帰国の便を待つヒースロー空港は、やっぱり晴天だった。
「しょうがないから、アナタを苛めるのはやめにするわ」
流暢な日本語でそう言われて、少女は呆然として彼女を見た。
少しバカにしたように笑って、マリィはつんと顎を上げる。
「あたしが日本語を喋れないとでも思った?……甘いわね。死にもの狂いで十年も勉強すれば、イギリスにいたって上達はするわよ。今じゃジムよりも上手なんだから!」
「……あ、は、はい……」
「イチもあたしが喋れないと思ってるから、いつか驚かせようと思ってたのに」
「……………」
「全く、バカにしてるったら。アナタみたいな小娘が恋人で、あたしみたいなレディが昔のまま?
ちょっと、感覚おかしいと思わない!??」
「は、はいっ!」
勢いに飲まれてこくこくと頷いた彼女から、ぷいと視線を逸らして。
マリィは少しだけ戸惑ったように唇を噛んだ。
「……でも、アナタを苛めるとイチが辛そうな顔をするから、やめる。アナタの為じゃないわよ!」
「……………うん」
「それでもって、近いうちに日本に行くからね」
「うん。………えっ!?」
「イチがアナタを気遣ってるのは、違う環境にいるからよ。あたしが日本に行けば、イチはあたしを大事にしてくれるでしょう?それで挽回して、アナタからイチを取り返すんだから!」
両手で握り拳をつくって、力強く宣言する。
しばらく目を瞬かせた後、少女は思わずくすくすと笑いを漏らした。
「ナニ笑ってるのよ。あたしが本気を出すと怖いんだからね、覚悟してなさいよ!?」
「うん。待ってる。いろんなとこ、案内するよ?」
「アラ、良いわね。今回のお礼として、アナタはあたしを歓迎する義務があるわ。勝負とは別だけどね?」
「うん、勝負とは別でね」
笑いながら言うと、マリィはふんと鼻を鳴らし、それからお手本のような礼をひとつして踵を返した。
彼女がロビーを出るまで見送った後、息をついてから、少女も振り向いて遠巻きに二人を見ていた大人達の方へ歩み寄った。
「色々と、お世話になりました」
頭を下げて握手を求めると、ジムは手を握りながら彼女の肩を叩き、満面の笑顔で言った。
「こちらこそ、楽しい休暇でしたヨ!今度はぜひ、三優一人で来てね。そしたら僕がパーティに連れて行くから」
「え、でも……」
「大丈夫、ダイジョウブ。イチには内緒にしてあげる。
君のもう一つの家だと思ってくれれば嬉しいデス、特に……」
少し離れたところで聞き耳を立てている彼に、聞こえないように顔を近づけて。
「彼とケンカしたときは、何ヶ月でも匿ってあげマスから」
「……え、っ?」
少女が驚いて見返すと、ジムは人なつっこい瞳でウインクをしてみせた。
「……ありがとう!ジム、大好き!」
身を屈めているジムの首に抱きついて、頬に唇で触れる。
ジムは一瞬目を丸くし、わざとらしく口笛を吹きながら横目で天之橋を見てニヤニヤと笑った。
「あ〜ら〜ら〜。やっぱり前途多難、ねェ?」
眉根を寄せ、ゴホンゴホンとわざとらしく咳をした親友の肩に手を置いてそう言い、花椿は肩をすくめる。
「少しくらい言い訳できたからって、油断は禁物、かもヨ?」
「………別に、三優が一人でイギリスに来ることはないし………」
「アラ。そんなこと言ってていいのかしら?アレモンだったら、一人くらいは日本まで追いかけてきそうよ?……それに」
ジムが引くと同時に悪友どもに囲まれた少女を指して、花椿は大げさにため息をついて。
そして、人垣を掻き分けてすたすたと歩いていくと、彼女の耳元でぼそぼそと何か囁く。
「…………!!は、花椿っっっ!!!」
「アタシを忘れてもらっちゃ、困るんだけどネ?」
恥ずかしそうにしながら、それでも少女が花椿の頬にキスをすると、ついに天之橋の口から叫びが上がった。
途端に俺も俺もと群がる悪友どもを慌ててちぎり捨て、彼女の傍に辿り着く。
『……気安く触らないでもらおうか』
半ば本気で睨み付けながら、天之橋はお預けを食らわすように少女の体を抱き上げた。
『彼女は私の婚約者だ。お前達に触らせる義理はない』
「えっ………」
抱えられた少女が驚いて見上げると、回りのブーイングを視線で牽制していた彼がふと目を落とし悪戯っぽい表情をしながらすっと口づけた。
「…………!」
「イヤーっ、ジム、今の見た?デレデレしちゃって恥ずかしいったら!」
「そうデスね、こんな人前でベタベタするのは日本人としてよくアリマセン!」
「そうよねェ、一体アイツどこの国の人間なんだか!三優も可哀想……(ほろり)」
「Oh、レディ三優!いつでも僕のフトコロへプリーズ!待ってますヨー!」
「ナニ言ってんのよ、アンタなんかよりアタシの方が先だって言うの!」
自分の腕の中で真っ赤になって俯く彼女を見つめていた天之橋は、外野の大騒ぎに顔を顰めて、うるさい!と怒鳴りつけた。
FIN. |