「で、ね。いきなり来て、天之橋さんを驚かせようかなって思って。
せっかく来るんなら、制服を着て変装してみたんです〜!」
嬉しそうにはしゃぎながら、少女は経緯を話している。
どうやら、大学の試験は先ほど終了したらしい。家に帰り、着替えてその足ですぐにここに来たという。
「そんなことをしなくても、電話をくれたら迎えに行ったのに」
天之橋がそう言うと、彼女はとんでもないというように首を振った。
「駄目ですよ!天之橋さん、お仕事がお忙しいんでしょう?
私が会いたいだけなのに、そんなお手間は取らせられません!」
その言葉に、苦笑する。
彼女はいつになったら、自分の気持ちを理解してくれるのだろうか?
「私も、君に会いたかったよ。会いに来てくれたのは嬉しいけれど、遠慮されるのは困る。
君にお願いをされるのは、私にはとても倖せなことなんだ。それを分かってほしいな」
いいね?と瞳をのぞき込むと、彼女はさっと頬を染めた。
急に、状況が気になったように、下を見る。
「あの……天之橋さん。あの、下ろしてください。……重い、から」
自分を抱き上げたままの彼に、小さく言う。
「別に重くはないよ」
「でも………」
言い淀む少女に、天之橋はまた笑う。
「では、これでいいかな?お嬢さん」
そう言ってソファに歩み寄り、そこに座ると、天之橋は膝の上に少女の身体を下ろした。
コレの方がよっぽど恥ずかしいです、とは言えず、少女は黙って顔を赤らめる。
「そういえば……氷室先生から逃げていたのは、どうしてかね?」
ふと、疑問を口にすると。
少女は思い出したように、あっと声を上げた。
「そうだ。それで、校内に入ったら、知っている後輩とかも全然気づかなくて。
髪型と眼鏡だけで分からないんだなって思ってたら、せんせぇに声を掛けられたんです」
氷室は、十数メートル先から彼女を見つけ、驚愕の表情をして彼女を呼び止めたという。
まぁ、数ヶ月前に卒業した生徒が制服を着て学内にいたら、驚かない方が変だけれども。
「少し雑談をしてたら、急に、“そういえば、君は卒業したと思っていたが……人を欺くような格好は感心しない。
帰って着替えてくるように”って。
今日だけ見逃して下さいって言っても全然聞いてくれなくって、それで、逃げてきたんです」
ぺろりと舌を出し、少女はいたずらっぽく笑う。
着替えてきたら、天之橋を驚かせることも出来ないし、そもそも会えるのが遅くなってしまう。
そんな心の動きを見透かして、彼はくすりと笑った。
彼女は変わらない。自分の気持ちをいつも素直に彼に告げる。
それが何より、天之橋には嬉しかった。
「そうか。しかし、試験で疲れているのではないのかね?今日は帰って休んだ方が……」
多少の努力をしてそう言うと、少女はつと目を伏せ、彼の肩にこつんと額を預けた。
「……?」
「私……ここにいたら、……お仕事の邪魔ですか?」
呟かれる言葉に、とっさに言葉を失う。
「ずっとお話しして、なんて言いません。お仕事してる天之橋さんを見てるだけでいいんです。
これって……お願い、してもいいことなんでしょうか?」
そう言って、見上げた目は不安そうに揺れていて。
愛しさのあまり、口づけずにはいられなかった。
「……っ」
少しだけ身をよじり、少女は彼の肩をきゅっと掴む。
その手に、拒否する力はこもってなくて。
逆に、引き寄せるような力を感じる。
それを確認してしまうと、つい、口づけが深くなる。
「んっ……」
在学中、この部屋で頬に触れられたり軽く抱きしめられたりしたことはあったけれど。
そして卒業後、こんなキスをされたことは何度もあるけれど。
この部屋で、制服姿で、彼の膝の上で。
こんなふうにキスされると、涙が出そうになってしまう。
三年間、彼女はついに彼の気持ちを確かめる勇気を出せなかったから。
毎日一緒にいられて倖せだったけれども、やっぱりどこかに不安はあって。
疑ったことも、泣いたことも、嫉妬したこともあった。
そのときの不安な自分に、彼が応えてくれたような気がして。
すごく、しあわせな気持ちになった。
やがて唇を離したとき、少女の頬に流れる涙に。
彼は、うろたえはしなかった。
「……では、君の言葉に甘えさせてもらおうかな」
もう一度、涙をすくうように口づける。
「すぐに仕事を片づけて、君を送っていくよ。少しだけ待っててもらえるかい?
できたら……君のお茶を飲ませてもらえると、嬉しいんだが」
少女は指で涙を拭いながら、倖せそうに頷いた。
「はい。わたし、ずっと傍にいますから」
FIN. |