|  「…………なぁオイ、今度の日曜だけどさ…おまえ何か予定あんのか?」「………いいえ、特には」
 「スケート行かねえ?一緒に」
 
 バイトの合間に彼女を誘う。
 今まで通り、に見えるように。
 触られない、と気づいてからもう一ヶ月も、彼は彼女を誘えないでいた。
 このままフェードアウトだけは何としても避けたい。
 もうお兄ちゃんでもなんでもいい、以前と同じに戻れたら。
 痛いほど打つ鼓動をひた隠しにして、彼女の返事を待った。
 
 「………はい」
 「じゃあ公園入り口で待ち合わせな、十時。遅れんなよ〜」
 
 努めて明るい声で約束をし、仕事を装って店の裏に廻ってしゃがみ込む。
 
 「なんだよ〜…なんであんなに元気ないんだよ」
 
 もし好きな男が出来たんだとしたら絶対上手くいってねーな、と呟いて。
 チャンスだと思いかけた自分の頬をつねる。
 二〜三分反省して、自分を呼ぶ声に渋々店に戻った。
 
 「……真咲くん、あなた仮にも大学生でしょ?聞いてきてよ。有沢さん、接客中なのよ」
 
 店長の指さす先には、キョロキョロと店内を見回すスーツで金髪の男。
 英会話など全く得意ではないけれど、花の名前なら分かる。
 後は単語を拾えば何とか会話できるだろう。
 そう考えて声を掛けた。
 
 「何かお探しですか?」
 
 まだあどけない碧い瞳がこちらを見てニッコリと笑う。
 
 「友達探してるんです〜。ここでバイトしてるって聞いてんやけど、市村優月っていてますやろか〜?」
 「…………へ?」
 
 金髪碧眼スーツ男が関西弁で喋ったことよりも、呼ばれた名前にビックリした。
 ちょうどその時、向かいの美容室に配達に行っていたらしい彼女がこちらに戻るのが見えて。
 視線を追って振り向いたスーツ男が彼女を見つけて手を振った。
 
 「優月ちゃ〜ん!」
 「………クリス君!?どうしたの?」
 「優月ちゃんの顔見とおてちょっとだけ寄ったんや〜。けどちゃんとお客さんになるで」
 「お仕事に持っていくの?何にしましょうか?」
 「ピンクの薔薇。あるだけください♪」
 
 彼女がそれを花束にすると、受け取ったスーツ男がにっこり笑ってそれをそのまま彼女に渡す。
 
 「ベタやな〜って思うけど優月ちゃんにプレゼント
  最近全然元気ないやろ?」 「えっ!?…でも、貰えないよこんな高価な物!」
 「ええねん、何か悩んでるんやったら話してな?聞くくらいできるよって」
 
 そこでスーツ男の横にいた女性が小さく口を挟んだ。
 
 「若社長、お時間です」
 「あ〜…もうちょっと君の顔見てたいけど、時間切れや。ほなお仕事行ってくるさかい、優月ちゃんも元気だしてな?」
 「あ…ありがとう。また学校でね!」
 
 店の前に留まっていた高級車の後部座席に乗り込んだスーツ男に、ピンクの薔薇を抱えた彼女が手を振った。
 
 
  何なんだよアレは…。金髪で高校生で若社長だってか? 
 床にへたり込みたい気分の彼に、バイトの先輩で一つ年上の有沢がさらに追い打ちをかける。
 
 「優月ちゃん、モテるのね〜これで三人目じゃない」
 「………三人目!?」
 
 もらった花束を休憩室に置きにいくらしい彼女の後ろ姿を目で追って、有沢が続けた。
 
 「そうよ?先週はバーテンダーみたいな格好の男の子がチューリップのミニブーケでしょ?火曜日には制服のカワイイ子が”先輩の好きな花を一輪下さい”な〜んて言って渡してたわよ」
 「……マジで?」
 「あとは顔見に来たって男の子も二人いたわね」
 「……………」
 「元気ないのはどうしてかしらね?」
 「こっちが聞きてぇよ……」
 
 力無く返事しながら、彼は今度こそガックリ床に膝を折った。
   ◇     ◇     ◇   日曜は雨だった。一日空けるために課題のレポートを明け方まで書いていた彼が目を覚ましたのは、約束の時間を一時間も過ぎた頃。
 飛び起きて服を着るとブラシとスプレーを車に放り込み、アクセルを踏み込みながら彼女の携帯に電話する。
 
 『もしもし?先輩?』
 「ゴメン寝過ごした!…もう帰っちゃったか?」
 
 湿気で曇るフロントガラスを信号待ちの間に袖で拭きながら、道路上に設置された電光掲示板を確認する。
 十二月の雨。都心部といえど気温は一桁を示している。
 受話器の向こうからもぱらぱらという雨の音が聞こえた。
 
 『いいえ、まだいますけど』
 「あ〜……やっぱな。全速力で行くけどもうちょいかかる」
 『ふふ、今日のお昼は先輩のおごりですね』
 「雨の日は渋滞するからあと十五分くらいかかるか…もっとかも。着いたら連絡するからどっか店に入ってろ」
 『大丈夫です。慌てないで来てくださいね』
 
