朗々と。
あのひとの声が。
今も。
「………行くのか?」
「…………………」
鉄格子の門が、大きな音を立てて閉まった。
元々体育会系ではない身体は更に薄くなり、くすんだ薄黄色の体色とやつれた頬が収容所の生活を物語っている。
そんな風体に似合わない強い視線で、目の前の男の階級章にチラリと目を遣り、彼は微かに口角を上げた。
「出世したなァ…ガルル少佐か」
「お前も、元の階級まで戻れるんだぞ?収容所送りが異例の事だ…もっとも、軍に忠誠を誓うならの話だが」
「……有り難くってナミダが出るねェ…クソ食らえ、だ」
吐き捨てるように呟き、投げられたシガーケースの煙草に火を点ける。
「お前が送られた時には安堵したお偉いさんが何人も居たってな?しかしその頭の中身は紛れもなくケロン一。みすみす無駄にする事もあるまい、との元帥直々のお言葉だ。……禊ぎは済んだ、軍に戻れ」
「アンタ、それ本気で言ってんのか?」
収容所の運動場にも頑として出なかった彼にとって、久し振りの陽光を鬱陶しそうに斜めに透かし見て。
軍服の男あのひとの兄に、低い声で聞いた。
「………無論だ、と言いたい所だが、今は勤務時間外なんでな。半々って所か……あそこは今も第一級立入禁止区域だ。おいそれとは入れないぞ?」
「……クックッ…俺様を誰だと思ってんだい?」
「勘違いするな、入れないのには訳がある。星の南側、一番磁気嵐の弱い着陸ポイントを守っているのが俺の部隊だからだ」
「それはそれはご苦労さんなこって…で?お忙しい少佐サマが罪人の身元引き受けなんて酔狂をした挙げ句、こんな僻地まで出迎えに来たのはどういうアソビだ?」
「ただの気紛れさ、暇なんでな。三日程休暇を取ったついでだ」
そう言って銀色のカードを投げて寄越し、彼は踵を返した。
「ほら。誰もお前のプロテクトが外せなくて、内部は手付かずになってる」
「ク〜ックックックッ…当たり前だ。しかも力ずくでイッたら防護壁の最終ラインに触れた途端、軍の機密情報が全宇宙にバラ撒かれるトラップ付きだぜェ?やってみりゃ良かったのによ」
「どうせそんな事だろうと思っていた。お前が死んでも同じ事だろう?」
クルルの体内には小型の発信器が埋め込まれている。
生命反応を電波に変え、クルルズラボの受信機がそれをキャッチしている。
いつでも、どこにいようとも。
彼が死にでもすれば、軍は不測の事態に陥る事になる。
だからこそ彼は収容所送りとなった。
一年前の、あの日。
◇ ◇ ◇
ギロロが前線に赴いたと知ったのは、そこの調査、分析を依頼されて本部に出向いた時だった。
面倒くさい遠出の仕事も、そこにあのひとが居るのなら話は別だ。
愛用のモバイルで自分専用の輸送機をスタンバイさせて、手足となる馴染みの特殊工作部隊を編成する。
XTDC.第21番惑星シェラザグと第22番惑星メルティアーナ。
荒涼とした砂漠と岩山ばかりの惑星シェラザグが、広大な森林と湖の星メルティアーナを守るように立ちはだかるその姿は、原住民族が夫婦神の名を付けた双子星に相応しいものだった。
その懐に膨大な埋蔵資源を持つ女神の星を、聖域と崇める原住民族達。
メルティアーナの背後には強大な引力圏が存在するため、そこへアクセスするには惑星シェラザグを経由するしか手がなく、ケロンは圧倒的な軍事力を後盾にシェラザグに取引を申し出た。
それが拒否され、シェラザグからの星間ミサイルがケロン軍母艦に向けて発射されたのを機に、両者は一気に戦闘状態へと縺れ込む。
双子星の間を行き来できる程度の科学力しか持たない原住民族に対し、ケロンの軍事力は遙かに強く大きい。事態はさほど深刻ではないように思われ、軍本部はクルルの到着を待たずに兵を砂漠に降ろしたのだった。
先行部隊が制圧した宙港にクルルが降り立つと、そこに彼が居た。
綺麗な赤い身体に無骨な銃を携えて、自分に敬礼をしている。
他者のいる前では敬語を崩さないギロロを特殊工作部隊の簡易テントに連れ込み、明日隊を率いて最前線に向かうという報告を受けて。
調査もせずに兵を動かす本部に悪態をつくと、大丈夫だ、と笑う。
砂漠の星に華が咲いたような笑顔にそれ以上文句も言えず、自分用の大気から水を生成する装置を渡した。
乾燥しているからあまり役には立たないかも知れないが無いよりはマシだと、固辞する彼の背嚢に無理矢理押し込む。
