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  MN'sRM > GS別館 > GS1夢 > 天之橋・約束シリーズ1 >

 なまえをよんで 3 

店に入って席に案内してもらうと、天之橋はメニューを受け取りながら言った。
「いつもので構わないかね?それとも、メニューを見るかい?」
「いえ。いつものでいいです」
膝に手を置き、縮こまるように言う彼女を見ながら。
「では、ロイヤルミルクティと……ダージリンを」
店員にオーダーを告げる。
店員が一礼して去ると、天之橋はうつむく少女に話しかけた。
「どうしたんだね?随分おとなしくしているが」
「いえ、あの。……あの、海に出たときのお話を聞かせてもらえますか?」
「ああ、そうだったね」
彼は、彼女の様子には言及せず、色々と話し始めた。
クルーザーのこと。海に対する思い入れ。イルカの群れに出逢ったときのこと。
途端に瞳を輝かせる少女を見ながら、微笑みを絶やさないままで。
話の途中でふいに先ほどから浮かんでいる考えを、確かめてみる。
「そういえば、船に乗るのも初めてかな?……は」
「!」
予想通り、少女は笑顔を固まらせ、ゆっくりと下を向いてしまった。
天之橋は肩をすくめた。

名前を呼んだときから、彼女の様子がおかしくなったような気がしていた。だが、それは彼女が望んだことだったので、気のせいかとも思ったのだが。
ここまではっきりと反応されると、自分を誤魔化すこともできない。
彼女は明らかに、困った様子をしていて。
その原因は、自分が彼女を名字ではなく名前で呼んだこと。
落胆を表に出さないようにしながら、天之橋はさりげなく呟いた。
「うむ。やはり、しっくり来ない感じはするね」
「……えっ?」
「生徒を名前で呼ぶことに、慣れていないから。やはり今まで通り呼んだ方がいいのかもしれない」
どう思う?と、水を向ける。
こちらから言い出したことであれば、遠慮せずに頷けるだろう。そんなことを考えて実行してしまう自分を、少しだけ恨めしく思いながら。

所詮、彼女の友人達と自分は、同じ立場に立つことはできないのかもしれない。同級生の友人だけでなく、担任教師に呼ばれることさえ平気なのに、自分に呼ばれることには拒絶が浮かんでしまうのだろう。
それがどれほど心に重いことか、自覚したくもないくらいなのに。
彼女の困惑した様子が、容赦なく彼の心を痛ませた。
けれど。呼ぶたびに彼女にこんな表情をさせるくらいならば、名前など呼ばない方がいい。

「氷室君の言葉ではないけれど、心ない者に贔屓をしていると思われても困るからね。
 ね、くん」
殊更に理由を付けてみせ、元の呼び名で呼んだ彼に。
しかし少女は、俯いたまま首を振った。

「いえ。……天之橋さんのご迷惑でなければ、名前で呼んでください」
「しかし……」
意外な反応に、返す言葉を迷った末、
「しかし君は、あまり……その……快く思わないのではないのかね?」
そう告げたとき、オーダーした品が運ばれてきた。
カチャカチャとカップがたてるかすかな音だけが、二人の間に響く。
『これでオーダーはお揃いですか?』などと聞くような店ではなく、客の邪魔をしないように静かに飲み物が置かれ、店員はすっと席を離れた。
目の前のミルクティをひとくち飲んでから、少女はもう一度ふるりと首を振った。
「違うんです。……あの、嫌なんじゃなくて……上手く言えないんですけど」
説明に困ったような様子で、上目遣いに彼を見上げる。
「その…私、せんせぇの話で言った通り、呼び名なんてただの表現方法だと思ってるんです。
 なんて呼ばれようが、それはその人の好みであって、違いはないって」
「ふむ」
「名字より名前の方が親しげだから、仲のいい人には名前で呼んで欲しいけど。
 でも、さんって呼んでくれる人が親しくないわけではないですよね。
 そんなことで、親しさは表せないって思ってたんです……、けど」
口ごもった台詞の先を、無言で促す彼に。
少女はつと瞳を伏せた。

言えない。
これ以上言ってしまうことは、そう、まるで告白と同じ。

他の多くの友達と同じように、ただ、名前を呼ばれただけなのに。
名前なんて偶然つけられた、個別認識のための記号だとさえ思ってるのに。
なのに、このひとに呼ばれると。どうしても、心安らかではいられないなんて。

名字で呼ばれたときは、安心していられたのに。
名前を呼ばれただけで、ドキドキしてめまいがする。

他の誰が呼んでも、何とも思わない、ただの記号。
だけど、このひとに呼ばれるときだけ違う。
自分の名前に、って呼ばれることに、意味があるような気がしてしまう。それどころか、意味を期待してしまう。
特別って、こういうことなんだろうか?

そんなことを真っ正面から本人に言えるはずもなく、少女はかすかに頬を染めながら、小さく呟いた。
「や、やっぱり……上手く説明できないです。ごめんなさい。」
拍子抜けした表情で、天之橋はお茶を手に取る。
「ま、まあ……構わないが。……本当に、嫌なわけではないんだね?」
「はい」
それだけははっきりと瞳を上げて答える少女に、彼は満足げに頷いた。
「では私は、それだけで良いよ」
それ以上、追求しない彼に感謝しながら。
心の中でこっそりと、氷室に詫びる。

心弱くなんて、生意気言って……ごめんなさい。

「では、。……日曜の話に戻ろうか?」
「……はい!」
まだ恥ずかしそうにしながら、それでも彼の呼びかけに応える少女。


名前で呼ぶようになっても、二人の関係は何も変わらない。
彼は学園の理事長で、彼女はその生徒。

ただ呼ばれて振り向く少女の表情だけが、今までとは違う微笑みを絶やさなくなった。
そしてそれが、なにかの始まりであることに……二人はまだ気づいていなかった。
 

FIN.

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