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 Red Signal 1 

「あの、これから……どこか行くんですか?」
「……?」

後ろから話しかけられてふと振り向くと、さっき会ったばかりの少女が微笑んでいるのが見えた。

「……決めてないけど。遊びに。」
「一緒に行きたいな。連れてってもらっても、いいですか?」

こちらを見上げる、親しげな色の瞳。
拒否する雰囲気がないのを感じ取ったように、少女はゆっくりと手を伸ばして彼の袖を引いた。

先ほど兄から紹介された時は、『深窓のお嬢様』を絵に描いたようで、とても大人びて見えた。
優雅な所作、言葉遣い、笑い声でさえ絶妙のタイミングとコントロール。
落ち着いたアンティークの調度品の中でも浮いた感じは全く無く、『天然記念物だな』と言いそうになった程だ。
兄が女を連れているところは初めて見たが、正にイメージ通り、といったところ。

しかし今、目の前にいる少女は、その古風で圧倒的なお嬢様然とした雰囲気を無くし、代わりに年齢相応の無邪気な笑顔を浮かべている。

「お嬢ちゃんの行く所じゃないよ。……遊びたければ、一鶴がどこにでも連れてってくれるだろ?」

不思議に思いながら問うと、少女が少し考えるような顔になった。

「うん、色々連れてってくれる。植物園とか、ショッピングとかクラッシックのコンサート……」

視線を宙に遊ばせて、指折り数えるその言葉に何となく納得がいって。

「なるほど、ね。遊びに行きたいんじゃなくてアソビに行きたい訳だ?」

微妙なニュアンスの違いで答えると、少女はそれに満足そうに頷いて、ニコリと笑った。

「それも、すごく楽しいんだけど。…でも、そういうのじゃないところも、行ってみたくて。」
「…それはわかるけど、どうして俺なの?マズイでしょ、やっぱ…弟だし?一鶴に怒られるぞ。」

らしくなさに自分でも苦笑しながら一応そう言うと、少女はコロコロ笑いながら指を唇に当てた。

「ナイショ、だもん。別に恋人とかじゃないし。一世さんと一緒なら危なくないでしょ?」

俺と一緒で危なくないって…どこが?

黒のダブルスーツにワイン色のシャツは第二ボタンまで開けていて、プラチナのネックレスにサングラスまでしている自分の格好は、どう大目に見てもホストか、悪くすればそのスジの人だ。

人をナメてんのか、世間ずれしてないのか…

「さあ……どうだろうな?車に乗ったとたん襲うかもよ?」

面白半分の声音で、でも幾分トーンを落として囁いてみる。

「そんな事しないでしょう?」

クスッと笑い、事も無げに返す瞳に妙な迫力。
何だか誰かを思い出しそうなその声には、何故か反論出来なかった。

「……わかった。わかったから、そんなに見るな。……ったく、知らねぇぞ…」
「わぁ、ありがとう!」

嬉しそうな笑顔の少女と少しばかりの罪悪感を伴って、彼は屋敷を後にした。



「…………………。」

二階にある自室の窓。
夕日の赤みを帯びた金色に、車に向かう二つの長い影が刻み込まれているかの様に鮮明で…目が離せない。
信じられない気持ちと、やはりと思う気持ちが同居し、ため息が漏れる。

今日は全てが予想外の…厄日だった。

見るはずだった芝居の主役が急遽降板となり、代役のものを見せるのも嫌で。
せっかくの休みに時間を割いてくれたのだから、と家に招待し、少し遅い午後のお茶を飲んでいるところにやってきた弟。

奔放な彼は、厳格な前理事長だった父親と全く折り合わず、家を出て不動産会社を立ち上げた。それから十年程で財を成し、今では社員三百人、年収は億を越える。
父親が亡くなった後はたまに顔を出していたが、それが今日、まさか彼女を初めて家に招待した日に会わせることになるとは夢にも思っていなかった。

君、私の弟でね……」
「……天之橋一世です。よろしく。」

流れるようなイングランド式の最敬礼をした彼に、一瞬だけ彼女の目が奪われたような気がした、けれど。

 です。はじめまして。」

ふわりと微笑み、少しかがんで模範的な返礼をした少女は、いつもと何ら変わり無く。
それだけなら、気のせいだと思った。

「じゃあ、俺はまた日を改めるから……ごゆっくり。」

そう言って出ていった一世の後を追うように、彼女は暇乞いをして。
もうすぐ君の好みそうなお菓子が焼き上がるよ、とそれぐらいしか引き留める理由の見つからなかった自分に。

