『もしもし。?』
「あれ?」
聞こえてきた声に、少女は意外そうな声をあげた。
バイト以外で、彼から電話がかかってくることはめったにない。不思議に思いかけてふと、その理由に思い当たる。
「花椿せんせい、こんばんは。もしかして天之橋さんとご一緒ですか?」
『え?』
少し焦った声が、予想が当たっていることを示していて。
それに何故か不敵に笑い、少女はケータイを握りしめた。
「ちょうどよかったです。今、新はばたき駅に着いたところで、これからそっちに向かいますから」
『え?、田舎に帰ったんじゃなかったの?』
「帰りましたよ。法事にもちゃんと出ました。終わってからすぐ飛行機で帰ってきたんです」
『………やるわねぇ』
「当然ですよ。これはもう意地なんですから!」
鼻息も荒く言い切るのには、訳がある。
卒業して初めての彼の誕生日。少女は当然、彼と一緒に過ごすつもりでいた。
もしかして仕事が忙しかったり、急な出張が入ってしまったらと心配はしていたけれど、幸運にも彼の仕事は順調で。
しかし不運だったのは、母親の田舎での法事がその前日にかかってしまったことだった。
前日ならば、次の日に帰ってきてお祝いをすればいいと思うかもしれないけれど、せっかく恋人同士になれて最初の誕生日。日付が変わるとともに一番にお祝いを言うという、ひそかに夢見ていたことをやってみたかった。
けれど、それをさりげなく切り出した少女に、天之橋は少し呆れた表情で言った。
「君の気持ちは……その、嬉しいけれど。そんな理由で断ってはいけないよ」
「どうしてですか?」
その言葉よりも表情にかちんと来て、少女は彼に反駁した。
「別に、面識もない親戚の法事に私が出る必要はないって母も言ってましたし。
出る必要がないなら、いいじゃないですか」
「けれど、君はその、……長女だから。地域によってはそういったことに厳しいからね。
出ておくに越したことはないよ」
「長男が同行しますから、問題はないと思いますけど」
「けれど……」
「………わかりました」
柔らかそうに見えて実は頑固な彼が、持論をそうそう覆さないのを知っているから。
少女はにっこりと意味ありげな笑みを浮かべて、わざと素直に頷いた。
「2月4日は、田舎に帰ってきます」
もちろん、その日のうちに帰ってくるつもりであることはおくびにも出さなかった。
「断られても絶対に行きますからねって、天之橋さんに伝えてください」
自信満々に告げた少女は、しかし、花椿の含むような呟きを聞いて首を傾げた。
『……そう。それは、この際良かったかもしれないわ』
「え?」
『なんとか電話で済ませようと思ったんだけど、実物がいるなら好都合ね』
「じ、実物?」
『、今から迎えに行くわ。そこにいて!』
「えぇ?いいです、一人で行けますからっ」
『いいのよ、ちょっと事情があるから!じゃあ少しだけ待っててね!』
「……事情?」
一方的に切れた電話をまじまじと見て、少女はもう一度首を傾げた。
◇ ◇ ◇
「………花椿せんせい。事情って一体、何なんですか?」
助手席から降りて見慣れた車庫のドアを開けながら、少女は不思議そうに問いかけた。
ここまでの道中、何度尋ねても花椿は言いにくそうにあーとかうーとか言うばかりで。
一向に明らかにならない事情とやらに、少しだけ不安になる。
「まさか……天之橋さん、どこか具合が悪いとか?」
「ああ、いえ、そういうことではないのよ。ある意味近いかもしれないけど」
「え!?」
「いえいえ、大丈夫。どっちかというと……機嫌が良い方だと思うわ」
「なら、よかったですけど」
それ以上は何も聞き出せそうになかったので、黙って彼についていく。
いざとなれば前にもらった鍵を使わなければならないと思っていたから、彼がいてくれるのはありがたかった。
「一鶴。連れてきたわよ」
そう言いながら部屋に入る花椿に続くと、ソファにいた天之橋がふと瞳を上げた。
「やぁ、。来てくれたんだね」
「こんばんは……?」
挨拶をしながら、意外に思う。
わざわざ無理をして帰って来なくてもと気遣われると思ったのに、目の前の天之橋は嬉しそうに微笑っていて。
やっと自分の気持ちを分かってくれたのかとも思うけれど、なんだか何かがおかしい。
手招きされるのに応じてソファの隣に座ると、天之橋はテーブルの上にいくつか出ていたグラスのひとつを彼女に渡した。
「さあ、どうぞ。お嬢さん」
「ありがとうございます……って、天之橋さん!これっ」
「とても美味しいから、飲んでごらん」
「………花椿せんせい!?」
目をやると、そこには両手を合わせる花椿の姿。
「もしかして、天之橋さん!?」
「ゴメン!こんなに飲ませるつもりはなかったんだけど、ホラ、誕生日の前祝いだし?
ここんちにい〜いお酒が眠ってるの知ってたから出させたら、最近疲れがたまってたみたいで」
「………酔ってるんですね」
はあ、とため息をついて。手元のグラスで揺れる、琥珀色の液体を見つめる。
普段の彼であれば彼女に勧めるはずもない、強い酒。勧めた本人は機嫌良さげにくすくすと笑っている。
花椿は苦々しく肩をすくめた。
「飲ませといて何だけど……ここまで酔ってるのは、アタシでも数回しか見たことないワ。
がいない、って愚痴をこぼしだして大変だったんだから」
「は?愚痴?」
「そうよぅ〜。たちが悪く言われるのはイヤだから仕方なかったとか、送っていけば良かったとか。
ぐちぐちぐちぐち、うっとおしいったらありゃしないわ」
「そ、そんなこと言うくらいなら、初めから言わなきゃいいのに!」
「仕方ないわよ、コレはいつもの一鶴じゃないもの。アタシの経験から言うと、これからが大変なのよ〜」
「………これから?」
表情が引き攣った少女に、花椿はいっそ同情するような顔をした。
「えらく我が儘になって、思ったことをすぐ行動に出しちゃうから。まあ、子供だと思った方がいいわね」
「な、なんですかそれは!?」
「悪いけど、アタシがご機嫌取るのはもう限界なのよ。
これ以上飲ませないように酒は隠しといたから、悪いけどあとお願いっ」
「花椿せんせい!」
「いい、絶対に逆らっちゃダメよー!だだっ子だと思って甘やかすのよー!!」
「ま、待っ…!」
だっ、と逃げるように部屋から出て行く彼。そうまで酷いのかと不安になりながら、思わずそれを追おうと立ち上がりかけたとき。
きゅっと手が掴まれ、引き寄せられた。 |