からころと下駄の軽い音をさせながら彼女が歩く。
黒地に蝶のあでやかな浴衣を着て、りんご飴を持って。
それを舐めるのと並んだ夜店を物色するのに忙しい彼女は、またも何もないところで躓いた。
「………きゃっ!」
「………っと、ハイ二回目〜」
よろめいた彼女が自分の腕にすがったのを、真咲が指を折って数えた。
待ち合わせの時に三回は躓くと彼に予言され、彼女は頬を膨らませてそんな事はないと言い張って。
気をつけてはいるのだが、夜店に気を取られると足元が疎かになってしまい、まだ目的の花火も始まっていないうちにもう二回も危なく転ぶ所だった。
「次でアウトだなぁ〜?何にしよっかな〜♪」
売り言葉に買い言葉で負けた方が一回言うことを聞く約束をした彼女は、後がなくなって悔しそうに眉間に皺を寄せた。
「もう〜!あんなとこにクレープ屋があるからっ……でもつまづかなければ私の勝ちなんですからね!もう絶対に大丈夫なんだから!」
「花火見上げてるときも危ないと思いますけど〜?」
「……ベンチに座って見るもん」
「そうきたか。……まぁ、おまえの身長で、座って見えればの話ですがァ?」
186cmの彼が、身長を差し測るように自分の額から彼女の頭までゆっくり手のひらを下ろす。
意地悪く言われて頬を膨らませた彼女が下りてきた手のひらを捕まえた。
「………縁日はもういいです」
「え〜〜?いいの?本当に?……あ、あんなとこにわたあめハッケーン!」
「…う〜………いいの!早く行って最前列の手すりがあるとこ確保するんだから!」
負けず嫌いの彼女は用心深くゆっくり歩くのも癪らしく、ぐいぐい彼の腕を引っぱって空中庭園の方向に歩き出した。
連れて行かれながらも、たこ焼きやべっこう飴などの誘惑を次々と投げかける真咲。
彼女は膨れっ面のまま、無言で足早に縁日を並ぶ一角を通り抜けた。
「……………あれ?」
空中庭園の入り口が見えたところで彼女が首を傾げて立ち止まった。
花火がよく見える空中庭園は毎年混み合うけれども、まだ開始時間の一時間も前。
入り口に重なっている人の壁を見て、困ったように彼を見上げた。
「ん〜?……あ、自動ドアの故障みたいだぞ?係員が来たら開くだろ、直さなくても開けっ放しでもいいんだし」
背の高い彼が伸び上がって様子を見、彼女に告げると安心したように微笑んでその最後尾についた。
まだ時間に余裕がある為に故障を直そうとしているのか、係員が二人ほど自動ドアの所で動いている。
そんなことを逐一報告されながら、後からどんどん重なってくる人々にせっかくの凝った帯結びが気になりだした頃だった。
「…………?………!!?」
ざわあり、と背筋が総毛立つ。
後ろから、浴衣のおしりの辺りを何かがまさぐっている。
混み合って押されているのとは明らかに違う、円を描くようなその動きに彼女の思考が停止した。
「……………ひっ……!!」
手を強く握られた真咲が彼女を振り返る。
また躓いたのかと笑いかけて、その只ならぬ様子に言葉を飲んだ。
力一杯彼の手を握りしめた彼女は、顔色が無くなって歯を食いしばり唇をガタガタと震わせている。
「……………あーなるほど」
一言だけそう言って、彼が彼女の手を唐突に引っ張った。
つんのめった彼女がいたスペースに、人垣の隙間から不自然に突き出されている手。
彼女を胸で受け止めるのと同時に、その手を捕まえて指を本来曲がらない方向で固定する。
「う゛あぁあ!!」
一人の中年男が人垣の中で無様な悲鳴を上げる。
彼は指関節をきめたまま、冷たい無機質な笑顔を浮かべた。
「…………おっさぁん、なにしてるのかな?」
ぎっしり詰まっていたはずの人が、一瞬で周りに見事な丸い空間を作る。
その真ん中で、片手で彼女を抱いた真咲と何とか指を外そうともがく中年男。
「…………いたい?いたいの?そうかーいたいかー」
「ぐあぁ…っっやめっ…折れ…っっっ!!」
「あーごめんねえ?折れたら」
抑揚無くそう言って能面のような顔で笑う真咲の襟元に、震える指先に渾身の力をこめて掴まる彼女。
事の成り行きを好奇の目で見守っていた群衆を分け、男が二人進み出て声を掛けた。
「……どうかしましたか?」
「痴漢でーす」
事情を聞く穏やかな声とは対照的な鋭い眼光の男性らは、威圧感を持って痛みにもだえる中年男を見て。
それからもう一度、真咲と彼の首にすがりつく少女を見た。
目の配りや気配で、彼らが制服は着ていないが警察官であることが分かる。
進み出た内の一人がさりげなく中年男の脇に移動したのを見て、彼が名残惜しそうに指を解いた。
その途端、冤罪だお前こそ名誉毀損と傷害罪で訴える、と喚き出した中年男に真咲がもう一度あの笑顔を見せた。
「あれ?勘違いでしたか。そんならオレ自首すっからさ、一緒に警察行って被害届出してよ?まさか、痴漢の前科なんかあるわけないんでしょ?」
急ぐんだ、付き合ってられるか、と人混みを掻き分けようとした中年男は、先ほどの私服警察官に手帳を見せられて一瞬にして青ざめた。
何とか逃れようとしているのか、一層声を張り上げながらも片手を拘束されて連行されて行く。
「すみませんが、ご一緒に来ていただけますか?」
「ええ、勿論」
後に残ったもう一人にそう促されて、歩き出す。
人々の視線が集中する中、子供のように肩に顔を伏せ震える彼女を抱き上げ、悠々と。
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