『なァ先輩、帰り一緒に帰ろうぜェ?』
『馬鹿者、お前と違って俺達はいつまでかかるか分からんのだぞ』
『じゃあ迎えに来るから終わったら呼んでくれよ』
『そんな事が出来るか!子供じゃあるまいし』
『先輩分かってねェな〜俺を誰だと思ってんだい?そういう風に言われたら来るに決まってんじゃん』
『お前は…そのひねくれた性格を少しは改善しろ!』
『ク〜ックックックッ…』
そんないつも通りのやりとりを交わした。
次の日。任務に赴く彼と宙港で別れ、星の調査、分析に取りかかって半日後…星全体を、突然磁気嵐が襲った。
上空に待機していた母艦はその影響をまともに受けて、軍本部は一時撤退を決めた。
兵を収容する輸送機が次々と飛び立つ混乱の最中、宙港でクルル専用機の留守番を任されていた二等兵に、その黄色いユニフォームを見て走り寄ってきた男がいたという。
『機動第一旅団 第四連隊所属 第十八歩兵部隊長 ギロロ伍長だ!特殊工作部隊長 クルル曹長はどこか!?』
『え!?あ、ク…クルル隊長はここより南120キロ地点に小型調査艇で調査に出られたまま、戻ってこられません!磁気嵐の影響で連絡もついておりません!』
『………そうか、了解した。総員退避の指示が出ている、貴様も次の輸送機に乗って行け!ここは俺が守る!!』
そう言って彼は帰って来なかった。
その頃、クルルは…既に空の高みに居た。
磁気嵐の影響で調査艇が不安定な軌道を見せ始めた時、軍の退避命令を無視して宙港に戻ろうと操縦桿を握った彼は、背後から当て身を受け……気がついた時には、すでに母艦の中だった。
特殊工作部隊はその任務の重要性ゆえ、隊長の身の安全を最優先事項に置いている。不安定な機体は墜落の恐れもあり、説得が無理だと悟った隊員達は忠実に任務を遂行したのだった。
そして意識を回復してすぐ、参謀の元に詰め寄り無謀な作戦を批判したクルルは、本星に着いてから抑留され軍法会議にかけられた。
『今回の様に軍本部の命令を無視して、万が一死なれたらどうしますか!?彼を監禁しておかないと軍の機密情報が危ないのです!』
偏屈な天才を疎ましがっていた本部の将校共の策略により、彼は収容所に送られて。
それから一年。
あの星では、あの時の磁気嵐が未だに猛威を振るっている。
そしてそれ以来聞こえる。
あのひとの声が、ずっと。
◇ ◇ ◇
カードを入口のリーダーに通すと、モニタが個人識別を始める。様々な生体認証を一瞬で終えた後、自動生成されるランダムなセキュリティを手早く突破したクルルの前に、ゲートが音も立てずに開いた。
久々に見るラボの空気はいつも通り冷え切っていて、それでも一年振りの主の帰還を感じ取り、全てのコンピューターの起動音が一斉に鳴り始めていた。
コンソールを展開するのももどかしく、すぐに図面に取りかかる。
あの忌々しい磁気嵐の中、血路を拓きそこをかいくぐる最速の機体。設計も、計算も、有り余る時間の中で既に終わっている。
猶予は三日。図面さえ出来れば、隣の部屋でコンピュータがすぐに組み始め、明日には出発できるはずだあの声の元に。
ふいに、アラームと共に画面の隅で点滅する緑色の光を見た。
痕跡を消しながら送信のみで行われる直通通信のアドレスを、知っている者は四人だけ。
ちょうど作業が終わった左上のスクリーンでそれを開く。
『クルル曹長…待っていたであります。我輩も何度もあそこへ行ってみたものの、あの磁気嵐と警備では…クルル、頼むであります。ギロロを…ギロロを連れて帰って欲しいでありますっっ…』
欠片でも…いいから………
緑の後ろ姿、泣き声の音声はそこで途切れた。
「クックッ…馬鹿言ってんなよな。後で口に手榴弾放られるぜ、隊長?」
深夜。
出来た図面を読み込んで、隣室で機体が組まれ始める。完璧な防音のせいで部屋は静まり返っていた。
ソファに沈み込んだクルルの指先にだけ微かな灯りが点っている。
「…………先輩」
紫煙を吐きながら、天窓から見えるケロンの衛星を見上げてそっと呟く。
あの忌々しい砂漠の星からは、双子の女神星がきっとよく見えている事だろう。
水と緑の碧がさぞかし美しく、残酷に輝いている事だろう。
「待ってなァ先輩?今行くから…ホントにすぐだからよだから…待っててくれな?」
朗々と聞こえるあの声の元に俺の声は届いているだろうか?
せめてそれを願わずにいられなかった。
NEXT >>
|