目覚めたとき、彼は白い空間に浮かんだ玉座に座っていた。
一瞬後、そこが心の中の世界であることに気づく。
「……………」
黙ったまま辺りを見渡してから、彼はふと瞳を落とし、ずいぶん前から握りしめたままだった掌を開いた。
そこにあるちいさな金属に、すこしだけ笑みが浮かぶ。
「そうか。私は、……敗けたのか」
もうひとりの自分と対峙し、世界の命運を賭けて戦い、斃された。そして自分は彼に吸い込まれ、融合した。
そのことに、不快な感情は湧いてこなかった。むしろ、彼を殺さずにいられた自分に誇りのようなものを感じた。
数百年もの間“神”であった自分と、いくら半身と言えども召喚されたばかりの彼との力の差は、あまりにも明らかであったから。
やろうと思えば、世界を滅ぼすことなど一瞬で出来たはずなのに。
神として、自分を斃すものを護っているのが、なんとなくここちよかった。
彼女が愛した、この世界を。
そのとき。
ちりん、とかすかな音がして、手の中の鈴がすっと浮かびあがった。
「!」
思わず立ち上がった彼の目の前で、ちいさな鈴はふわふわと漂い、しだいに光を放ちはじめる。
「……マミ……!?」
かすれた声で呼ぶと、それに応えるようにまた、鈴がちりんと音をたてた。
そして現れる、なつかしい姿。
「マミ!」
「……え?」
目を瞬かせて、自分の手や体を不思議そうに見回していた少女は、驚いたように彼を見やって。
この異様な場に不釣り合いなほどうれしそうに、微笑んだ。
「どうしたんだ?あんちゃん……おらの名前をよぶなんて、はじめてでねえか?」
「……っ」
その言葉と笑顔は、彼がおぼえている彼女のままで。
それを確かめるように、つなぎとめるように、彼は少女を抱きしめた。
あたたかいけれどおぼろげな、かげろうのような身体。
それは、彼女が実体ではないことを否応なく感じさせた。
いまや精神だけの存在である自分と、おそらく同じようなもの。
そんなことを思いながら、無意識に深く嘆息すると、少女が笑って彼の背中を叩いた。
「しょうがねえなぁ、あんちゃんは。おら、ほんとはここにいちゃいけねえのに」
「だめだ」
途端に、抱いた腕に力がこもる。
今にも彼女が、消えてしまいそうで。
心もとない体でも感じる力強さに、彼女はちいさく首を振った。
耳元で、鈴がまたちりんと鳴った。
「……ここでなら」
動かない彼にもう一度首を振って、ぽつりと呟く。
「おら、体もなんもなくなったけども……この鈴にだけはきもちが残ってるみたいだ。
あんちゃんがこの鈴を持っていてくれたら、いつでも会えるだよ。……ここで」
「だめだ」
いたわるようにそう言った彼女に、しかし、彼は否定の言葉をくりかえした。
「だめだ。連れていく」
こんな夢のような世界で、幻のようにあやふやに触れあうために、もう一度出逢ったわけではない。
彼女がいたあの村で。
地位も、権力も、富すらちっぽけなあの村で。
つまらない子供や老人の相手をさせられながら、粗末な暮らしをして。
そうして、世界の存在する意味を知るために、もう一度出逢ったのだ。
小さな子供のように頑として譲らない彼の腕の中で、彼女は窮屈そうにしながらくすりと微笑んだ。
「あんちゃんは、別のとこに行かなきゃなんねえだろ?他の、えらいお人たちと一緒に」
「……………」
「もうひとりのあんちゃんにそう、頼まれたのに。我侭いうのはよくねえなあ」
「……………」
な?と諭すように告げられても、彼は頷こうとはしなかった。
代わりに、以前した昔語りの続きのように、淡々と言葉をつむぎだす。
「……神の半身は、自らのちからを捨て、ヒトとして生きることを選んだ。
うつろうもののはかなさと、それ故のうつくしさを知ったからだ。
それを気づかせたのは、うつろわざるものの流れに巻きこまれた、矮小なヒトたち。
彼らのために、あいつは神としての器を捨てた……ならば」
彼が言葉を切ると、あたりが急に暗くなったような気がした。
「あいつと私が、おなじひとつの存在であるならば。
私がおまえのためにそれをして、何が悪いのだ?」
ぱ、と彼の掌から一気に閃光がひらめく。
彼女がなにか言うのが聞こえたが、ためらう気はなかった。
しあわせなゆめならいらない。
そんなものはもう、ほしくない。
彼女がどう思おうと、誰がなんと言おうと、世界の理がどうあろうとも。
彼女を連れて、還るべき処へ還る。
それは彼が、この世界に召喚されてはじめて、自らのために望んだことであったから。
そうして、いつかの森の中、いつかのように彼をみつけた彼女は、かわいらしい鈴の髪飾りを鳴らしながら笑うのだ。
「ほんと……あんちゃんは本当に、しょうがねえお人だ」
そんな諦めたような穏やかな笑顔を見られたらもう、
ほかになにもいらない。
それはそのゆめの、すこしあとのおはなし。
FIN.
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