「きゃっ!……あ、天之橋さん?」
「、どこに行くんだい?」
「……ええっと……」
頬に寄せられる優しいキスはいつもと変わりはなかったけれど、笑顔は有無を言わせない強引さを含んでいる。
少女は曖昧に笑いながら答えた。
「あの、花椿せんせいが……ちょっとだけ、待っててもらえますか?」
「駄目だよ。あいつは帰ると言っていたから、ちょうど良いじゃないか」
「でも、まだお話が」
「花椿など放っておけばいい。私に会いに来てくれたのだろう?」
「……天之橋さん」
少しだけ視線を厳しくして、少女はじっと彼を見上げた。
「そんなこと、言っちゃダメですよ。せっかくお祝いしに来てくれたんでしょう?」
「……………」
「花椿せんせい、なんだかんだ言ってもお優しいのに。そんなこと言ったら悪いです」
「……………」
「天之橋さん?」
返事のない彼を促すように手を伸ばすと、天之橋はそれをすいと避けた。
そのまま、ぱたりと彼女の膝に倒れ込んで。
「天之橋さん!?気分が悪いんですか!?」
慌てて覗き込んだ少女にかすかに首を振って、その腿にキスをする。
少女の身体がびくんと跳ねた。
「やっ……天之橋さんっっ!」
「……より」
「え?」
「私より……花椿の方が大事なのかね?」
「はあ?」
一瞬、言われている意味が分からなくて、素っ頓狂な声が漏れた。
天之橋は不機嫌な顔をして、瞳を閉じたまま彼女の膝枕でむくれている。
「私の誕生日だというのに、は花椿の話ばかりして、花椿の味方をする。
私のことなどどうでもいいのだろう」
「……はぁ……」
思わず、ため息が落ちる。
なるほど、子供として扱えというのはこういうことかと妙な納得をしながら、少女はさらりとその頭を撫でた。
「そんなわけ、ないでしょう。天之橋さんは……その、いちばん大事なひとなんですから」
「……本当に?」
「ほんとうに。今日だって私、天之橋さんに会うために、がんばって帰ってきたんですよ?」
「私のことが好きかね?」
「す……す、す、好きです、ってば。
だからもう、変なことを言ってないで。風邪をひきますから、寝るならベッドに行ってくださいね?」
「……………」
恥ずかしさを堪えながら言い聞かせると、天之橋は無言でぷいと顔を背けた。
もう一度、ため息。
彼が季節に外れる室温を好まないせいで、部屋の温度調節は最低限に抑えられている。
酒を飲んでいる彼自身は寒さを感じていないのだろうけれど、このままでは間違いなく風邪をひいてしまう。
少女は頭を撫で続けながら、できるだけ優しく言い含めた。
「ね、天之橋さん。あったかいベッドに行って、眠りましょ?眠るまで傍にいますから」
「……………」
「え…と、手、握ってますから」
「……………」
「え……、と……」
無言のままの彼に途方に暮れて。
かなりの時間、逡巡してから、少女は諦めたように肩を落とした。
「分かりました。……一緒に寝てあげますから。そしたらベッドに行きますか?」
赤面しながら言った言葉に、天之橋は今度こそこくりと頷いた。
◇ ◇ ◇
手を握って立ち上がらせると、素直に従う。
足元がおぼつかないようなこともなく、外見は至って普通。その彼の手を子供のように引いて歩くことは、吹き出したくなる可笑しさと身の置き所がない気恥ずかしさを同時に感じさせた。
なるべく考えないようにして寝室に入り、広いベッドに彼を寝かせる。
「ちゃんとお布団も被ってくださいね。寒くないですか?」
「」
ベッドの周りを廻って寝具を整えていると、ふと名前を呼ばれて。
布団の下から伸びてきた手が、差し伸べられる。
迷う前に思わず手を預けると天之橋は微笑んで、ゆっくりと彼女を引き寄せた。
「……ぁ」
腕の中で大事に抱きしめられ、少女はその暖かさにほっと息をついた。
今の彼の相手は大変だけれど、それでもそれは嫌なものではなくて。
付き合いの長い花椿でも数回しか見たことがないという意外な一面を見られて、嬉しいのも本当。
「天之橋さん。……だいすき」
思わず呟いて見上げると、どこまでも倖せそうな笑顔。それがとても嬉しい。
少女が微笑むと、頬に手を添えられて啄むようなキスが降りてきた。
ちゅ、と小さな音を立てて最初は軽く。次に深く口づけられる。
「ん……んんっ」
くらりと眩暈がして、気が遠くなる感覚。
けれど以前にも同じようなことがあったのを思い出して、少女は躊躇いがちに唇を離した。
あんな無茶をされてしまうのは、できれば避けたい。
「……天之橋さん?ちゃんと、おとなしく、寝てくださいね?」
約束ですよ、と言いかけて。
ふと見下ろしたシャツの前ボタンが、外されているのに気づく。
い、いつの間にっっ!?
「天之橋さん!変なことしたら、ぶちますからね!?
ずいぶんお酒を飲んでるんだから、もう寝てください!」
「……………」
やはり無言のまま、天之橋ははだけられた彼女の胸元にキスを落とし、そのまま胸に顔を埋めた。
これ以上やったら本当にぶつ!と誓いながら、少女はぎゅっと目を閉じたが、それ以上彼が動く気配はなく。
少し経ってから、子供のように抱きついて眠りかけている彼に気づいて、ようやく小さく息をついた。
首を巡らせて壁の時計を見ると、既に真夜中を廻っている。
予定ではこんなはずではなかったのに、今の彼に何を言ってもおそらく、明日には覚えていないだろう。
それでも一応、お誕生日おめでとうございます、と呟いてみる。
「……まあ、いいけど。明日の朝一番に言えば……大丈夫だよね」
自分で納得して、意外に猫っ毛な彼の髪をさらさらと梳く。
「天之橋さん。そんなに、私に会いたかった、です…か?」
返事はなかったけれど、彼女には確かに答えが聞こえて。
ふう、ともう一度息をつき、少女はすり寄ってくる彼の頭を抱きしめた。
「もう……しょうがないなぁ」
憂鬱そうな台詞を吐いても、何故か声音は笑みを含んで。
そんな自分に苦笑しながら、少女も一緒に目を閉じた。
FIN. |