買い物を終え、車に向かう途中で見つけたサーカスのポスターは、すぐ近くの会場とその日が最終日であることを告げていて。
少し立ち止まってそれを見た彼は、車に荷物を積み込むついでに運転席に置きっぱなしの携帯を取り上げボタンを押した。
不思議そうに見ている少女にウインクして、電話に出た相手と二言三言喋る。
閉じた携帯をもう一度車に投げ込んでロックすると、花椿は少女に“まわれ右！”と号令を掛けた。

結局、ジムの家に帰り着いた時にはすでに、午後八時を回った時間になっていた。
両手一杯に荷物を抱えてインターホンを押すと、間髪入れずにドアが開く。
真剣な眼差しの天之橋が少女を迎え、手にあった荷物を取り上げた。

「……おかえり三優。」
「あ…ただいま帰りました…。」

なんだか…怖い。天之橋さん、やっぱりわたしのこと、怒って……？

ひるんだ少女が少し後ずさりすると、その背中を支えるように花椿が立つ。
彼を見た天之橋の眉が、微かに寄せられた。

「……花椿。」
「ナニよぉ〜、ちょっと退いてくれる？アタシも三優もクタクタなんだから。」

少女が自分を振り返らないように肩を持って、感付かれないように。
眼光をまともに受けて立ったまま、花椿が明るい声を出した。
自分の空気にやっと気付いた天之橋も、穏やかな微笑みを少女に落とす。

「あぁ、すまない、三優。…サーカスは楽しかったかい？」
「…あ…はい……」
「まったく、ピカデリーサーカスにかかるサーカスなんてオヤジギャグじゃないんだからー…とは思ったけど結構スゴかったわヨ？ソレとコレ、アタシの部屋に運んどいてね。まずお風呂よねー、三優？…ジムー？ジームーゥー？」

足元に荷物を置き、何か言いたげな彼を無視して花椿と少女は共に室内に消えた。

冗談じゃない。

少女がバスルームに入ったのを確認して、天之橋は花椿の寝室に向かった。
大理石の廊下に足音が高く響く。
ノックももどかしくドアを開けると、待ち構えていたように正面のソファに深く沈んだ花椿の姿。
扉が閉まったことを確認して、天之橋が低い声を発した。

「……どういうつもりだ？」
「…何が？」

挑むような目の天之橋を見て、花椿がせせら笑う。

「とぼけるな！三優は旅行に連れてきたんだ、お前の仕事を手伝わせる為じゃない！勝手に連れ出して、荷物持ちだと？いい加減にしろよ、花椿！」
「………………。」

怒りを顕わにして襟元を掴む天之橋の手を払い、花椿はいきなり彼を殴りつけた。
頬に衝撃をまともに受け、かろうじて踏みとどまった天之橋に、静かに口を開く。

「いい加減にするのはアンタでしょ？今日あの娘がいなくて、ちょっとくらい気が付いたかと思ったのに全然ダメね…。もはや何処からツッこんでいいのか見当もつかないワ。」

渾身の力を込めた拳と、冷静な口調。
花椿が本気で怒っている時は、思い切り冷たくなる。
“悪ふざけが過ぎる”と文句を言いに来た天之橋は、思いがけない反応を見て目を見開いた。

「アンタ、ここに来てから三優とまともに喋った？ちゃんとそばに居たことがあった？…誰も知り合いのいない外国に連れてきて、日本語の喋れないヤツばっかりのパーティで放ったらかし。そばに行こうにもアンタには知らない女がベッタリ……それであの娘にどうしろって言うの？」

言われた台詞に、耳を疑う。
そんなことはない、と言いかけて、天之橋は危うく言葉を飲み込んだ。

「……しかし……しかしお前も知っているだろう！？マリィは家族同然だし、まだ子供……」
「バカじゃないの？」

困惑し、反論しようとする彼を睨みつけて、花椿が低温極まりない台詞を挟んだ。

「マリィをいくつだと思ってるの？出会った時の三優がいくつだったか言ってみなさいよ。……自分と三つしか違わない女を“子供だと思ってる”なんて理屈が、女の子に通ると思ってんの？しかもその通らない理屈すら説明してないじゃない。
　今日の朝、遠乗りに行こうって、あの娘を見て言った？行きたくない、って顔に書いてあったのに？勿論、マリィは馬に乗れて三優は乗れないことを分かってて誘ったのよねェ？６歳のマリィにしたように、自分の馬に乗せてゆーっくりお散歩するつもりだったんでしょう？」
「…………………。」
「笑っちゃうわよねェ……旅行に連れてきた、ですって？仕事に連れ出すな、ですって？ここに来て、三優が殆ど何も食べてないのにも気付かない人間が？三優が心から笑ってるか、気にもしなかった人間が？
　こっちが聞きたいわよ、一体なんの為にあの娘を連れて来たのよ！？」
「………………………。」

言葉が並ぶ度に、血の気が引いていく音が聞こえるようだった。

「これ以上、あの娘を苦しめるなら…アタシも黙ってないからね。分かったらとっとと出て行ってちょうだい。目障りだわ」

すっと立ち上がり、一言も言い返せない天之橋から目を逸らすと、それっきり花椿は彼を見ようともしなかった。