「今日は天気もいいし、馬で遠乗りに行かないかい?」
朝食の後、ミルクティのカップを持った彼が提案し、英語で隣に座ったマリィに楽しそうに告げる。
途端に彼女は手を叩いて喜び、彼の腕に抱きついた。
『わぁっ、私イチと並んで馬に乗りたかったの!だって昔は一人では乗らせてもらえなかったじゃない?』
『ハハ、それは仕方がないよ…あの頃の君はずいぶん無茶をする娘だったからね。』
『だって私は競争したかったの。イチの馬に乗っても、いつもゆっくりとしか走らせてくれなかったから。』
行きたくない…
彼が、馬に乗ったことのないわたしを一人にはしない事が分かるから。
邪魔で足手まといな、自分。
わたしが返事をする暇はなかったけど…もし聞かれても、言えるはずない。
あんなに嬉しそうな彼も、わたしが行かない言えばすぐに予定を変えてしまうだろう。
「アタシ、遠慮するワ。」
誰にも気付かれないように、そっと小さく息を吐いた少女を横目で見て。
先に食事を終えてソファで雑誌を広げていた花椿が、ダイニングテーブルに声を掛けた。
「今日はお馬サンに乗ってお尻痛くしてる場合じゃないの。ちょっとお出掛けしてくるから車貸してね、ジム。」
事も無げに断る花椿に、少女は驚いてそちらを見て。
それから提案した彼を見る。
天之橋は別段気に留めた様子もなくティーカップを置いた。
「いいデスヨ。キィは付いてるから…ガスは満タンにして返してね、もう半分しか入ってなかった。」
「あこぎな商売してんじゃない?…ま、いいワ。」
“お弁当を作るから手伝って”と台所に引っ張っていかれる彼の後ろ姿を見送って。
花椿は同じように台所の方を見つめていた少女をつんとつついた。
「アタシ、今日ピカデリーサーカスまで行くんだけど、三優どうする?」
「え?…どうするって……」
「アンタ行きたくないでしょ、遠乗りなんて。」
一瞬、ドキリ、として。
カップを口元に運ぼうとしていた手が止まる。
「Why?三優、どうして?馬キライ?」
「……いいえ、そんな…」
ジムの意外そうな言葉に、戸惑いながら首を振って。
少女は、困ったように花椿を見た。
「見るのは好きよね?でも、アタシと三優はデリケートなの。あんなモン乗ってたら痔になっちゃうワ!」
「あぁ、そうか。乗り慣れてない人はみんなオシリ痛いって言うからね〜。…アレ?でもゴローは…」
「ナンカ文句あるっっ!?」
「……イエ。ないデス。」
引っかかるものを感じて首をひねっていたジムが、慌てて目を逸らす。
「…せんせい、でもそれって…お仕事じゃ…?」
「そうよ、買い物するから荷物がねぇ…とても一人じゃ持ちきれないし、アンタはウチのバイトでしょ?…ランチ奢るけど?」
ニッコリ笑う花椿に、少女の顔が輝いた。
「はい…それじゃお供します。」
「決ーまった!…じゃあアタシ達行ってくるから、ジムが伝えといてね?…アデュー。」
◇ ◇ ◇
都心に向かう車の中、花椿せんせいは運転しながらハリウッドスターの面白い話をたくさん聞かせてくれて。
ピカデリーサーカスに着けば、たくさんのいろんなお店を走り廻って。
入ったブティックで、わたしを着せ替え人形にしては次々にレジに積み上げる。
“特にお気に入りだから大事に持ってて”と渡される紙袋は、彼が自分で持っているものより明らかに軽い。
彼のファッションしては珍しい、細身のジーンズの後ろポケットに裸で入ったゴールドカードが、両手いっぱいの荷物を作った。
「ふぁ〜、なんか一生分買い物した気分ですね。」
くたくたになって入ったオープンカフェで、午後の紅茶。
かわいらしいマフィンやスコーンを食べながら笑う少女に、花椿は心の中で安堵の息をついた。
「…ちょっとは元気出た?ストレス解消には買い物がイチバンでしょ?」
「……はい、ありがとうございます。」
思い出したのか、曇った顔に無理やり笑顔を作る。
軽く溜息をつきながら、花椿が切り出した。
「……マリィはね、父親の顔を知らないの。」
「……え?」
「初めて会ったのは十年前。アタシはまだ駆け出しだったし、一鶴は家を継ぐかどうか迷ってた。……マリィはね、薔薇園の隅っこで泣いてたワ。」
「…………。」
「母親が入院しててジムの所に預けられてたんだけど、“学校のペアレンツディに誰も来ないのはマリィの所だけね?”って、わざわざ担任が皆の前で聞いたらしいのよ…それ聞いて、アイツ烈火の如く怒ってねェ、担任呼び出すわ校長室に乗り込むわ…もちろんペアレンツディにも出席して。……はばたき学園って初等科からあるけど、参観日ないの知ってた?」
「………あ……。」
「それからマリィは一鶴にベッタリ。クリスマスイブに靴下の中のぞいたら、“イチがお父さんになってくれますように”って書いてあったワ。…いい、三優?一鶴にとってマリィは娘のような存在なの。マリィにしてみてもそう。…だからアンタは何も心配しなくていいのヨ?わかったわね?」
「……はい。」
「それでもって、だからって一鶴を許してやるワケにはいかないワ!」
「……は?」
「浮かれすぎヨ!三優の気持ちなんて、ちっっっとも考えないでナニあの態度!アッタマ来ない!?」
「……あの、でも…。」
「あぁ!三優取ってやったくらいじゃ治まらないワ!許してやることないからねっ!!」
ぷりぷり怒る花椿に、鉛を抱えているような胸の中が少しだけ軽くなっていった。 |