どうやって自分の部屋に帰ったのかも覚えていない。
気がつくと、天之橋はベッドに座り込んで呆然と部屋を眺めていた。
突きつけられた言葉は、本当に考えもしなかったもので……でも思い返してみれば確かに、ここに来てから彼女の照れたような暖かい笑顔を見た記憶がない。
見知らぬ国に来て、多少緊張はするだろうと思っていた。けれど、ジムも悪友達も難しい人間ではないし、女の子ならマリィもいる。くつろげない状況ではないだろう。
そう、安易に考えた自分。
第二の故郷であるイギリスを好きになってほしくて、マリィに手伝ってもらって色々と提案して。
けれど、本当に彼女が楽しんでいるかどうか、確かめたことがあっただろうか?
天之橋は虚ろな目のままで、無意識にため息を吐いた。
その時。コンコン、という軽い音がして、彼を一気に現実に引き戻した。
咄嗟に動けない彼の視線の先でドアが開き、パジャマを着た小さな手が覗く。
『……イチ?おじゃまして、いい?』
「……。」
気負った力が抜けて、ついで力無い笑いが洩れた。
そんな彼を不思議そうに見ながら、マリィはとことこと歩いてベッドにのぼる。
隣に腰掛けて、無邪気に腕を絡ませてくるマリィを見て、天之橋はもう一度ため息をついた。
花椿は、少女がマリィを気にしていると言った。それは本当なのだろうか?
マリィとは彼女が子供の頃に出逢い、勉強を教えたり絵本を読んでやったり、まるで娘のように可愛がってきた。
彼女がもう16歳だと聞いて、大きくなったとは思っても、その印象が変わる訳はない。
マリィにしてもそうだろう。会わなかった十年の月日はあっても、今でも自分を父親のように慕ってくれている。
けれど。
客観的に見れば確かに、マリィは今16歳で。
自分が出逢って、知らず恋に落ちた時の少女と同じ年。
年齢も何も意味をなさないほど特別なのは彼女だけだ、と思っているのは本当でも、そんなものは言い訳にもなりはしない。
「やはり……私が悪いのだろうね」
『?』
ぽつりと呟くと、マリィがますます不思議そうな目で彼を見上げた。
彼女に分からないのを承知で、独り言のように呟く。
「十年ぶりに訪れたイギリスで、皆に久しぶりに会って。……私も浮かれていたのかもしれない」
『…………』
「彼女と一緒にいたくて誘ったはずなのに、辛い思いをしていることに……気付いてあげられないなんて」
『…………』
「こんなことでは、とても愛しているなんて言えないね。恋人失格だ」
自嘲的に笑い、どさりとベッドに倒れ込む。
しばらくそうしていると、ごそごそと隣で動く気配がして、マリィがぴょこんとブランケットから顔を出した。
『ねえ、イチ。……大丈夫?』
心配そうに覗き込む彼女に、ようやく人間らしい笑みがこぼれた。
『……何でもないよ。大丈夫』
『……疲れた?』
『そうだね、少しだけ。でも心配要らないよ』
『イチのそれは、信用できないわ。だって、熱が39度もあるのに泳ぐ人だもの』
拗ねたような呟きを聞いて、思い出す。
海を見たことがないと言う彼女を連れてバカンスに出かけて、発熱を隠して泳ぎ、帰ってから三日間寝込んだ時のことを。
あの時、自分の枕元で泣きながら謝るマリィを見て、彼女を楽しませたくてそうした自分が一番悲しませてしまったことに気付いたのではなかったか。
自分という人間は、あの時から全く成長していないのかもしれない。
『……君は変わらないね、マリィ』
『え?』
『十年経っても、昔のままだ。愛してるよ、私の小さなレディマリィ』
『……!』
こつん、と額を合わせて微笑むと、何故か彼女はぴくりと体を揺らして眉根を寄せた。
それに、言及する前に。
かたんと音がして、途端に遠ざかっていくかすかな足音。
「………!三優!?」
何かを察して、天之橋は1/3開いたままのドア越しに叫んだ。
答えはない。
慌てて跳ね起き、追いかけようとする彼の腕を、マリィが掴む。
『一体何なの!?ここにいてよ!』
「彼女が泣いてるんだ。放ってはおけないよ、三優は私の……一番大事な人だから」
『イチ!?』
『君はもう眠りなさい。ここのベッドを使ってもいいからね、おやすみマリィ』
幼い頃にしたそのままに、優しく額に口づけて。
泣き出しそうな彼女には気付かず、天之橋は部屋を出て行った。
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