とかひがみとか、そういった負の感情を感じさせることなく、は花々を愛でている。
ほんの30分前なら、少なくとも心中では大きく頷いていただろうキールは、だが本気で言葉を返した。
「し、しかし、惑星は様の方が多く創られているのでしょう?」
「ええ、でも、単純に星の数を競うだけの試験とは思えませんし……それに、私は女王として失格かもしれないから」
「は?」
よく聞き取れなかった台詞を尋ねる前に、少女はふわりと微笑んだ。
「守護聖さまや教官のみなさまとピクニックしたり、お散歩したり、お茶会に呼ばれたり。
遊びに来たのではないと判っていてもそのひとときが楽しくて、……試験がずっと続けばいい、なんて考えてしまうんです。
女王候補として、失格、ですよね」
明るく振る舞うの声が、心なしか震えている。
キールは一瞬にして悟った。 彼女は、誰かに恋をしている。
自分が女王になってもならなくても、そんなことはどうでもいいくらいに……だれかを、愛しているのだ。
もしも選択の余地を与えられたらきっと、は女王よりその人を選ぶのだろう。人からは曖昧に見える笑顔を浮かべて、他人には軽率に聞こえる答えを返す。
だがそれは決して世間知らずの子供のわがままではなく、周りに与える影響も自分の気持ちも考え抜いてのことに違いない。
恋だの愛だのとは縁のない軍人の自分が、何故そこまで見通せてしまうのか、その時のキールには判らなかった。ただ、この少女が思っていたような頼りない女王候補ではないということだけは、彼の脳裏にはっきりと記された。
「……あなたが思い悩んで出した結論なら、きっと認めてくださいますよ。
女王陛下も、……他の方々も」
ぱっと目を上げたに、キールはさっきの薄桃の花を手折って差し出した。
「………ありがとう………」
少女の呟きが、耳にも心にも心地良かった。
そして、花畑から歩いてくる二人と、青年が持っていた花を少女の髪に挿すシーンを学芸館の二階から見てしまった彼もまた、己の想いに気付かずにはいられなかった。
自らの部下と女王候補の姿を見下ろした瞳が、苦痛に歪む。苛立たしい感情が、胸の奥から湧き上がってくる。
ガッと窓枠に腕を打ちつけて、ヴィクトールは拳を握りしめた。
考えすぎだと思っていた。職務を全うしたいから熱心になっているだけだと思って……いや、そう“思い込もうと”していた。
「…………!」
嘘だと思いたかった。自信を失ってしまった自分を、わざわざ招聘してくれた女王陛下。初めて目通りした時、『あなたに救われた人も大勢いるはずよ、彼女たちもきっとそうなるわ』と耳打ちしてくれたその御心に、どう応えれば良いのか。
女王候補を教え導く立場の自分が、そのにこんなにも心を奪われるとは……!
一介の軍人である彼には、この想いは身分違いのものに思えて仕方なかった。
しかも、彼女とは一回り以上も年が離れていて、下手をしたら親子といっても過言ではないのだ。
それら全ての条件が、ヴィクトールに感情を抑えさせる方向へ働いた。部屋でも湖でも、常に言動に注意していたはずなのに。
少女が愛らしい笑顔を向けるのは自分ひとりではないと、そう言い聞かせ続けたはずなのに。
なのに、この憤りはなんなんだ!?
心臓を締め付ける、悪夢の様なこの苦しみは!?
「畜生!!」
両手を机に叩き付けると、水の入ったグラスが落ちて不協和音を奏でた。
「どうして、何故、こうなってしまったんだ!?
他人をねたむような、ましてや部下の恋路を羨むような男ではなかったはずだ!」
ギリッと噛み締めた唇から、赤い血が流れた。
わかっている……本当は判っているのだ、自分がを愛してしまっていることを。女王の信頼に応えることより、彼女を想う気持ちのほうが深く強いことも。
だが、彼女に愛を告げて、受け入れてもらえなかったら……?
不安は確信となって、重くよどむ澱のように彼の心を満たしていた。
が自分を愛してくれるとは思えなかった。彼女にとって自分は、面倒みの良い相談役の教官でしかないのだろう。
もっと年が近くて話の合う利発な若者こそ、彼女に相応しいに違いない。
……例えば、キールのような。
手を振って別れるふたりを眼下に見、ヴィクトールはきつくまぶたを閉じた。
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