|  『はね学』のクリスマスパーティは、三年に一度スキー合宿を兼ねてはばたき山のロッジへ場所を移す。会場が学園の多目的ホールだった一昨年と去年は開始時間ギリギリまで手伝っていた彼女も、今日は学校が終わってすぐにそちらへ向かう為、欠勤している。
 ただでさえ忙しいこの日にバイトの彼女が一人抜けたアンネリーは正に戦場と化していた。
 自分が彼女より三つも年上なのを、またも恨めしく思いながら、一日中ひっきりなしの電話と配達に追われて。
 いつもは七時に店じまいの花屋も、シャッターを下ろしたのは九時過ぎ。
 それでも未だ繁華街は賑やかなクリスマスソングとツリーのイルミネーションに彩られ、目が回るほど忙しかったのが懐かしいほどの孤独感を彼に与えていた。
 
 「あ〜あ…カップルばっかだな。当たり前だけど」
 
 いつもは花屋の駐車場の片隅にとめる彼の車も、この日はそこにいることが許されず、少し離れたパーキングに置かれている。
 その車までの時間を、真咲はキィを弄ぶ事と独り言で乗り切ろうとしていた。
 
 「………優月楽しんでっかなぁ」
 
 街中の狭いパーキングに車の影が見えて、ロックを外す準備にキィをくるりと持ち直してまた独りごちた時だった。
 
 「今から楽しもうかなぁと思っているところです」
 
 自分の車にもたれている、ここにいるはずのない彼女を見て、彼は唖然として固まった。
 
 「真咲先輩、お疲れさまです♪」
 「……………は!?…はぁ!!?」
 
 笑ってこちらに向き直った彼女の高いヒールブーツの踵が、歩道のコンクリートでカツンと響く音を立てた。
 紅のビロードのミニドレスの上に黒いロングコートを羽織ってポケットに両手を突っ込んだ彼女。
 髪はアップにセットされ、足元は目の粗いストッキングに膝上までの華奢なブーツ。
 そして、パーキングの薄暗がりでも分かる艶やかな赤い唇。
 声は彼女のものなのに、別人のような雰囲気を纏わせにっこり笑った。
 
 「……お…おまえ…っっ……何してんだ!?学校は!?…ってかいつから居たんだ!!?」
 「ええと、学校のパーティはサボりです。一時間くらいしか待ってませんよ?」
 「サボ………サボりって………おまえ、バカか!!」
 「声が大きいですよ先輩〜怒鳴らないで」
 「怒鳴りもするわ!!……ハァァ〜…お説教は後だ。今からでも送ってくから、乗れ」
 「イヤです」
 「……怒るぞ?……乗 り な さ い 」
 「 イ ヤ で す 」
 
 ツンとそっぽを向いた彼女に、彼が盛大にため息を吐いた。
 
 「何だってんだよ……百歩譲ってサボりはいいとして!全然よくないが!何時だと思ってる?こんな時間に、こんなとこで、一人で!危ないことがあったらどうすんだ!!」
 「逃げます」
 「逃げられないことだってあるだろぉ〜が〜……もういい、そんな事は今はいい。とにかく乗れ、風邪ひくから」
 「乗ったら連れてかれるじゃないですか。それよりせっかくクリスマスなんだし、デートしませんか?」
 
 可愛らしく小首を傾げる彼女に一瞬見とれてしまってから、真咲が慌てて首を振った。
 
 「しません」
 「空中庭園に夜景を見に行きたいな〜」
 「行きません」
 「……他の方とお約束があるんですか?」
 「そういう訳じゃ……ちょい待ち」
 
 食い下がる彼女を急に手で制して、真咲が賑やかな通りに目を凝らす。
 視線を追うと、浮かれた雰囲気に似つかわしくないスーツの一団がこちらに歩いてくるのが見えた。
 
 「…ヤっベぇ、補導だ……!?オイ、あっち向いてろ。もし声掛けられたら兄妹だって言うんだぞ」
 「……イヤです!」
 「シッ!……おまえ受験生なんだぞ!?」
 「ひとりで帰ります!」
 
 自分が未成年だっていうのは痛いくらい分かっている。
 どんなに頑張ってお化粧しても、ヒールで身長をごまかしても。
 補導の心配をしている先輩には大人には見えてないわけで。
 同時に
  女にも見えてないわけで。 大学生で成人している先輩と高校生の自分が一緒に居た場合、責められるのは先輩。
 そう考えて急いでそこから離れようと歩き出した。
 
 「……ちょっ……ああもう!」
 
 突然彼の腕に引き寄せられ、抱きすくめられ。
 後ろの車に強く押しつけられる。
 整髪料と生花の香りの混じった彼の匂いと体温が彼女の思考を奪った。
 
 「真咲、せんぱ……」
 「黙って」
 
 街の喧噪が遠ざかり息が止まるような彼女の数十秒。
 腕章が通り過ぎるのを横目で確認して、それでも離しがたかった彼の数十秒。
 ふと彼が腕の力を緩めると、彼女の身体がかくんと崩れ落ちそうになった。
 一度離されかけた腕が再び力強く彼女を抱き留める。
 
