ヴィクトールは、いつになく苛立っていた。
もう何回席を立ち、落ち着かなく室内を歩き回ったろう。
何度、忌々しげに舌打ちをしただろう。
その態度は、もっとも信頼する部下の前でも変わらなかった。彼に心酔している部下は、無色に近い水晶のような瞳を見開いて無言だった。
彼の知る限り、ヴィクトールが他人の、しかも自分などの前で取り乱したことは皆無であったから。
士官学校を首席で卒業したころ、ヴィクトールはすでに生粋の軍人だった。
目上の者には礼儀正しく軍規を守り、目下の者には厳しいがいざという時には頼りになる上官として、特に平民階級の士・下士官に良く慕われていた。
彼が派遣軍として辺境の惑星に赴き、そこで部下の全員を失ってなお、彼を非難するものはいなかった。
下の者たちには判っていたのだ、ヴィクトールがひとり身の安全を図ったのではなく、部下が進んで盾となったのだと。そして、自分がそこにいたら同じことをしただろう、と。
むしろ彼らは、それによって自分を責め続けるヴィクトールの身を案じた。
だから、将軍の位を持ちながら佐官の軍服を着て閑職を望んだ彼が、女王試験の協力を要請されたとき、同行したがる者は大勢いた。
だが彼が許したのは最後に残った直属の部下、あのとき伝令として惑星を離れたキールという名の若者だけだった。
ヴィクトールとともに生き残った若者もこれまで幾度となく後悔の波に呑まれたが、死んだ同胞に報いるには上官に忠誠を尽くすしかないと考えた。
全くそうするしかなく、そしてそれは元々彼の人生の目標でもあった。
その彼が、何やらうろうろと部屋を往復している。
キールは半ば呆然として上官を見つめ、ややためらって話しかけた。
「あの……、閣下。何か、お気に触ることでもありましたか?」
決して大きくないその言葉に殴られでもしたように、ヴィクトールは思いきり振り返った。
「………あ、ああ。いや、なんでもないんだ」
どうもそうは見えない。キールは差し出がましいと思いつつ言葉を継いだ。
「しかし…、何か落ち着かないご様子です。もし小官の浅才がお役に立てるのでしたら、何なりと仰って下さい」
「ありがとう。心配をかけてすまんが、本当に何でもないんだ。
慣れぬ聖地で少し疲れたのかもしれないな」
にこりと気さくに笑い掛けられて、キールもようやく頬を緩めた。
「連日書類整理などなさるからですよ。
そんなものは小官にお任せくださればよろしいものを、残業までなさって……。
昼間は女王候補の方々の授業がございますのに、お疲れになるのも当然です」
つい長々と出る言葉にヴィクトールは苦笑し、椅子にどっかと腰掛けた。
「まったく、本当におまえは心配性だな。俺の世話女房にでもなるつもりか?」
「な! 何を言っておいでですかっ、私はただ……」
「俺の身を案じてくれているだけなんだろう? だから世話女房と」
「ヴィクトール様ッッ!!」
叫んで、キールははっと口をつぐんだ。心なしか顔が熱い気がする。
「も、申し訳ございません、閣下。……では小官はこれで」
そう言うと、何か言いかけた上官をかえりみず彼は部屋を出た。
押し殺された笑いを背に受けながら。
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