しばらくして、が何度目かのお茶を淹れ直した頃、ドアの円盤が徐にカチリと音を立てた。 
 
「あ。帰ってきたかしら?」 
 
の視線を追うように、カブもドアに目を移す。 
カルシファーは瞳をくるりと回して、こっそりとカブの座っている椅子から距離を置いた。 
 
「!ただいま!!」 
 
ぱたぱたと走る音がして、座ったままのにマルクルが抱きつく。 
 
「お帰りなさい、マルクル。楽しかった?」 
「うん!王宮ってすごく大きくってね、魔法アイテムが色々あって、たくさん見せてもらったよ!」 
「そう、よかった。ハウルは?」 
 
その問いに彼が振り向く前に、またドアが開く。 
 
「ただいま、……」 
 
呟きながらよろよろと階段を登ると、ハウルはマルクルを押しのけての肩に顔を埋めた。 
 
「ハウル?大丈夫?」 
「大丈夫じゃない……いくら争わなくて良くなったとはいえ、王宮は苦手だ」 
「マルクルは楽しそうだけど」 
「サリマン先生は素直に教えを請う者に甘いからね。マルクルなんて典型だよ」 
 
はあ、と大きくため息をつくハウルの頭を、は優しく撫でてやる。 
彼がただいまのキスをねだろうと、顔を上げたとき。 
 
「 お帰りなさい」 
 
テーブルの向かいで黙って眺めていたカブが、おかしそうに声を掛けた。 
 
「……?」 
「カブ!?」 
 
ぴくりと肩を揺らしてそれを見たハウルが何か言う前に、横にいたマルクルが声をあげる。 
 
「どうしたの!?いつ来たの!?」 
「お久しぶりです。先程、こちらに来たばかりです」 
「うわあ、カブが来るって知ってたら僕、王宮なんか行かなかったのに!」 
「すみません」 
 
「………………。」 
 
駆け寄って目を輝かせるマルクルの後ろで、ハウルがすっと目を細めて。 
なにやら呟きながら身を起こすと、にこりと彼に笑いかけた。 
 
「なるほどね。王宮で聞いた使者っていうのは、君のことだったのか」 
「え?使者?」 
 
ハウルは腕を組んで肩をすくめた。 
 
「隣国から使者が来たそうだよ。休戦はしても完全に戦争が終わったわけではないこの時世に、跡継ぎの王子が協定書を持参したと王宮は大騒ぎだった」 
「へえー。カブ、そんな大事なご用でこっちに来てたの?」 
「ただのついでですよ。こちらを訪ねるついでに、届けただけですから」 
「なあんだ。ね、王宮でもらってきたアイテム、僕の部屋で一緒に見ようよ!」 
 
安心したように腕を引くマルクルに、微笑んで頭を下げる。 
 
「申し訳ありません、今日はそろそろ戻らないと……」 
「えーーー!?いやだよ、帰ってきたんじゃないの?」 
「そうよカブ、ここはあなたの家なんだから、よかったら泊まっていって?」 
 
二人の無邪気な言葉に、カルシファーは小さくため息をついた。 
 
休戦協定書というものは普通、重要な地位にいるが重鎮ではない者が取り仕切るものである。 
ましてやつい最近まで戦争をしていた敵国の王宮に、跡継ぎの王子がのこのこ現れるなど通常考えられず、おそらく隣国では彼の身を案じていることだろう。彼が帰らなければ国同士の関係悪化は免れない。 
 
そんなことは微塵も理解していない二人と違って、ハウルにはそれが分かっているはずだが、彼は不機嫌そうに黙り込んでぷいと階段を登っていってしまった。 
 
 うわー……ありゃ後で荒れるなあ…… 
 
待ち受ける騒動を思いやって憂鬱げに火を揺らしたカルシファーと、マルクルに抱きつかれているカブの視線が、かち合う。 
 
「……少しタイミングが悪かったようですね」 
「……ああ、まあ、ハウルは王宮が嫌いだからな……」 
 
それ以前にに近づく男は、例えマルクルやカルシファーでもいい顔はしない。 
二人ともそのことは重々承知していたから、あえて口に出したりはしなかった。 
 
「ハウルったら。ろくに挨拶もしないで、どうしたのかしら」 
 
後でよく言っておくわ、と謝るに、カブはカップを置いて立ち上がった。 
 
「」 
「?なあに?」 
「は今、倖せなのですね」 
「え?」 
 
その言葉に、驚いて彼を振り向く。 
 
「できればあなたが私の国に来てはくれないかと、今日はそれを伝えに来たのですが」 
「……え?……え、っと」 
 
きょとんと彼を見返してから、は少しだけ困った表情をした。 
それに、笑って。 
 
「でも、彼のことを話しているあなたはとても倖せそうだ。今日の所は退散することにします」 
「カブ……」 
「それに私は、そんなあなただからこそ好きなのですよ。残念ながらね」 
 
そう告げると、カブはもう一度彼女の手を取った。 
 
 
 この感情は、彼女が自分のものにならないくらいで妨げられはしない。 
 
は自分にとって、唯一の真実。 
呪いを掛けられ、流離って零落れて、王子であることを忘れかけていた私を救ってくれた。 
彼女の傍にいるだけで、元通りの自分を取り戻すことができた。 
 
呪われた日々の悲惨さを語ると、あなたは笑うけれど。 
『そんな酷いことがあったようには思えないわ』と信じて疑わないけれど。 
 
ただ小さく笑うだけで、私を倖せにしてしまうあなただから。 
 
 
「が倖せであれば、私は嬉しい。 
 今は、彼の傍で笑っているあなたが一番好きです。でも」 
 
 いつか、私の愛を捧げることがあなたの一番の倖せにしてみせますよ。 
 
 
囁いてシルクハットを手に取り、カブは優美なお辞儀をして身を翻した。 
FIN.  |