 「うわっ、と!オイ大丈夫か?……ゴメンな。もう行ったから」
 「だ、いじょう…ぶ、です」
 
 今更ながら大きな音をたてて鳴り出した心臓に、息をするのもやっとの彼女が赤い顔を背ける。
 くるりと綺麗にカールした睫、遠くのイルミネーションが映る瞳。
 そして
  最高のハプニングだった、あの日ぶつかった唇。 それらを至近距離で見て、彼が小さく息を呑んだ。
 
 「………分かった、デートだな?……けどその後はばたき山に送っていくからワガママ言わないでちゃんと行くんだぞ」
 「………………」
 「…………優月」
 「……分かりました」
 
 優しい声で名前を囁かれて、腰に回された手がドアを開けた助手席にそっと促す。
 彼女はそれ以上抗うことなく素直に車に乗り込んだ。
 
 「……時間的にドライブデートになっちまうけど、許せよ?」
 「……………」
 「送るだけじゃねーから心配すんな。……ちゃんとデート、な」
 「……ちゃんと?」
 
 エンジンを掛けて車をパーキングから出すと、真咲の左手がそっと彼女の手に重ねられた。
 
 「………あ…」
 「……っと、こっちだな」
 「……………」
 「………あ〜〜…俗に言う恋人つなぎってヤツだ。…イヤか?」
 
 照れた顔でフロントガラスを見たままの真咲が指を組むようにつなぎ直した手。
 彼女がぷるぷると首を振ってきゅっと握った。
 
 
  なんでこんなに可愛いんだろーなチクショー持って帰りてぇー… 
 信号待ちの間に、窓の外を見ている彼女の細い首筋を盗み見て。
 今すぐUターンして連れて帰りたい衝動を抑えるのに少し時間がかかった。
 
 
 
 
 「……到着っと。優月降りてみな?」
 
 促されるまま車を降りた彼女の目の前一面に、街の灯りが広がる。
 はばたき山への曲がりくねった山道の途中、今までの黒い森がひらけてそこだけに宝石箱をひっくり返したみたいな夜景。
 
 「うわぁ……キレイ…」
 「オレのスペシャル。どーだ、すごいだろ?」
 
 得意げな彼の声がすぐ後ろで聞こえて。
 そのまま肩を引き寄せられた。
 
 「……寒い…よな?」
 「…………ハイ…」
 「今日はいつもより明るいなぁ。イルミネーションのせいだな、きっと」
 「………いつもより?」
 「ん。ここスノボ行った帰りに見つけてさー……いつかおまえを連れて来たいと思ってた。でも夜景が見えるような時間に連れ出せないもんな」
 
 ちくり、と胸が痛む。
 『いつもは誰と見ているんですか?』
 そんな言葉が口を突きそうになったけれど。
 この夢から覚めてしまうのが怖くて飲み込む。
 言ってしまえばせっかくの最後の思い出が台無しになってしまう。
 
 もう
  これっきり会わないつもりだから。 
 だってしょうがない。
 彼はこれからも妹みたいに自分を可愛がってくれるだろう。
 日曜の約束をして、車に乗せて、大きな手で頭を撫でて。
 そしていつか、自分には手の届かないようなお似合いの人を連れてきて。
 『オレの付き合ってるヤツなんだけど』
 『おまえにも会わせておきたい』
 照れた顔で言う、そんな言葉は聞きたくない。
 だから最後に、ちゃんとデートしたかった。
 妹なんかじゃなく。
   ◇     ◇     ◇   ロッジに着いたのは十一時を廻っていた。雪で通行止めも何カ所かあって、その度に嬉しかったけれど、もう終点。
 彼が携帯を取り出した。
 
 「……………勝巳か?オレだ」
 
 広くない車内に彼の声が響く。
 多分もう、聞くことのない大好きな声。
 
 「お姫様を連れてきてやったぞ、十二時の鐘が鳴る前に。……そうだ、鍵外して迎えに来いよ」
 
 彼がピ、と終話ボタンを押して笑顔を見せた。
 
 「すぐ来るってさ。………もう魔法解けちゃうな」
 「…………っっ」
 「あ、魔法掛かってたのはオレか。かぼちゃの馬車だな、うん」
 「…………真咲…せんぱ…っっ」
 「あ〜、泣くなって。せっかくキレイにお化粧してんのに。……ちゃんと王子様に見せてこい。大丈夫、今日の優月はすげえ綺麗だから」
 
 初めて言われた。
 かわいい、ではなく綺麗だと。
 そして
  ずっとつないでいてくれた手は離されて。 泣かないでいようと、何度も心に誓ったはずなのに。
 頬を伝う涙が何も握れなくなった手に落ちた。
 
 「……………真咲先輩」
 
 こちらを向いたその頬にそっと唇を当てる。
 あの日学校の花壇でぶつかった、左の頬に。
 
 「……………さよなら」
 
 なんとか笑おうとしたけれど、駄目で。
 何か言われたらみっともなく泣きじゃくってしまうから。
 急いで車を降り、白い光だけしか見えないロッジの玄関に向かって雪を踏んだ。
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