ザアッと、一瞬にして風が吹き抜けた。
思わず、車を道路脇に止める。突然起きた夕立のせいで、視界はわずか数メートルほどしかない。
何の役にも立たないワイパーのスイッチを切って、天之橋はふう、と息をついた。
「すっ…ごいですねー……」
助手席の彼女は、フロントガラスを凝視している。
雹が混じっているのかと思えるくらい大粒の雨が、バチバチと激しい音を立ててガラスに激突するのを、半ば呆然として見る姿に。
「夏の嵐は、突然だから。……しかしそれにしても、いきなりだったね」
自らの驚きも隠さずに、少しだけ微笑んで。
天之橋は、ステアリングに腕を置いて空を見上げた。
「さて、どうしようかな。これではとても動けないね」
「待ってください。私、天気予報確認してみます」
そう言って、少女は携帯を取り出した。
慣れた手つきでサイトを呼び出している姿を見て、新鮮に思う。
彼女は、自分といるときはほとんど携帯を見ることはない。
もちろん彼女も現役の高校生だから、他の女子高生のように30分に一度は携帯を確認しなくては気が済まないでも不思議ではないし、それが同行者に対して失礼だとも思わないけれど。
携帯を取り出す暇も惜しいと言わんばかりのいつもの様子が、微笑ましいというよりも純粋に嬉しい。
そんなことを思ってしまう自分に、気づかないふりで。
「分かるかね?」
あまり馴染みが無いそれに、物珍しさを装って額を近づける。
少女は小さな画面を見ながら眉を顰めた。
「うぅーん……今日の広域予報では降水確率、10%になってますけど……」
「10%、ね」
土砂降りの車外に、苦笑が漏れる。
「待ってくださいね。一時間毎のピンポイント予報も見られますから、そっちなら、……っ」
「……??」
ぴく、と僅かに体を揺らした彼女を見やると。
携帯へ送る視線が、固まっていることに気づいた。
「どうか、したかね?」
「……なんでもないです」
心なしか、ぎこちない笑み。
それでも何でもないように、再びページを繰りだす。
「ええっと……はばたき市では、降水量予報が……40ミリ?」
「……………時間予報で?」
一時間に40ミリといえば、とっくに警報が出ていてもおかしくない量だ。当然、河川の氾濫や崖崩れ、視界不良による事故などが起きる可能性は十分ある。
となれば、こんな道ばたでぐずぐずしているのはあまり良くない。
「あ、でも三時間後の予報では5ミリになってます」
「とすると。今後少なくとも二時間以上は、集中的に降るということだね」
まだ、そこまでは強くなさそうな降りを見やって、ため息をつく。
あらかじめ予報を確認しておくのだった、と後悔するけれど。
科学が進歩しても、なかなか予報というものが良く当たることはないので同じことか、とも思う。
それにこんな雨の中、彼女をひとりで帰らせていた可能性よりは、よほど良い状況だろう。
天之橋はそう思って、助手席の少女を見た。
「まだ今なら、なんとか車を動かせるから……?」
「あ、はい」
「………とりあえず、大通りから外れようか」
「はい」
慎重に運転して、車を移動させる。
その間中、少しだけおかしい様子に心の中で首を傾げて。
でも、どうやら彼女はそれを悟らせる気はないらしく、原因がつかめない。
普段はどうにも隠し事が出来ないくせに。
なにかを把捉させないと決めたなら、それが出来る意志の強さをも持っている彼女だから。
そんなときは彼女の様子ではなくて、状況と可能性から絞っていった方が正解に行き着く確率が高いことを、天之橋は経験的に知っている。
気づかれたくないと思っている彼女に対して、少し気が引けるけれど。
どう見ても楽しい方向には傾いていないその原因を、できることなら取り除いてあげたいから。
その、原因になるとすれば。
雨。携帯。天気予報?
それから……一番怖い、自分の言動。
思い当たることがないか考えながら、脇道にそれて車を止める。
「……すまなかったね。私がお茶に誘わなければ、今頃は家に着いていたかもしれないのに」
「そんな!私が天之橋さんと居たかったんですから、謝られる事じゃないですっ」
少しだけ頬を染めて、無邪気にそんな殺し文句を吐く少女。
「それに、天之橋さんと一緒にいなければ私、この中を傘もなく帰ってたかもしれないんですから。
雨は嫌いじゃないですけど、さすがにこの中をずぶ濡れで帰るのはつらいです」
くすくす、と笑う仕草。普段と変わりはない。
けれど、時々また、ぎこちなくなる気がする。
「そうだね……荷物が濡れるのも困るしね。通り雨が来たらどうしているんだい?」
徒に訊くと、少女はうーんと考え込んだ。
「学校のある日は、教科書とか携帯とか濡れちゃいけない物が多いですから。
だいたいはお店とかに入って、時間をつぶしますね。傘を買って帰ってもいいけど、母が増えるのを嫌うので。
それよりは迎えに来る方がまし、らしいです。時々弟にも来てもらいますけど……」
でも弟には代価がいるんです、と少しだけむくれる表情。
彼女の口から出る家族の話は、いつもふんわりとした優しさに包まれていて。
そんな家庭で彼女が育ったのだと、妙に納得させられる雰囲気がある。
天之橋はくすりと笑って、前を向いて話し続ける少女の横顔を見ながら、無意識に呟いた。
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