 そう言って切ったのが三十分も前。
 フルブレーキを踏んで到着すると公園入り口にピンクの傘が一つ、所在無さげにくるくると回っているのが見えた。
 目の前が暗くなるのを感じながら、車のエンジンを掛けたまま雨の中に飛び出した。
 
 「…………優月」
 「あ……真咲先輩、こんにちは」
 「……こんにちはじゃねーって……とりあえず来い」
 
 彼女の腕を掴んで車に戻り、エアコンの目盛りを最強にしてジャケットを脱いだ。
 傘の水滴を気にする彼女のそれを後部座席に投げ込む。
 
 「………着てなさい」
 「いえあの、大丈夫です」
 「いいから!……あーあーなんでまたそんな薄着なんだよ…非常事態だからな、手握るぞ」
 
 真っ赤になって冷え切った手を包み込んだ彼が眉根を寄せた。
 
 「……感覚あるか?」
 「ええと……少し痺れてるような…」
 「ちょっと待ってろ、缶コーヒーかなんか買ってくる」
 「あ、大丈夫です!……ホントに」
 
 離されかけた手を、彼女がきゅっと握る。
 久しぶりの小さな手を振り解けないのを情けなく思いながら、彼がそっと息を吐く。
 今なら聞けるかも知れない。
 元気のない理由、それから自分に触れなくなった事も。
 
 「………この前おまえに会いに来てた金髪、学校のヤツか?」
 「…………はい」
 「オレがバイトに入ってない時も何人か来てたんだってな」
 「…………はい」
 「……学校でも元気ないのか?」
 「………………」
 「……おまえさ、この頃オレに触らないのな?オニーチャンは淋しいぞぉ?」
 「………………」
 「好きな男でも出来たか?んー?」
 
 おどけた口調で笑うと、彼女が小さな声で返した。
 
 「………っっ…好きなひとは……ずっといます…」
 「…………へぇ」
 「……でも…彼女がいるかも知れません」
 「…………ふぅん」
 「……真咲先輩ならどうしますか?…もし好きな人に恋人がいるかも知れない時」
 「………………オレなら…か。どうすっかな…やっぱ勇気出ないかも、な」
 
 
  それは本当に正直な彼の本音だった。 彼女に好きな男がいると分かった今、身を持って感じたのだから。
   ◇     ◇     ◇   「………優月、話がある」
 下校途中にそう声を掛けたのは、同じクラスの志波だった。
 バイトに直行しようとしていた彼女が不思議そうな顔で首を傾げる。
 
 「どうしたの?急ぐ話?…私これから」
 「ああ知ってる、バイトだろ?歩きながらでいい。花屋に着くまでに終わるから」
 
 並んで歩きながら背の高い志波を見上げる。
 
 
  ちょうど同じくらいなんだ……先輩と。 
 考えるでもなくそう思ってしまってから見上げるのをやめた。
 頭をよぎるのは、あの日公園通りで見た女性と先輩のバランス。
 自分の身長では彼の肩にも届かない。
 
 「………おまえずっと笑ってないな」
 
 上から降ってくる低い声に、少し困ったように彼女が返す。
 
 「そうかな?結構笑ってるよ?ちよちゃんとはるひちゃんとお弁当食べてる時とか」
 「いや、笑ってない。ずっと……あの公園に掃除に行った日から」
 「え?」
 
 彼女が慌てたような顔で志波を見た。
 彼は視線を真っ直ぐ前に向けたまま続ける。
 
 「俺は滑り台の上でサボってた。そしたらおまえの声が聞こえて………向こうに真咲の車が止まってて」
 「………………」
 「おまえが手を振ろうとしてやめたのも見てた。……あの日から、ずっとおまえ笑ってても泣きそうな顔してる」
 「………そっか、志波くん先輩と幼なじみだもんね」
 
 俯いて鞄の取っ手についたマスコットをいじりながら、やっと出したようなか細い声。
 志波は少しの沈黙の後、先を続けた。
 
 「俺は気の利いた事なんか言えないけど、腹に溜めとくよりは喋った方が楽だと思う。泣きたかったら泣けばいい。…スッキリするんじゃねぇか?」
 
 少し気遣わしげな声に、俯いたまま。
 彼女が微かに首を振った。
 
 「泣かないって決めたんだ。…だから、大丈夫。大丈夫だよ」
 
 それから顔を上げて、にこりと微笑う。
 その表情を見た志波が、空を仰ぎ大きく息を吐いた。
 
 「………そうか、じゃあ大丈夫じゃなくなったら呼べ。いつでもいいから」
 「うん。ありがとう、志波くん」
 
 最後の交差点の赤信号で、背中をひとつポンと叩く。
 彼女は作り笑いのまま、青信号になった横断歩道を渡って。
 角の花屋に入る前にもう一度こっちに向かって手を振った。
 その時には志波の視線はもう、手を振る彼女の後ろ
  配達車の中でこちらを見ている真咲に向けられていたけれど。       |