「ごめんなさい。また、この次に……。」

にっこり笑って、失礼します、と告げた表情も、やっぱりいつもと変わらなかった。



黒いコルベットに乗り込む少女。
やがて大きな排気音が遠ざかるのを聞きながらカーテンを閉めた。

見てしまった事を後悔しながら。

 

◇     ◇     ◇

 

「いらっしゃ……あらぁ?一世君じゃない。久しぶりね。」

その服では連れていけないから、と乗り付けたのは、とあるブティック。
静かで広い店内には、胸をこれでもかと強調したり腰までスリットが入ったりしているドレスを、きらびやかな宝石とともに着飾ったマネキンがライトアップされている。

「コイツ、頼む。」

入り口で、並んだ服に呆気に取られている少女を、馴染みの店主に軽く押し出す。
唇の脇にあるほくろに手を添えるようにして、少女を上から下まで眺めた店主は、やがてニッコリ笑った。

「任せてちょうだい。素敵にドレスアップしてあげてよ。……さ、こっちに来てね。何色が好きかしら?」

背中の大きく開いたドレスの店主に連れられ、フィッティングルームに消える少女を少しだけ目で追った後、彼は店内に設けられたサロンに落ち着き、細い煙草に火を点けた。



「……これでどうかしら?」

三本目が灰になった頃、奥から掛けられた声に目を上げると。
鏡に囲まれたフィッティングルームから、少女は少し恥ずかしそうにおずおずと目の前に立った。

プリンセスラインが綺麗なスミレ色のドレスに、黒に近い深紅のエナメルの低めのヒール。ネックレスとピアスはセットの色の濃いアメジスト。
店にある大人びたセクシー系ドレスの中で、その色合いは浮かび上がるように趣を違えている。

「色々試してみたんだけど、やっぱりこういう色と形が似合うわぁ。……でも貴方の趣味じゃないかしら?」

彼はしばらくそれを眺めた後、店主にカードを差し出して肯定の意を示した。

「ウチのカラーじゃないから返そうと思ってたんだけど、似合う娘が来てよかったわ。楽しかったからまた連れてきてね。」

ドアまで見送ってくれた店主は、シルクのストールを少女の肩に着せ掛け、頬にキスをして小さく手を振った。



「あの…こういう服って一世さんの趣味じゃないの?」

黙ったまま車を走らせる彼に、少し居心地悪そうに少女が問う。
今まで、デートといえばまず服を誉められて始まっていたから、なんとなく何か言われないと落ち着かない。

……お姉さんは似合うって言ってくれたけど、やっぱり子供っぽいのかな……。

シュンと俯きかけた少女に、信号待ちでやっと彼が口を開いた。

「おまえは俺の好みに合わせなくていいよ。……もうちょっと出るとこ出てないと似合わないしな。」
「ひどーいっっ!」

ぷうっとむくれかけた少女に、笑って。

「ほら、そんな顔じゃ、な。」

慌ててすました顔に戻る少女の頬を、ふに、と指でつまんで崩す。

「……そのまんまでいいっつってんだろ。着たい服着て、笑ってろ。」

当たり前のようにそう言った彼に、心臓が跳ねた。
何故出会ったばかりの彼に惹かれたのか、一緒に居たいと思ったのか。

十七歳という自分のテンションや好む服は、大人で紳士な彼の兄と同じでは無くて。
それが自然と言えばそうなのだろう、けれど優しい彼の期待に応えたくて。
メイクや普段着、喋り方、立ち居振る舞いまで、いつも気を張っていて。
それが嫌なわけでも、強制された訳でも、決してなかったのだけれど。
似合うようになりたくて「いつも自分を磨いて」いたんだけど……

少しだけ……時々、そのままの自分でいたいと思うこともあった。
考えることなく思ったままを言葉にしたり、躊躇せずに笑ったり。
この人にはそうしてもいいと思わせるような雰囲気があったから。

どうでもいい、じゃなく、そのままでいいと…言ってくれた。

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