「み、水結……その」
「ヤダ、だっこ!!」
彼は静かに眉間に手を当てた。
ズキズキと痛む頭。同じ会話を、先日も交わしたような気がする。
しかし、さすがにスカイラウンジでこの会話は、気恥ずかしい。
別に、幼児化した彼女の連れであることが恥ずかしいとかそういうことではないけれど。
どうしても抱き上げなければ満足しないだろう彼女に……そしてその後も、片時も下ろさせてはくれないだろう彼女を、抱いたままで家まで送らなければならない、ということに。
知らず、ため息が漏れてしまう。
誘ったのは、彼女の方だった。
七夕の今日に、どうしても一緒に星見をしたいと。
それも、二人で初めてデートしたスカイラウンジでという彼女のおねだりに、笑って応えた彼だったが。
予報通りに曇っている空を、それでも眼下の夜景と交互に見て、少女は嬉しそうに笑っていたそこまではよかった。
しかし、相変わらず外ばかりを見ていた彼女は、雰囲気を出すために狭く作られているテーブルの上のグラスを取り違えた。
一気に煽ってから。
それが、彼の注文した強い酒だったことに気づき。
慌てる彼の前で、ぱたりと机に伏したのだった。
「……………水結」
「は、ぁ、い」
至極調子のいい返答。
「頼むから、駐車場まで歩いてくれないかな?」
そうすれば、すんなりと車に乗せてしまうことが出来るかもしれない。
しかし、そんな理屈が、酔っぱらった幼児に効くはずもなく。
「や、で、す」
同じ調子で返されて、ガクリと肩を落とす。
「で、では……車まで抱いていくから、せめて車は一人で乗ってくれるかな」
前回は大変だった。
どうしてもだっこしたままで運転しろと強要する彼女を、なだめすかすこと一時間以上。
結局、眠りに入った彼女をそっと助手席に乗せ、いつ起きるか気が気でなく帰路についた。
今回は。すでに時間が10時を廻っている。
なだめているうちに、日付が変わってしまいそうだ。
そんな彼の、最後の望みを掛けた言葉を。
「いや」
少女は、一言のもとに両断した。
◇ ◇ ◇
「うふふ〜 だっこ〜だっこ〜」
「……危ないよ。じっとしていなさい」
素っ頓狂な歌を歌いながら、もぞもぞと腕の中で動き回る少女を。
彼は、少しだけ強い口調で窘めた。
「はぁーい」
嫌でないことは聞き分けよく返事をし、首に腕を回してきゅっと抱きつく。
その子供っぽい可愛らしさに苦笑しながら、ドアを開ける。
結局。
悩んだ末に、彼はホテルの最上階に部屋を取らざるを得なかった。
あの時のような最上級の部屋ではないけれど、それでもハイレベルと言っていい、広いスイート。
このくらいの広さがなければ、彼女の遠慮のないはしゃいだ大声が、隣に聞こえてしまうかもしれないと思ったから。
昨日、冗談で言ったことを、まさか本気でやることになるとは夢にも思わなかった。
「着いたよ。降りなさい」
「や、おりな……はれ?」
拒否しようとして、そこが駐車場ではないことにやっと気づく。
「ここ、どこ、ですかぁ?」
驚いている隙にソファに降ろされて。
水のグラスを渡され、大人しくこくこくと飲み干す。
「ラウンジの上の部屋だよ。少し休んで、酔いを醒ましてから帰りなさい」
「…………」
そう言うと、何かを考えている表情。
「すっきりしたものが欲しければ、ルームサービスも使えるからね」
「…………」
「ああ、それから、家にきちんと連絡しておくように。
早くても真夜中を過ぎてしまうことは間違いないから、いくら水月さんでも心配するといけない」
「はーい」
その台詞にだけ、素直に頷いて。
鞄からケータイを取り出し、ボタンを押す。
それを見届けて、自分のためにグラスに水を注いでいた彼は。
少女の言葉を漏れ聞いて、愕然とした。
「うんー。そう。あまのはしさんがー、へやをとってくれたから〜。きょうはとまるー」
「!こ、こら!待ちなさい、み……!」
「じゃあねー。おやすみ〜」
ぴっ、と。
慌てて止めようとした目の前で、OFFにされるケータイ。
「………………」
平日に。
星見なのにスカイラウンジに行った挙げ句。
部屋を取って泊まらせるという行為は一見、何かおかしくはないか?
自分の良識を疑われてしまいそうなそれに、頭が痛む。
ちなみに、今電話に出たのは誰なのか?とは。
考えたけれど、聞けなかった。 |