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 羽根 1 

「みぃ〜つきさぁ〜ん!!」

遠くから呼ばれる大声に、彼女は話を止めて振り返った。
大学構内の中庭のベンチ、隣に掛けていた男はデートに誘おうと思っていた矢先の出来事に舌打ちを飲み込んで憮然とした視線を送る。

「どうしたのよ花椿くん、そんなに慌てて」

足元に転がり込んで来そうな勢いで彼女の元に走り込んだ花椿が、胸を押さえて殆ど無いベンチの隙間に無理矢理座った。

「あぁあ〜全力疾走なんて久しぶりにしちゃったワ〜。前にしたのは確かヤクザのベンツを蹴ってへこませちゃった時だったかしらァ〜」
「何なんだ花椿…用件を、手短に、話せ」

句読点を強調しながら低い声で話す親友の言葉には耳を貸さず、彼が持っていたピクニックセットの小さなティーカップを引ったくる。
三月が笑いながら紅茶を注ぐと、彼はカップを一息に煽って『おかわり!』と悪びれずに突き出した。

「そんな飲み方では味もなにも無いだろう!?」
「味もなにも分かんなかったからおかわりしてるんじゃないの」
「それならそんな飲み方しなければいいじゃないか!」
「もうごちゃごちゃうっさいわネ!外野は黙ってなさいよ」
「私が先に話していたんだぞ!お前が外野なんだ!」

徐々にヒートアップしてくる口論を楽しげに聞きながら彼女はピクニックセットに手を伸ばす。
ローストビーフサンドと野菜サンドをおいしく食べ終わり、お茶を飲み干し、手をはたき、それから両者の頬っぺたを平等につねり上げた。

「い、イイィィー!!」
「あううぅーーっ…」
「オ・シ・マ・イ…ね?」

ニッコリ笑われて、二人とも互いの胸ぐらを掴んでいた手を即座に離す。
抱いている想いからだけではない聞き分けの良さは、彼女と過ごした時間によっての後天性神経反射とも言える素早さ。
悪戯をした子供が母親に叱られる時そのものの絶対的な畏怖と許しを乞う瞳で、大の男二人が三月を見上げる。

「よろしい

彼女が満足げに笑って頬を離すと、そこに手を遣りながら互いに相手の非を目でなじり合う。

「それで?何を慌ててたの?」

黙したまま目配せに必死になっていた花椿が、我に返った様に笑顔を見せ声を弾ませた。

「そうだったワ!アタシ、コレクションに出して貰える事になったの!!」
「コレクションって今度の春物の?」
「そう!十二月にある先生の春コレに前座で五点出させて貰えることになったの!勿論アタシの名前でヨ!?」
「それってデビューじゃないの!最近忙しそうだなと思ってたら…もう完成したの!?」
「デザインはね。布もレースも何でも使っていいって言ってくれてるから、これから制作に入って…またしばらくは大学にも来れないかも」

そう言いながら親友に目を遣った。
天之橋が分かった、というように微かに頷く。


互いに同じ想いを抱いている事は分かっている。
抜け駆けも手段の一つで咎める事も咎められる事も無い。
けれど、どちらかあるいは両方が彼女に付いている事は絶対の掟。
小柄だがスタイルはかなり良いし、誰とでも気さくに話す性格の良さに愛らしい顔の彼女は狙っている男も多く、自分達が少しでも目を離すと必ず声を掛けられているのだ。
勘は鋭いし、酔い潰される事も無いのだけれど、力ずくで来られればやはりかなわない事は目に見えている。
だから、どちらかが大学に来られないような事があると、多少のリスクは覚悟で片方に側に居てくれるように頼む。
もしそれで相手の恋人になってしまったとしても、彼女の安全には替えられないから。
それはお互いに、相手が彼女を傷つけないという絶対の信頼の上、ずっと前から成り立っている。


「それじゃあ学祭には…来れないの?」

彼女が少し首を傾げて不安そうに言った。
彼の成功は嬉しいけれど、という複雑な表情。
花椿と密約を交わしている天之橋も、彼を厳しい目で見る。

十二月には大学祭があり、三人でバンドを組もうと言い出したのは彼女だった。
目立つ事が大好きな花椿が喜び勇んでギターを快諾。誘いこまれた天之橋も彼女に『お願い』されピアノを了承し、ついでに知り合いの楽団からドラムも引っ張ってきた。三月は勿論ボーカル。
メジャーアーティストのカバー曲がメインだったが、二人は彼女に内緒で練習しているオリジナル曲があった。

花椿も、天之橋も、年上だが休学していた彼女も、もうすぐ卒業。
天之橋は父親の後を継ぐべく、秘書の任に就く事が決定していたし、三月は新鋭のデザイナーとして一人立ちが出来ている。
そして、今、花椿はデザイナーとしての一歩を踏み出した。


わざわざ家まで来て、白黒つけようと言い出したのは花椿だった。
今思えば、その時に内定か何か貰ったのかも知れない。
徹夜したらしい赤い目で、作詞してきた、と紙切れを出して天之橋に渡した。

「ずっと張り合ってきて、アプローチもさんざんして来たけど…全然気付いてくれないしさ。だから、はっきりさせた方が良くない?」
「………………」
「やっぱりアンタに黙って告白なんて出来ないから…アタシは学祭で行くワ」

きっぱり言い切った親友の瞳をじっと見て、天之橋が溜息を吐いた。
この二年、三人の関係は仲の良い友人で。
想いを秘めた自分達が変わらず親友でいられたのも奇跡的なのかもしれない。
彼女がどちらかの恋人になれば互いに親友を失う事になるという葛藤と想いを、秤に掛けきれずにここまで来たのだ。
軽い口調の裏にある花椿の苦しみを思った。

「……勝算はあるのか?」
「さあねぇ、どうかしら?…アンタが相手じゃなかったら、あったかもね」
「皆の前でそんな事を言われたら困るんじゃないのか?」
「お祭りだからいいのよ。二人きりであんまりシリアスになりすぎるとダメだった時に気を遣わせるじゃない?」
「そうか……そうだな。私達の為に自分の気持ちを偽る事も…彼女ならしないな」
「どっちにしてもアタシ達が変わらなければいいのよ…簡単でしょ?」
「………あぁ、簡単だな」

顔を見合わせて、二人が笑う。
親友が言い出さなかったら、伝えなかったかも知れない。
後悔すると分かっていても、今の関係を壊す勇気は出なかったかも知れない。

「曲を作ればいいんだな?」
「そうよ、出来たらテープ送って。最後に二人で歌うんだから練習もしといて。当然、告白はアタシからよ?」
「歌う?私もか!?」
「イヤならいいワ。それならアタシの勝ちね
「………させるか」
「ハイ、決まり。……じゃあ帰るワ」

ひらひらと手を振って出ていく花椿を見送って、天之橋はもう一度、深い溜息を吐いた。

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