「あ、あっ!」
少女は焦った声を出し、慌ててそれを拾い上げた。
両手で大事そうに持ち上げて鞄に仕舞って一瞬だけ、こちらを気にする素振り。
衝動に耐えきれず、天之橋は思わず言葉を漏らした。
「それは……さっきの」
「え?」
瞬間、彼女の顔が強張った気がした。
しまったと思っても、既に遅くて。
「さっきって……天之橋さん?もしかして、見てたんですか?」
「……い、いや……その」
しかし、覗き見をしてしまった後ろめたさよりも、いっそはっきりさせたいという気持ちの方が強くて、白状してしまう。
「……すまない。見ているつもりはなかったのだけれど、その……楽しそうだったから、つい声を掛けそびれて」
それでも、『なんだ、声を掛けてくれればよかったのに』という言葉を期待していた彼に。
少女はこの上なく居心地の悪そうな表情をした。
「そう………です、か」
そのまま、沈黙が降りる。
その小箱は、先程の男が彼女に差し出したものだった。
入るものが限定されそうなくらい、小さな白い箱。飾り気のないそれはまるで、婚約指輪を入れる箱のようで。
一瞬ぎくりとした天之橋の視線の先で、男はそれを少女に握らせ、何事か囁いた。
その箱と、彼の顔を見比べて。驚きの表情が次第に笑顔に変わって。
そして彼女は、彼に抱きつく。
天之橋ですら、あんなにあからさまに喜ぶ彼女は見たことがなかった。
自分がどんなものを贈っても、彼女は手を叩いて微笑って、礼を言って。
けれどあんな、我を忘れたように嬉しがっている姿は、彼の記憶にはない。
それが、どうしても心にささくれを残していた。
「プレゼントかね?」
言ってしまってから、それが詮索だということに気づき、口をつぐむ。
「……い、いえ……別に」
打って変わって歯切れの悪い彼女の態度が、不安を煽るよりも何かを確信させそうで。
天之橋はため息をついて、前を見たままで呟いた。
「………今日は、もう帰るかい?」
「え?」
「あまり楽しそうにも見えないし」
「あ、あの……」
「今日の映画は、まだしばらく上映しているからね。誰か他の人と行くと良い」
「……!」
少女がショックを受けたように俯くのを気配で感じて、自責の思いが浮かぶ。
分かっている。これは、幼稚な嫉妬。
彼女を責めたいわけではないのに、嫌味な言葉を抑えられない。
「……え、と……私、天之橋さんと……行きたい、です」
けれど、懸命に場を取り繕おうとする彼女の言動で、余計に心が痛む。
それは本心なのか、それとも違うのか。平素なら考える必要もないそんなことまで、考えてしまうから。
答えない彼に、少女はしばらく思案して。
息をついて、鞄を開けた。
取り出したのは、先程の白い箱。
思わず身をすくませた彼に、少女はおずおずと話し始める。
「あの……これ。あの、帰り際にお話ししようと思ってたんですけど……見られちゃったみたいだから」
大事そうに差し出されるそれを、凝視する。
もしかして。自分に確認しろという意味だろうか?
他の男に何を貰ったか。そしてそれに、どう応えたか。
そんなことをする以上、その中身は楽しいものではあり得ない気がした。
きゅっとそれを見据えながら、天之橋は眉を顰める。
彼女を、他の男に奪われるかもしれない在学中は毎日考えていたそれを、昨今考えなくなっていたことに気づいたから。
もちろん、自惚れているわけではないし彼女を蔑ろにしているわけではないけれど、それでもどこか安心してしまっていた。
あの教会で。
悪い結果ばかりを考えて、諦めが大半を占めた気持ちのままで、半ば勢いで伝えてしまった告白に。
応えてくれると思っていなかった声が応えてくれたこと。
もしかしたら自分は、あの時からずっと浮かれているのかもしれない。
浮かれて、足が地に着いていなくて。
彼女の不安や不満や心境の変化を、忖度することができていないのかもしれない。
大事なひとを傷つけたり嫌われたりしたいとは、誰も思わない。
けれど、傷つけたくないと思うだけでは意味がないのだろう。
もしかしたらもう、遅いのかもしれないけれど。
まだ間に合うのならどんなことでも出来るから。
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