「星が……きれいですね」
薄暗いテラス。室内の喧噪も遠く、静かな雰囲気に満ちている。
少女は黙って、そこから見える庭園を見渡した。
「それに、庭も素敵だ。あれは温室でしょうか」
続けられる台詞に、ふと、少女は反応を返した。
「あれは、薔薇園です。温室はもう少し行ったところにあります」
「へぇ。そういえば、あなたは天之橋さんのパートナーでしたね。ご親戚かなにかで?」
「…………」
正直、少女は青年を持てあましていた。
ダンスを踊るくらいならいい。ダンスくらい誰とでも踊れないと、パーティには参加できないと思う。
けれど、こんな薄暗いテラスに出て話をする必要はないように思えた。
それに。このテラスは、三年生のクリスマスパーティのときに彼と話した、思い出の場所だ。
その場所によく知らない人間と来るのは、本当をいえば避けたかった。
パーティの経験がない彼女には、どのくらいで断れば失礼にならないかが分からない。そこにつけ込まれているようで、少女はいい気分がしなかった。
「水結さん」
自己紹介のとき名乗った名前を、青年は許可も得ずに呼ぶ。
「あなたは、不思議な人だ……。まだお若いのに、仕草のひとつひとつが貴婦人を思わせる。
僕は、あなたから……目を離せそうにない」
「…………」
「もし、あなたさえよければ。これからも僕の傍にいてくださいませんか?」
「……!!」
ぷちっ、と。
頭のなかで何かがはじける音がした。
それは、あのときあの教会で、彼が告白したのと同じ言葉。
三年間、ずっと見続けてきたと彼は言った。三年間、自分の気持ちを偽り葛藤しながらも、変わらず少女の傍にいて。
彼女を、陰から支えてくれた。
彼女にとってその言葉は、今日出会ったばかりのえせ紳士を気取っている失礼な男が、言っていい言葉ではなかった。
カアッと頭に血を上らせた、その一瞬を突いて。青年の手が彼女の髪に伸びた。
「さっきから思っていたんですが、色合い的にこれは強すぎませんか。こちらが似合うと思いますよ」
「あっ……!」
彼の手には、あの紅い薔薇があり。
おそらく会場の飾花から持ち出したのだろう、薄いピンクの薔薇を、少女の髪に挿そうとしていた。
一瞬。
考えるより早く、手が動いた。
突然パシッ、と弾かれた手に、青年は唖然として彼女を見返した。
「……返してください」
妙な迫力を漂わせる彼女に、思わず従う。
少女はそれを大事そうに胸に抱くと、キッと強い眼光で彼を射抜いた。
「私も、失礼を承知で申し上げますけれど」
圧倒され、青年は一歩後ずさる。
「女性の衣服や体に触れるのは、マナー違反です。他人のパートナーなら尚更ではないですか?
承諾なしに馴れ馴れしく、名前を呼ぶことも。本当の紳士なら、そんなこと絶対にしません」
彼女の脳裏に、彼の姿が浮かぶ。
自分を何より大事にしてくれて。
自分が何より大事にしたい、人。
「もし、あなたが私に好意を持ってくださっているのでしたら。私、応えられません」
「ど……どうして?」
かすれた声で、ようやく言った質問に。
少女は、大輪の華のようなおとなびた笑顔で答えた。
「私の好きなひとは、本当の紳士だから。
ごめんなさい、わたし、偽物では我慢できないの」
ふと。
視線に気づくと。
会場に通じる開き戸のところで、天之橋が呆気にとられているのが見えた。
少女の笑顔が、少しだけ年齢相応のものになる。
「ピンクの薔薇の花言葉を知っていますか」
誰に言うともなく、少女は唐突に言葉を振る。
「“一時の感銘”……赤い薔薇の花言葉は、“熱烈な恋”。
あのひとは、なりゆきで渡す花さえも、そんなことまで考えてくれるようなロマンチストなんです。
そして、そんな彼だから、私はずっと傍にいたいんです」
毅然として少女は足を引き、ドレスを指でつまんで、お手本のような最敬礼をした。
「ごきげんよう」
それだけ言うと、振り向かず出口に向かって歩き出す。
あでやかな微笑を残して。
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