「誕生日おめでとう。君の、十七歳という一年が幸せであることを祈ってるよ。」
そう言って差し出された、特別な薔薇。
玄関を開けた途端現れたそれに、目を奪われたまま少女がゆっくりと受け取る。
薄紅から深紅へ微妙なグラデーションがかかった年の数だけの薔薇に、霞み草。
一抱えもある花束に魅入られたように言葉が出ない彼女を見て、彼が微笑む。
「気に入って貰えた、かな?」
「こんなきれいな薔薇……見たことないです……」
夢の中にいるような瞳をしている少女から時計へと目を滑らせた彼の表情が、少しだけ曇る。
「おっと……すまない、これから会議があって……」
「あ、あ!ご、ごめんなさい!あんまりキレイで、わたしったらぼぅっとしちゃって……」
真っ赤になって薔薇に顔を埋める仕草が、薔薇よりも愛らしくて。
そのまま硝子の箱に入れて飾っておきたい気になる。
彼は、少し屈んで薔薇越しに少女と目線を合わせた。
「じゃあ、今度の日曜日、食事に行こう。まだお祝いをし足りないから。……いいかね?」
そんな、充分です!お仕事がお忙しいのに……
そんな遠慮の言葉は、彼の優しい瞳に吸い込まれてしまって。
「……はい…うれしい、です……」
小さな声でそう告げるのが精いっぱいの少女の髪に甘いキスをして、極上の笑顔。
「では今度の日曜日、六時に迎えに来るからね。」
言い残して玄関の階段下に停めた車に戻って見上げると、ドアの所まで出て見送ってくれている少女の手が花束の陰で小さく小さく振られていて。
多分自分では気付いてないか、見えていないと思っているのだろう。
天之橋は緩む口元を抑えられず、くっくっと笑った。
いつものように礼儀正しくお辞儀をして『失礼します』と言う彼女も勿論可愛いのだけれど、その親しげな仕草を、見られてないと思ってしている少女がこの上なく愛しい。
もしかしたら、毎回別れ際、自分が背を向けた時にそうしているのかも知れないと考えて、少し勿体なく思って。
今度、突然振り返ってみよう。
そう思いながら時計を見た彼は、会議に少し遅刻するのがわかっても、微笑したまま車を発進させた。
◇ ◇ ◇
「え…?」
「あんたが西九条家に戻るのを早めます、と言うたのです。三年間いうお約束でしたけど、最近私の体調が悪うて……
あんたに教えることは山程あります。来年まで待っとっては、うちが教える事が出来ひんようになるかも知れませんから。」
自分からの贈り物の着物に着替えた少女を前に、『まぁ、よう似合おうて……』と目を細めた後で、その人はそれを口にした。
きっちりと着物を着こなし、ソファに座っても綺麗に爪先まで揃えて真っ直ぐ背筋を伸ばす人。
父方の祖母で、齢七十を越えてなお、その一声は政界をも動かす。妹は皇族に嫁がせたという西九条家の、総帥。西九条朱鷺子様。
「三優に……跡を継げと?でもそれは舞子さんかどちらか、というお話だったんじゃ?」
茶碗をガラスのテーブルに置いたのに、かちゃ、とも言わせない母を見て祖母が微笑む。
「あの子は駄目やわ。判断力ゆうもんがあらしまへん。……三月さんのお点前、久しぶりやわぁ。また腕あげはったんちがう?
ほんまに池月流の本家、継ぎはったらよろしかったのに。せっかくうちの近衛と好きおうたのに籍も入れんと……」
「他にやりたい事がいっぱいあって……それに好きになった人がたまたま近衛さんだっただけで、西九条家にお嫁に行く気はなかったんですもの。三優や尽が生まれただけで幸せだったし。」
久しぶりに見る結い髪の母が、笑いながら返す。
「近衛も早ように死んでしもてから……親不孝な子やわぁ。けど、ほんまに三優は三月さんに似て芯の強い子やから、うちの跡取りにぴったりなんよ?
舞子はあきまへんわ。お勉強が出来ても、上手いこと踊れてもお姫さんやからなぁ……」
「おばあさま、でも、わたし……」
やっと事の重大さが呑み込めた少女が口を挟むが、後の言葉が出ない。
自分しか跡取り候補がいなくなった今、嫌だなどと言える問題ではなく。
しかも、『三年間、普通に高校生活を送らせてくれたら、西九条家に戻っておばあさまのお勉強をするから』と泣きついたのは十五だった自分。
言い淀む少女に、ついに祖母の決定が下った。
「とにかく、次の日曜に迎えに来やす。よろし?」 |