「……三優は、あきまへん。」
傍を離れたがらない少女に、風呂に入って着替えしてくるように命じ、人払いをした後。
手当の終わった彼を呼んで、主は真顔で告げた。
「あの子は芯が強うて我慢強い。けど、人を蹴落とすいうのんが出来まへん。
あんたも経営しとるんならわかりまっしゃろ?……なぁ、天之橋グループの社長はん。」
「…………。」
沈黙する彼に構わず、続ける。
「財閥、いうても寄ってくるんはみぃんな腹に一物持った連中ばっかり……それを上手いこと使い分けて、要らんようになったら切り捨てて。いちいち向こうの心配やしてられへん。
……あの子にそんな目見させんで良かった思うとります。」
意外な言葉に、天之橋が顔を上げた。
「ちぃちゃい頃から優しい子でしたわ。捕まえてきた蛍が次の日みんな死んでしもたいうて、泣きながらひとつひとつお墓を作って花供えてなぁ……活け作りにする用の鯛を桶のまま持って走って四条まで逃げたこともありましたわ。」
くすくす笑う主につられて微笑みながら、ずっと前、剪定した薔薇のつぼみを大事そうに拾っていた事を思い出す。
「祖母として。あの子のこと、よろしく頼みますえ天之橋さん。」
「……承知、しました。……けれど跡の事は……」
掛かり付けの医師から、主の身体が思わしくない事も少女の役目が重大だった事も聞き出していた彼には、それが気掛かりだった。
勿論、少女の事は譲れないけれど、自分が老女から何もかも奪った気がして。
気遣わしげな視線に、主はくっくっと笑った。
「心配せんでも、お披露目やなんて嘘やし、私が二百まで生きて牛耳ったらええんやし。
まぁ、あんたが来ぃひんかったらそれはそれで良かったけど。……けど、」
欲しいもんは、絶対傍から放したらあきまへんで
その時、ぱたぱたと廊下を走る音がして。
彼の少女が飛び込んできた。
「天之橋さんっ!手、腕っ、大丈夫ですかっ!」
すがるような目で彼を見て座り込み、肩から吊った右手に震える手でそっと触れる。
「あぁ、大した事ないよ。脱臼しているだけだからね。」
「脱臼……」
まだ不安そうに揺れる瞳から滴が溢れないうちに、彼が話題を変えた。
「浴衣、だね。とてもよく似合う。」
「あ、あの…おばあさまがこれに着替えろと仰ったって……」
急に恥ずかしそうに、少女が頬を染めた。
「当たり前やないの。今日は祇園さんの宵山やで?うちの鉾も見んと、御神酒も飲まんと帰る気ぃやないやろな?
……そうそう、三優は昔、長刀鉾に乗りたいゆうて泣いて泣いて……」
「おばあさま!」
少女が慌てて身を乗り出す。
「女はあかん言われたら、爺やを睨み付けてその場で腰まであった髪を切り落としてしまいよってなぁ。
ほんまあの頃から、妙なところで思い切るのが早い子やったわ」
吹き出した天之橋に、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「そやかて……女やからあかんやいうて、理不尽やと思ったんやもの……」
◇ ◇ ◇
「あの……あのね、天之橋さん……」
祭りの雑踏の中、少女がお囃子にかき消されそうな声で呟いた。
「……うん?」
覗き込まれる瞳に、頬を染めてうつむく。
「手、痛い……ですか?」
「いや、痛くはないよ?」
微笑んで、暗闇でしっかりと少女の手を握った。
「……ほら、ね?」
寄り添って祭り見物に向かう二人の後ろ姿を見ながら。
朱鷺子様は呟いた。
「気に入ったわ。いつか……三優ともども、うちのもんや。」
FIN. |