聞かせるつもりはなかったのだろう。
寄せ集めの軍ではあるが、だからこそ、指導者の器は軍の器。
門閥貴族たちのように仲間を蔑む者が長居できるほど、この城の雰囲気は澱んではいない。
その兵士はただ、指揮官への敬慕と気遣いとそれ故の不安を、気のおける仲間に零していただけだったのだと思う。
「あんな者を殿下の傍に置いてもいいのか。あの娘の家門は、反逆者だぞ」
だから、偶然その言葉を耳にしてしまっても、ルセリナは驚くことも傷つくこともなく瞳を伏せた。
それが自分のことだというのは分かる。言われても仕方ない立場だということも分かっている。
反論も弁解もするつもりはなかったから、彼女は傍にあった燭台を持ち上げると、そっと踵を返した。
しかし、運悪く燃えさしの蝋燭がぐらりと揺れて落ち、静かな廊下に響く音を立てた。
「あっ……」
「誰だ!」
小さくあげた叫びを待たず、鋭い声が飛ぶ。
一般兵士とはいえ相手は軍人、その誰何から逃れられるとは思えなかったので、ルセリナは仕方なく開け放された戸口へ歩み寄った。
「すみません。燭台を取りに来ただけです」
「……!」
目礼すると、中にいた数人の男が皆、戸惑った表情をして彼女を見た。
噂話の張本人が、普段訪れることのないこの場所に、こんな夜更けに現れるとは予想していなかったに違いない。
お邪魔してすみませんでした、と声をかけて去ろうとすると、兵士のひとりが意を決したように近づいてきた。
「ふ…ん。殿下のお部屋に、ですか」
「はい。使っていたものは、芯棒が折れてしまって」
「こんな時間まで、殿下と?」
「次の戦いが近いですから。殿下も色々と熟慮されておいでのようです」
「それであなたは、お付き合いして籠もっていらっしゃるというわけですか」
「私にできる仕事は、それしかありませんので……」
淡々と答える彼女に、彼は苛立ったような様子で唇を噛んで。
おそらく後ろめたさもあったのだろう、殊更に馬鹿にしたような様子を作って、肩をすくめた。
「は、あなたにはもっと重要なお役目がおありなのではないですか。殿下をお慰めするという」
「……どういう意味ですか」
「言葉通りですよ。殿下のお心をとやかく言うつもりはありませんが、それにしても随分と執心の御様子だ。
裏切り者の小娘のくせに、どのような手口で殿下を誑かしているのか……」
「お、おい!」
後ろにいた男たちが、眉を顰めて立ち上がる。
いくらなんでも、という制止の声を無視して、彼が尚も言い募ろうとした、その時。
「言葉を慎みなさい!」
突然、物静かで控えめだった少女が声を荒げて、目の前の兵士を一喝した。
「臣下として、殿下に対する不敬は看過できません!
あなたは私ひとりを貶めるために、主である王子殿下をも侮辱しようというのですか!?」
自分より30cm以上も上にある顔をきっと見上げる、強い視線。
どこか王子に似た眼光で彼を射抜きながら、ルセリナはぴんと背筋を伸ばした。
「あなたが言うように、私が家門の罪過を背負っていることは承知しております。
しかし殿下は名君であられます。償われるべき罪を放置するようなことはなさいません。
ましてご深情を邪推するなど、あまりに無礼ではありませんか!」
目を丸くして驚いていた兵士が、その言葉にすっと瞳を細める。
大貴族への最低限の礼節を守っていた口調が崩れて、彼は怒りに震える彼女を妙に冷めた目で見た。
「じゃああんたは、自分がその慈悲に甘えていないと言えるのか」
「………っ」
「あんたがいることで、殿下がどう思われるかを考えたことがあるか?それも敵にじゃない。
あの方のために命を賭けようと集まった者たちが、それを見てどう思うか、考える価値はないというのか」
「…………それ、は」
「殿下のご心中を拝察しようとは思わん。俺が言いたいのは、あんたの身の程だ」
「……!」
吐き捨てるように言われ、すぐ目の前で荒々しく扉が閉ざされる。
ルセリナは冷たい風が髪を揺らすのを感じながら、いつまでもその場に立ち尽くしていた。
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