『 珪くん!?』 
 
心底驚いたような、その声に。 
ドアを開けかけた手が、ぴたりと止まった。 
 
 
『どうしたの?ココ……』 
『ああ。……藤井に、聞いた』 
『なつみんに?』 
『ああ。おまえのコーヒー、最近飲んでないから。』 
 
外から聞こえてくる声を、ドアにもたれかかりながら盗み聞く。 
間違いない。 
この間、彼女の携帯にメールしてきた、“高校の友達”だ。 
それなら、俺が卒業式で彼女をかっさらったことは知っているはずなのに、わざわざ奈津実ちゃんに聞いてまで押しかけてくるということは。 
俺は思わず、くすくすと笑った。 
 
それは、当然 臨戦態勢、ということだろう? 
 
『……久しぶりだな。水結』 
おやおや。メールでも見たけど、呼び捨てですか。人の彼女を。 
『そうだね。……あの。ごめんね、こないだ……ひどいこと言っちゃって』 
彼女は、俺がなりすまして打ったメールについて詫びる。 
『……あれ。本当におまえが?』 
『えっ!?う、うん、もちろん!』 
もしもし。気を遣ってるようで、それはフォローになってないよ? 
『……そう、か。……いい。俺も、無理に誘ったから』 
かなり、傷ついてる声音。 
それが分からない彼女はやっぱり、若いというか……鈍感というか。 
 もちろん。俺にとっては、好都合だけれども。 
 
俺は身体を起こすと、ドアノブに手をかけた。 
 
 
「みゆうちゃん。ごめんね、任せちゃって」 
「あ、マスターさん……」 
少しびくりとして、彼女は俺を見る。 
「あれ?友達?」 
わざと驚いたように言うと、彼女は慌てて頷いた。 
「あ、そうなんですよ。高校の同級生で、葉月珪くん。 
 こっちは、ここのマスターさんで、益田義人さん」 
「よろしくね」 
にこやかに笑いながら、俺は彼を観察する。 
 
色素の薄い髪。暗緑色の瞳。整った容貌。 
どう見ても、学園のアイドルでしたってなりをしている。 
その瞳が、彼女の俺に対する呼び方を聞いて少しだけ細められたことに、気づかない俺じゃない。 
気づいてないのは、ニブい彼女だけ。 
 
「じゃあ、みゆうちゃん。メニューお渡しして」 
「あっ。ゴメン、忘れてた。じゃ、窓際の席にどうぞ」 
ぺろりと舌を出し、カウンターの脇からメニューを取り出す。 
ぱたぱたとカウンターを出てオーダーを取りに行く彼女に、俺は夜営業の準備をしながら言った。 
「あ、みゆうちゃん。こっちは大丈夫だから、友達と話してきたら?」 
「えっ……」 
彼女は足を止め、振り向いた。 
俺は少し首を傾げて言う。 
「えっ、て……久々に会ったんでしょ。こないだは俺の所為で遊びに行けなかったんだし。 
 今は忙しくないから、お話ししておいで」 
「………」 
彼女は、複雑そうな表情をしてこちらを見ている。 
俺は笑いをかみ殺しながら、再び仕込みにかかった。 
 
「水結。……あそこの席、座って良いか?」 
「あ…、うん。どうぞ」 
彼は戸惑っている彼女を促し、自分の座った前の席に座らせた。まぁ、それが常套手段だろう。 
あからさまに俺を敵視してはいないけれど、意識していることを隠せない態度。 
彼女と同じで、若いな、と俺は思う。 
それを非難する気も軽んじる気もないけれど。 
本当に余裕があるかどうかは別にして、恋敵を目の前にしてそんな態度を取っているようでは、彼女の心を揺さぶることは出来ない と思った。 
「もちろん。それを望んでいる訳じゃないし、簡単に持って行かせもしないけどな」 
グラスの種類と数を確認しながら、俺は小さく呟いた。 
 
 
「 こんにちは」 
カランカランとドアベルを鳴らして、常連さんが入ってくる。 
「いらっしゃい。あれ?」 
俺は客の姿を見て声を上げた。 
バーの時間に度々訪れてくれる客だが、いつも彼氏と一緒で、ひとりで来ることはめったにない。 
以前、一度か二度ひとりで訪れたときは、彼氏とケンカをしたとかで憂さ晴らしに来たと言っていた。 
商売上、そしておそらく俺の性格上、そんなふうに相談を持ちかけられることは多い。だがそれにしても、あまりのタイミングの良さに苦笑しながら、客にカウンターの席を勧めた。 
「久しぶり。どうしたの?また話をしに?」 
客は笑って手を振る。 
「アタリ。よくわかるわね」 
「そりゃ、ね。前もそうだったし。いつものやつ用意するから」 
彼女の方は見ない。見なくても、こっちを気にしているのは分かるから。 
 
「……水結?どうか、したか?」 
「えっ?う、ううん!なんでもない!」 
 
なのに、そんなお約束な声が聞こえてきて、思わず笑いがこぼれる。 
「はい、どうぞ。……ねぇ、今日はどうしたの?また、俺に(彼氏の)話を聞いてほしかった?」 
「そうそう。どう考えても、あなた以上に(彼氏のこと)相談できるひといないもの。 
 でも、今日は良いの!ここって雰囲気いいし、大事な人との思い出の場所だから、その時のこと思い出したらグチるのも馬鹿らしくなって来ちゃった」 
「ああ。あの(彼氏と来た)クリスマスのこと?そうだね」 
上手く内容をぼかすと、俺がここでこの客とクリスマスに思い出を作ったようにも聞こえる。 
他の奴には効かなくても、彼女になら確実に効くだろう。 
内心そう思いながら更に二言三言、言葉を交わし、客はコーヒーを飲み干すと代金を置いて帰っていった。 
 
その時。 
「……じゃあ、珪くん!オーダーはコーヒーだけで良いんだね?」 
少し響く声で、そんな言葉が聞こえた。 
ピクリと反応して、こっそり窺うのではなくまっすぐに彼女を見る。 
彼女は目の端でこちらを見ていたが、慌てて俯いた。 
 
「……みゆうちゃん?」 
感情を出さない声で、俺はいつも通りに彼女を呼ぶ。 
「は、はい!」 
返事をして立ち上がった彼女に。 
「ゴメン。夜時間になる前に、倉庫の在庫整理、手伝ってくれないかな?」 
そう言って、俺は先に通用口から中に入った。 
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