「あの……マスターさん?」
考えにふけっていた俺に、彼女がためらいがちに声を掛けた。
「……あ、ああ。ゴメン、何だっけ?」
我に返り、グラスをシンクに置く。
「どうかしました?なんか、むずかしい顔してましたけど」
「いや……」
言い淀んで、俺は新しいボトルを取り出した。
酒を作ることは好きだった。流れるような作業と、シェイカーを振っているときの無心になれる感じが心地よかった。
ゴブレットにクラッシュドアイスを詰めて、乳白色のシェイカーの中身を注ぎ、ハイビスカスとパイナップルを飾る。
「これはね、バージン・チチっていって、もともとはアルコールの入ったトロピカルカクテルなんだよ。
口当たりがよくて、甘酸っぱくて、女の子に人気がある」
「わかります。キレイ…」
彼女の前にグラスを置くと、彼女は少しそれを眺めてから、嬉しそうに口に運んだ。
「……あっ。すごい、美味しい!」
とたんに、彼女の表情がぱっと輝く。
「そう?」
応える俺の声も、心なしか弾んでしまっている。
「美味しいです〜!私コレ、一番好きかも……」
上目遣いで俺を見ながら、こくこくと喉を鳴らしてカクテルを飲む彼女。
その仕草にも、色気があるように見えてしまう。
心情があると、なんでもそういう風に見えてしまうものなのだろうか?
「マスターさん、もっと飲みたいですぅ!もう一回作ってください!」
「はいはい」
俺がシェイカーを振っている間、飾りのハイビスカスを見つめその花弁に溜まった水分をぺろりと舐める彼女。
無心になれるはずの時間に、それを見つめてしまっている自分は、バーテン失格なのかもしれない。
そうして、その思いが正しかったことに気づいたのは、彼女が三杯目のチチを飲み干した後だった。
「ふにゃ〜……」
いきなり、彼女が意味不明の言葉を発してカウンターに俯せたので。
俺は、驚いて彼女に問いかけた。
「ど、どうしたの!?みゆうちゃん」
「あ〜。おいしいれすぅ〜。気持ちいいれすぅ〜」
「え?」
呂律の回らなさ。赤く染まった顔。
不穏な何かを感じて、俺はあわててカウンターを出た。
「……みゆうちゃん?」
「ふぁい?」
「あの……もしかして、酔ってない?」
「酔ってないれすよ〜〜。なんれジュースれ酔うんれすか〜?」
はっとして、俺はカウンターの中をのぞき込んだ。
「………しまった」
そこには、チチの材料であるパイナップルジュースと、ココナッツミルクと……そしてしっかり、ウオッカの瓶が鎮座ましましていた。
彼女のことを考えるのに夢中だった俺は、ノンアルコールのバージン・チチを作るつもりで。
無意識に、いつものチチを作ってしまっていた。
「み、みゆうちゃん。大丈夫?」
「大丈夫れすよ〜。気持ちいいれすぅ〜。でも、ちょっと眠いれす……」
言いながら、すうっと眠りに落ちそうになる彼女。
「みゆうちゃん!こんなところで寝ちゃダメだよ!」
もうすぐバーとしての開店時間が来る。いつもなら、このあたりの時間で彼女を送っていくのだけれど、この状態で家に帰すのは問題がありすぎる。
かといってこのままここに置いておくのもまずい。誰かに見つかって、彼女がここで酒を飲んだなんて知れたら、もう来てもらえなくなってしまう。
イヤ俺が悪いんだけど、と思いながら、俺は彼女を抱き上げた。
「ふにゃ……義人さぁん……」
半分眠りながら、普段は呼ばない俺の名前を呟く彼女。
きゅっと掴まれた袖が、何故か心に重かった。
彼女を従業員用の仮眠室に寝かせると、俺は携帯を取り出した。
電話したことのない女に電話するには、少し遅い時間だけれど。
「……あ、俺。わかる?」
電話先の女の子は、俺のことを声で分かってくれたようだった。
「ちょっと、頼みがあるんだ。うん…うん、……」
用件を伝えると、彼女は笑って了承してくれた。
「ごめんね。今度店に来たときにサービスするからさ。じゃ」
携帯を閉じ、眠る彼女を見る。
俺は少しだけ笑って、サイドテーブルに水差しを置き、仮眠室を出て鍵を掛けた。
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