「こんにちは、天之橋さん」
いつもの時間に、ドアがノックされて彼女が現れる。
手元にはティーセット。器用に鞄も抱えているから、ドアを開けた手でそれを預かって。
ソファに腰掛けながらティーセットをテーブルに置くと、挨拶をしながら彼女も向かいに座り、お茶の準備を始める。
いつもと変わらないそんな所作を眺めている間は、平常心を保てたのだけれど。
雑談に紛らわせるように、彼女が鞄から取り出して膝に置いた小さな箱を目に留めたとき、ふと昨日のことを思い出して気持ちが重くなった。
期待していなかったといえば嘘になる。
けれど平素であれば、もらえなかったとしてもこれほど気重くはなかっただろうし、既製品でも差し出されれば喜んで受け取っただろう。
それによって、彼女の好意を疑うわけではない。ないのだけれど。
その好意よりも上位における人間がいる、とはっきり分かってしまった今となっては、その人間と自分との差を考えずにはいられなかった。
表に感情を顕すのを堪えながら、私が礼を言ってティーカップを受け取ると、目の前の彼女は何かのタイミングを計るように落ち着かない様子を見せた。
常ならば、それを微笑ましく眺めて、切り出されるのを楽しみに待つのだが。
彼女以上にいてもたってもいられなかった私は、思わずそれに言及してしまった。
「……それは?」
尋ねると、彼女はぱっと顔を上げて私を見た。
「あ、あの、えと……あの、お茶菓子に、と思って!」
そんなに緊張する理由などないのに、薄く染めた頬がまるで特別だといっているようで。
意図しているはずもないその紛らわしさに苛立ちがつのって、つい口が滑った。
「それは嬉しいね。どこで買ってきたのかな?」
一瞬、しまった、と思ったけれども。
幸い口調が嫌味っぽくなることはなかったし、店で買ってきたものならば彼女もすんなりと店の名前を言うだろう。変に思われることはないはずだ。
そう、思ったのに。
「…………!」
予想に反して彼女は絶句して俯き、もじもじと箱の端を弄りだした。
「……え、と……」
「?」
「……そう、ですよね。普通、差し上げるのって、お店で……」
「???」
言われている意味が分からない、私の前で。
彼女はいきなり立ち上がると、勢いよく体を二つ折りにした。
「ごめんなさい、天之橋さん!今日は帰ります!!」
「!??」
言うが早いか、鞄を掴んで走り去っていく。
ばたんと閉まったドアを、数分間唖然として見つめて。
それから、私は慌ててカップを置いて彼女を追った。
◇ ◇ ◇
どこにも見つからない。
彼女のクラスも、彼女の親友のクラスも、果ては手芸部やチアリーディング部の部室や練習場、体育館、裏庭や薔薇園、保健室まで見て回ったのだけれども、彼女の姿はない。
知らずのうちに小走りになっていた足を止めて、私は大きく息をついた。
もしかしたら本当に、帰ってしまったのかもしれない。
昇降口で靴をチェックすれば校内にいるかどうかは分かるけれども、生徒の持ち物を勝手に確認することなどできなくて。
それでも、もう帰ったのだと諦めることもできないから、ひとつひとつの教室を順に回っていく。
延々と歩き続けながら、出て行く瞬間の彼女の表情が頭をよぎる。
もし見間違いでなければそう、もう少しで泣き出す寸前のような顔をしていた。
しかし、それが何故なのかさっぱり分からない。
思い当たるのは自分の言葉だけなのだけれど、それに込められた心情はどうあれ、表面的にはさほど意味のある台詞ではなかったはずなのに。
一体、何故?
思いを巡らせていた私は、不意に頭に浮かんだ場所に足を止めた。
昨日の出来事。
もしかしたら、昨日と同じように彼と一緒かもしれないと思う気持ちが一瞬、動きを鈍らせたけれど。
ひとつ首を振って、私は家庭科室へと足を向けた。 |