こほん、と咳払いをひとつして、丁寧にドアをノックする。 
かすかに聞こえる物音と、感じられる気配。それだけでドアを開けるのが誰か予想できて、彼は知らず目を細めた。 
 
「こんにちは、。お元気でしたか?」 
 
ドアが開くか開かないかのうちに体を伏せて挨拶した彼に、彼女はノブを握ったまま少しだけ驚いて。 
そして、嬉しそうにふわりと微笑んだ。 
 
「ええ、ありがとう。 お帰りなさい、カブ」 
 
その台詞と表情に一瞬だけ心を奪われてから、カブは笑って彼女の手を取り、その甲に口づけた。 
 
「……ただいま戻りました」 
「また会えて嬉しいわ。カブも元気?おうちは大変だったんじゃないの?」 
「あなたにお会いできないことに比べれば、塵ほどの苦も」 
「まあ」 
 
くすくすと笑い声をたてながら、彼を部屋へ招き入れる。 
お茶を頼むと、カルシファーは物言いたげな目をしたが、結局何も言わずにポットを抱え込んだ。 
 
「昨日焼いたお菓子があるわ。マドレーヌは好きかしら?」 
「勿論です。あなたの作ったものが戴けるなんて、夢のようだ」 
「そういえば前は食べられなかったものね。あ、カップを出してもらえる?」 
「はい」 
 
彼の姿が変わる前と同じ調子でそう言うと、は戸棚からお菓子と茶葉を取り出した。 
 
「今、ハウルとマルクルはお出掛けしてるのよ。おばあちゃんとヒンはお昼寝だし…… 
 せっかくだから、みんな揃ってお茶したかったんだけど」 
「……ハウルはいない方がいいと思うけどなあ」 
 
お湯を沸かしながら、カルシファーが口を挟む。 
は不思議そうに彼を覗き込んだ。 
 
「あら、どうして?」 
「…………いいや、なんでもない」 
「?変なこと言うのね。家族みんなでお茶した方が楽しいじゃない」 
 
家族ねぇ、と苦笑のような表情を浮かべて、カルシファーは熱くなったポットを彼女に差し出した。 
首を傾げながら受け取って、お菓子と共にトレイに載せる。 
それを持って振り返ったは、ティーセットの用意されたテーブルの横に立って待っているカブを見て、軽く目を見張った。 
 
「あ………そうか。ごめんなさい、そういえば王子様だったっけ」 
 
今初めて気付いたように、小さく首をすくめる。 
カブはもう一度笑って、の座る椅子を引いた。 
 
「いえ、あなたのお役に立てるなら光栄です」 
「でも、おうちではこんな雑用はしないでしょう?嫌ではないの?」 
「とんでもない。元より私の国では、男性は心に決めた女性に尽くすもの。 
 父王ですら、母のためにお茶を淹れたりするのですよ」 
「まあ、素敵ね」 
 
カブとしては『心に決めた女性』に反応して欲しかったところだが、はそんなことには気づきもせずさらりと言葉を流した。 
苦笑しながらお茶を受け取って、勧められたお菓子に讃辞を述べる。 
 
あれ以来一度も会っていなかった二人には、時間は瞬く間に過ぎていった。 
呪いのこと、戦争のこと。両国間で交わされた協定。出逢った時の思い出話。 
やがて堪えきれなくなったようにカルシファーも口を出してきて、三人分の笑い声が長く部屋に響いた。 
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