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 ルービックキューブ 1 

時刻は午後三時をまわり、彼女は廊下を慎重に歩いていた。
手にはいつものように、ティーセットと朝焼いたお菓子の乗ったトレイを持って。

コンコンッ…
軽いノックをしてしばらくの空白。

「?」

いつもなら五秒かそこらでいっぱいに開けられるはずの両開きの扉が、今日は閉ざされたまま。
片側を開ければ余裕を持って通れるのに、彼は毎日必ず両方のドアをいっぱいに開く。
そういう習慣なのか、と思えば一人で出入りする時はそうではない。
以前、お茶を飲みながらひとつの話題が尽きた時、ふと聞いてみたことがある。
「そんな些細なことで、一日の最大の楽しみを失いたくはないからね。」
優しい笑顔でそう言われ顔を赤らめかけた彼女は、その言葉の意味に気付いて頬をふくらませた。
「わたし、そんなおっちょこちょいじゃありませんっ。」
答えたのは可笑しそうな笑い声だった。

そんなことを思い出しながら、もう一度不自由な手を何とか空ける。
しかしその手が触れる寸前で、扉は内側から開かれた。

やぁ、来たねお嬢さん。

そして、お茶会開始のキーワードとなるその言葉が、今日はなく。
目の前に立った彼の微笑みがいつもとは微妙に違う。
嬉しさと、ほんの少しの戸惑い。
それを敏感に感じた彼女が、慌てて先に口を開いた。

「ごめんなさい、お忙しかった、ですか?」
申し訳なさそうな少女の言葉に、彼が慌てて首を振る。
「いや、何でもないよ。すまない、重かったかい?」
「いいえ、大丈夫です……」

彼の表情に気を取られていて気付かなかったが、理事長室には先客がいた。
ソファに座り背中を向けていた男性が、こちらをゆっくりと振り返る。

「あ…あっ、ごめんなさい、お客様がいらしてたんですね。じゃあ今日はこれで…っ。」
「いや、構わないよ。紹介してあげるから、おいで。」
彼女のトレイを取り上げて先に立つ彼の後を、少し迷ってからおずおずと追いかける。

テーブルの上の、先程事務員が持ってきたお茶のカップを手早く片付けて天之橋がトレイを置いた。
彼が躊躇した理由がそこにある。
事務員には『どうぞ』と入室を許可しただけの自分が、ノックの音で少女だと見極めてわざわざ扉を開けに立って行くのを新任の部下に見られていいものか、しばし迷ったのだ。
しかし、扉の向こうでティーセットと鞄を持ち困っている少女を思うと『どうぞ』などと言えるわけがなく、その事は黙殺することにしたのだった。

「彼女は二年の小澤三優くん、私の茶飲み友達でね。…小澤くん、新任の保健の先生だよ。」
「小澤三優です、よろしくお願いしますっ。」
ぺコリと頭を下げた彼女に、聞き覚えのある声が降ってきた。

「あぁ、やっぱり三優ちゃんだ。」

ばっ、と顔をあげた彼女が、思わず不審そうな目をした天之橋にも気付かずに大きな声を出した。
「さ、聡センセ!?聡センセじゃないですかぁー!」
「元気そうだね。まぁ最近見ないから元気なんだろうな、とは思っていたけど。」
「もーピンピンしてますっ。ネクタイなんてしてるから、ぜんっぜんわかんなかったです〜!!」
「さすがに白衣で御挨拶に来るわけにはいかないと思ってね。」
「ですよね〜。あのヨレヨレの白衣じゃ来れませんよね〜。」

今にも飛びつかんばかりにはしゃいで楽しそうにクスクス笑う彼女に、天之橋は心の暗雲を抑え込みなんとか微笑を作って割って入った。

「……紹介はいらないようだね。知り合いかい?」
「はい。ちっちゃい時から診てもらってる病院の、若先生なんです。」
「まぁ、立ち話もなんだから、お茶にしよう。宮内先生、彼女のお菓子はとてもおいしいんだよ。」
「あ、いえ僕はこれで……」
その言葉にホッとしかけた天之橋が、次の彼女の言葉に、再び心中穏やかではいられなくなった。
「え、帰っちゃうんですか!?ほんとにほんとにおいしいんですからね、センセにあげた頃よりずっと上達してるんですから、後悔しますよ〜!ねっ、天之橋さん!?」

あげた?手作りのお菓子を?三優が?

頭の中をぐるぐるまわる言葉にめまいを覚えながら、なんとか二の句を継ぐ。
「……そうだね、後悔先に立たずというか、発つ鳥跡を濁さずというか…いや、もし時間が許すなら、だが。」
本音が口を突くのを精一杯の努力で抑えながらひねり出した訳のわからない言葉に、彼女が笑った。
「お茶飲む時間くらいありますよね、ねっ?お茶会はたくさんでした方が楽しいし。」
彼は、凍りついた微笑の上司と、先程から電気を帯びている空気に気付きもしないでにこにこしている少女を、順に見て。
「…それじゃ、少しだけ。」
そう言って不敵に笑った(ように彼には見えた)。

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