『この突き当たりのお部屋で御座います』と伝えて。
執事は、途中で同行を辞した。
行ったことのない部屋に、ひとりで行くのは心細かったけれど。
『万が一お部屋を間違われたとしても。この屋敷で、貴方様が入れないお部屋は御座いません』と穏やかに告げられて。
少女はひとり、教えられた廊下を進んでいく。
本当に、迷いそうなくらい広い。天之橋に言わせれば、親から受け継いだものなので何の自慢もできない、ということだけれど。この屋敷を管理するだけでも相当の手腕が必要なんじゃないだろうか。
そんなことを思いながらしばらく歩くと、やがてそれらしい重厚な扉が見えてきた。
どきどきしながら、扉をノックする。返事はない。
何度かそれを繰り返し引き返そうかと迷った末、少女は執事の言葉を思い出し、思い切って扉を開けた。
「……失礼します」
やっぱり、返事はない。
少女はためらいながら、部屋の中に足を踏み入れた。
彼らしい趣味のいい部屋。広いけれど家具は少なめで、本棚がいくつかと、机と、ソファくらいしかない。
雰囲気はまるで学園の理事長室と同じで。彼女は少しだけ頬をゆるませた。
しかし、その部屋のどこにも、天之橋の姿はない。
部屋の中まで進み、少女は右手にあるドアを見つけた。ここが寝室だろうか?
「……あ」
そっと開けると、正面のベッドにいる彼の姿が目に入り、少女はそろそろとドアを閉めた。
近づくにつれ、彼が眠り込んでいるのが分かり、起こさないように静かに近寄る。
………。
………。
か、かわいい……。
傍まで寄ってのぞき込み、少女はついそんなことを思った。
眼鏡は半分以上ずれ、後ろに流した髪も少し乱れていて、手はタイを外しかけたまま止まっている。
疲れていたところに酒を飲み、部屋に帰ってきてそのまま眠ってしまったのだろう。
靴も脱がないままにベッドに倒れ込んで眠っている彼はあどけなく、少女は微笑を禁じ得なかった。
そっと手を握ると、ぴくりと眉が動き、ゆっくりと握り返してくる。
「天之橋さん……だいすき」
思わず、寝息を立てる唇にキスをする。
と。
いきなり彼の腕が動き、彼女を攫いながら寝返りを打った。
「きゃ!」
スプリングの効いたベッドに落とされながら、起こしてしまったか?と彼を見上げると。
彼は目を閉じたまま、なにやらぽそぽそと呟いている。
その腕はしっかりと、少女の体に回され。
そのまま、少女を抱き寄せ、額に口づけた。
あ。ねぼけてるんだ……
暖かい唇を受けながら、少女は思う。
その仕草は子供のようで、いつもの彼を知っている少女にはくすぐったかった。
しかし。
「……あっ」
彼は、子供ではなく。
抱きしめた彼女の体を、なぞるようになで上げる。
いつの間に外されたのだろう、ツーピースのドレスの上着のファスナーは全開で。
それをめくり上げ、手首で止められると、ちょうど両手首を拘束されたような格好になってしまう。
「やっ……んっ」
そのまま、露わになった首筋や胸に、キスの雨が降り注ぐ。
少しもがくように抵抗しかけた少女は、しかし、次の瞬間それをやめた。
「」
おそらく夢を見ているのだろう彼が、呟いた自分の名前。
それには、少女が赤面してしまうほどの甘い愛情が込められていたから。
彼は、卒業式の日のあの時以来、キス以上のことをしたことはない。
別にそれが不自然だということではないけれど。
18の女の子として、そういうことに興味がないと言えば……嘘になる。
あれ以来、そんなそぶりを全く見せない彼に、そういう面で自分に興味が無くなったのかと思うこともある。
だから。
少女は抵抗せず、身を任せることを決めた。
それが、もしかしたら間違いだったかも知れないと。
思ったのは、しばらく経ってからだったけれど。
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