もしかしたら、既に帰宅しているかも知れない。
そう思いつき、確かめようとした零一は、明日返却する小テストを学校に置き忘れたことに気づいた。
はやる気持ちを抑えて教師の顔に戻り、学校へ向かう。
テストの束を鞄に入れ、ふと窓の外を見ると。
校庭の砂場に、ひとりぽつんと座り込んでいる少女の方が見えた。
「………!!」
がば、と身を乗り出して、それが間違いなく彼女であることを確認すると、零一は身を翻し一目散に駆け出した。
『廊下は走らない』などということは、全く頭に浮かばなかった。
少女は砂場の真ん中に座り込み、おもちゃのままごと道具で砂を掘っているようだった。
「………」
息を整えながら、ゆっくりと近づく。
「……ぐすっ……」
近くまで行くと、彼女が鼻をすすり上げる音が聞こえた。
どうやら、泣きべそをかいているらしい。
話しかけるタイミングを計っていた零一は、驚いて思わず駆け寄った。
「どうした!?」
「……ふぇ?」
地面とほぼ変わらない位置から、長身の彼を見上げるその目は確かに濡れていて。
零一は途端に、余裕が無くなってしまう。
「誰かにいじめられたか?どこか、痛くしたのか!?」
砂場に膝をついた、彼の質問に。
少女は、瞳を潤ませてうつむいた。
「……あのね……まーくんがね……ゆーちゃんとは、あそべないって」
「何……?」
「ゆーちゃんとはおままごとできないって。まーくんは、なっちゃんのおむこさん役だから。
ゆーちゃんのおむこさん役は、できないって……」
言いながら、ぐすぐすと涙を拭う。
「ゆーちゃん、おままごと、入れてもらえなかった……ゆーちゃんのおむこさん、いないから……ふぇっ……」
自分で言って悲しくなったのか、少女は本格的に泣き始めた。
おそらく。
友達と遊ぶ約束を忘れていて、遅れて行ったら、ままごとが始まっていて。
もう役がないと、つまはじきにされてしまったのだろう。
小さい子には遠慮や気兼ねがないから、仲のいい間柄でもよくこういう事が起こる。
その分、次の日にはすっかり忘れてまた仲良くしていることが多いのだが。
しかし零一には、この年で『おむこさんがいない』と泣く彼女の姿は、心に痛すぎた。
彼はコホン、と咳をすると、少女に向かって話しかけた。
「。泣くことは、ない」
「ふぇ……?」
「コホン。その、君がどうしてもと言うなら……今だけ、私が君の……その、相手役になってやってもいい」
少女はきょとんと零一を見つめている。
零一はため息をつき、言い代えた。
「つまり、だ。……君のおむこさん役、に、なってやるということだ」
「ほんとう!?」
ぱっと花が咲きほころぶような笑顔を見せて、少女は砂を蹴って立ち上がった。
立ち上がってなお、膝をついている自分より低い目線。
「ああ。だからもう、まーくんとやらに婿になってくれなんて言うんじゃないぞ」
「うん!せんせぇ、だいすき!!」
背伸びして、首にぎゅっと抱きつかれて。
零一は顔が赤らむのを隠すように、厳しく言った。
「た、ただし!もうすぐ下校の時間だから、少しだけだ。その後、家まで送っていく」
不満そうに口を尖らせかけた少女は、思い直したように頷くと、もう一度座り込んだ。
「じゃあ、せんせぇ、かえってくるところからね。ここがげんかんね」
砂の上に、スコップで線を引く。
周りを見回して誰もいないのを確かめてから、零一はもう一度コホンと咳をした。
「あー……その。今、帰った」
「んと、んと……あ、そうだ。“おかえりなさい、れいいちさん!”」
「……!」
一生懸命セリフを考えながら、離れたところからぽてぽてと近づいてくる少女。
一瞬、その様子が7才の子供ではない女性に見えて、零一は苦笑する。
「“おつかれさまでした。おふろ、わいてますから、よかったらどうぞ”」
「……ああ。そうさせてもらう」
「“きょうは、おりょうり、せいこうしたんですよ。たのしみにしててくださいね”」
「……ああ。楽しみだな」
嬉しそうにままごとをする彼女を見つめながら、零一は穏やかな倖せを感じていた。
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