あんなことを仰っておられたが、きっと何かある。
自分に与えられた執務室で、キールはため息をつきながら物思いにふけっていた。
何か、ヴィクトールの気持ちを乱すことがあったはずだ。そしてその原因であろう人物の名も、彼には半ば予想がついていた。
女王候補。きっと彼女が学習をしに来たのだろう。
候補としての彼女は、実際キールにとっても好ましいとは思えなかった。
性格が悪いわけではないのだが、何というか、惑星を創るよりパンケーキを作っていた方が似合うような、そんな頼りないところがある。
あんな幼い子供のような弱々しい態度で試験がつとまるのかと、時折かいま見る程度の彼はそう思う。もっともそれはあくまで『候補として』見た場合であって、『女の子』としての彼女は儚げで繊細な愛らしい少女なのだが。
そう考えてから、キールはふと気付いて頭を振った。
……彼女の成績が気分を害するほど悪いのかどうかは知らないが、が訪れたあとヴィクトールの気分が急降下するのは確かだった。
それなら、彼を崇拝する自分としては彼女をなるべく近づけないようにするしかない。彼が任務を最優先にするように、自分にとっては上官が何より大事なのだから。
それを改めて心に留めて、キールはペンを取り上げた。
そのとき。
部屋のドアが、ノックされた気がした。
「…………?」
思わずそちらに目をやる。だが、誰かがいる気配はない。
気のせいかと視線を戻した彼の耳に、今度はさきほどより大きく、だが到底はっきりとは言えないノックが聞こえた。
「はい。どうぞ」
ドアが完全に開いたのは、かなり時間が経過してからだった。
「…………なにか?」
問いかけはワンテンポ遅れたが、返答はさらに遅れていた。おずおずと入室して来た少女は、何を言おうか迷っているような曖昧な顔をした。
「なにか、御用でしょうか」
びくっとドアの陰に隠れて、上目使いに彼を見る。
「………あの…あの、ヴィクトールさまが……」
おびえたような様子を見て、キールは自分が厳しい表情をしていることに気付いた。あわてて居住まいを正し、立ち上がる。
上官にとって好ましくない相手でも、女王候補は女王候補なのだ。礼に欠けるようなことがあってはヴィクトールの威信にかかわる。
「閣下が、どうかされましたか?」
打って変わった丁寧な対応にほっとして、少女は言葉を継いだ。
「……このあいだお借りしにうかがった本が、こちらにあるかもしれない、と仰られていたので。
次までに探しておくと言われたのですけど、お手数をお掛けしてはと思って……」
ぽそぽそと小声で言う彼女に緊張の色を見取って、キールは思わずため息をつきたくなった。
たかが教官のお付きの者に対してここまでカチカチになる必要はないし、第一、『次までに』と言われたのならもう探してあるとは思わないのだろうか……。
そう思いながらやっと衝動をとどめると、キールは書名を聞き、書棚の隅にあったそれを手渡してやった。
すると少女は、初めてはかなげな微笑みを浮かべた。
「ありがとう、ございます」
「……いえ。……閣下のところへ、行かれるのですか?」
「え?ええ。この本をお借りするだけだったのですけど」
はにかむような台詞が、めまぐるしく考えていたキールの背中を押した。
「よろしければ、散歩でもご一緒しませんか」
言った瞬間に後悔する。いくらヴィクトールに近づけないためとはいえ、唐突にこんなことを口走って変に思われただろうか。
少女は驚いたようにこちらを見ている。
「いえその、今日はとても良い天気ですし、学芸館のすぐそばに美しい花苑がありましたので。
……しかし、女王候補殿はご多忙ゆえ、そんな暇はございませんね。失礼しました」
急いで取り繕う彼に、少女はふいにくすりと笑って頷いた。
「素敵ですね、ぜひ!」
「え? しかし、女王候補殿……」
「と呼んで下さい。こちらこそ、お仕事のおじゃまではないのですか?……えっと、」
口ごもった少女の意図を察して、キールは戸惑いながら応えた。
「……キールと、申します。様」
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