そう遠くない場所に設置された臨時交番に入って、示された椅子に彼女を下ろす。
動転しているので、と警察官に前置きして、彼女の両脇を守るように背後から目の前の机に手を付いた。
大きな体の下にスッポリと隠された彼女が、ようやくふっと肩の力を抜いた。
聞かれるままにぽつぽつと状況を答え、時々彼を見上げて。
被害届と供述調書に拇印を押し、状況写真を何枚か撮られる頃には、彼女も何とか落ち着きを取り戻していた。
「あの男の顔を知っている刑事がいましてね。……検挙する事になると思いますので、その後のことはおうちの方に連絡しますね」
そう言った後、女性警官が柔和な笑顔を浮かべた。
「せっかくのデートが可哀想な事になっちゃったけど、頼りがいのある彼氏で良かったわねぇ」
そう言われて気づいた彼が、机から手を離して彼女の上から身を引き顔を赤くする。
彼女は照れた顔を見上げてから、女性警官に向かってくすぐったそうに、はい、と答えた。
「あ〜〜…花火もう終わりだな。今日は帰るか」
「……ごめんなさい、せっかく連れてきてもらったのに……」
駐車場に向かいながら数発の尺玉を見送った彼に手を引かれながら、申し訳なさそうに彼女が俯いた。
「だーいじょぶだ、そんな顔すんな。次バイト代入ったらでっかい花火セット買ってやる。……それに、来年も二人で来るだろ?」
ぽんぽんと頭を撫でながら笑った彼に、こっくり頷いて。
最後の大玉が辺りを照らす中、二人で彼の車に乗り込んだ。
◇ ◇ ◇
「あの……一度先輩のおうちに寄ってもらってもいいですか?」
臨海公園から帰る車で少し渋滞している道路を進む車中で、彼女が恥ずかしそうに彼の浴衣の袖を引いた。
ハンドルを握った彼が横目で問い返す。
「オレんちって、アパート?何かあったか?」
「………着付け直したい、です。」
それから少し後に”後ろから触られたので帯が”と小さな声で付け加えた。
「あーっ、と……そうだな。そのまま帰ったらちょっと、マズイな」
「先輩が誤解されないようにあったことは話すつもりですけど…そのうち警察からも連絡があるでしょうし。…でもあの……さっきから解けそうなので…」
こんな格好で痴漢にあったとか言ったらビックリされちゃいます、と恥ずかしそうに膝の辺りの併せを押さえた。
「………ごめんなー、オレがついてて」
「いえ、ちゃんと守ってもらいました!……あの、すごくカッコ良かったです。ありがとうございました」
「……そっかー、惚れ直したか?ハハハ」
「はい!」
「ハハ……ハ…まともに言われると非常に照れるんで。…程々にしといてくれ」
誉められるのが苦手な彼の赤い頬を、彼女が嬉々としてつつきだした。
◇ ◇ ◇
「………え〜…っと、先輩近くないですか?」
帯を結び直すだけだから居てもいい、とは言ったものの、真っ正面に陣取った彼の視線に彼女が顔を赤らめた。
「………………ダメか?」
「………いいですけど…」
小さくため息を吐いて帯を解き始める。
静かな部屋に、彼女の帯が衣擦れする音だけが響いた。
「……………………」
「………先輩、まさか”あ〜れぇ〜”とか”お代官様〜”とかそういうこと考えてるんじゃないでしょうね?」
「………え!?な、なんで!?」
「………考えてましたね?」
「……だってよ…アレ楽しそうじゃねぇ?」
「あれは女性がワザと回ってるんですよ?イヤだったら踏ん張るし、コマじゃないんですから」
「え〜〜……」
心底残念そうな彼に彼女が吹き出した。
「男の子ってなんでそれそんなにやりたいんですかねぇ?文化祭の時代劇で着物着た時もみんな……」
「ちょっ…やったのか!!?」
掴みかかりそうな勢いの彼に慌てて、彼女がぶんぶんと首を振る。
「やりませんよ!何でそうまで必死になるんですか!?」
「なんてーか…非日常的シチュエーション萌えとチラリズムだな、うん」
「全く意味がわかりません…」
大きく頷く真咲に彼女が呆れ顔で呟く。
「それより帯結ぶの手伝ってくれます?」
「…手伝うって…オレが?」
「結ぶときに強く引っ張ってくれたらいいんです」
「………………いいよ。」
「なんか今間が空きましたけど…じゃあここを持って……」
彼女が帯の片端を彼に手渡してくるりと後ろを向いた。
「ははははー憂いヤツじゃー近うよれーー」
「きゃあ!」
帯を強く引っ張られた彼女が一回転して床に投げ出される。
「イタタ……もう!!やっぱりですか!!」
「ゴメン、大丈夫か?……ちょっと回った」
「先輩………いい加減に……え?」
真咲が床に座った彼女ににじり寄ると、はだけた浴衣から出た足に手を伸ばした。
「……ちょっと、先輩!ダメです!!」
「……………なんで?」
「早く着付けて帰らないと……やっ…」
するりと裾から入ってきた手がすねから膝を撫で上がる。
浴衣の上から彼女が慌ててその手を押さえた。
「……………あーーダメだ!やっぱムカつく」
「……………え?」
「おまえにじゃない。あんなオッサンに触らせちまった……自分にムカつく」
「あの、でも……先輩がすぐに気づいてくれたから少しですよ?」
「指一本でもダメだ。………くっそ折っときゃ良かった」
「あ……あの、先輩?……顔が恐いです…」
「……………優月」
彼がすっと裾から手を抜いて彼女の顎をすくった。
「………ん…んぅっっ!…せ、んっっ…んふぁ…っ!?」
今まで経験したことのない息継ぎも出来ないようなキスに、彼女が真咲の胸を押す。
それでも彼は肩に手を回し、頬を押さえて、逃げられない彼女の口腔を加減無く蹂躙した。
やがて唇を解放し手を緩めると、涙ぐんで荒い息を吐く彼女の顔を見つめる。
小さくて可愛くて元気。
まだ自分の物ではなかった高校時代にも、彼女だけが友人と思っている男共多数。
天真爛漫で、拗ねた顔も笑った顔も大安売りで誰にでもあげてしまう。
でも、意地っ張りな彼女の涙を見れるのは自分だけ。
そう思ったらめちゃくちゃに泣かせてみたくなった。
自分の物だと腹を治めるつもりでキスしたら、逆に止まらなくなった。
「……………優月、抱きたい」
「…………ふ…っ……」
「………けど、ヤバイ…ひどくしちまうかもしんねぇ。嫌だったら三秒以内に思いっきりビンタ、な」
「………………」
「…3」
熱まで感じそうな視線が至近距離で彼女の瞳に注がれて。
決定権を持たされた彼女はずるい、と心の中でため息を吐いた。
帰らなければ明日の服もない。
行き先を告げて、彼の迎えで出てきたのだから遅くなるのもまずい。
「…2」
でも、今までになくこんな風に求められるのは嬉しい。
初めての時から今まで何度か体を重ねたけれど、彼は経験の乏しい自分をいつも優しく気遣いながらしてくれて、さほど痛い思いもせずにここまできた。
自分はいいけれど、彼はそれで満足しているのか、気になっていても恥ずかしくて言うことが出来なくて。
視線の熱が伝染したように顔が熱くなるのと同時に、心臓が急に痛いほど早く打ち始めた。
「……イヤじゃない、です」
彼女がまだ涙の溜まった瞳でまっすぐ彼を見て言った。
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