しばらくして、ソフィーが何度目かのお茶を淹れ直した頃、ドアの円盤が徐にカチリと音を立てた。
「あ。帰ってきたかしら?」
ソフィーの視線を追うように、カブもドアに目を移す。
カルシファーは瞳をくるりと回して、こっそりとカブの座っている椅子から距離を置いた。
「ソフィー!ただいま!!」
ぱたぱたと走る音がして、座ったままのソフィーにマルクルが抱きつく。
「お帰りなさい、マルクル。楽しかった?」
「うん!王宮ってすごく大きくってね、魔法アイテムが色々あって、たくさん見せてもらったよ!」
「そう、よかった。ハウルは?」
その問いに彼が振り向く前に、またドアが開く。
「ただいま、ソフィー……」
呟きながらよろよろと階段を登ると、ハウルはマルクルを押しのけてソフィーの肩に顔を埋めた。
「ハウル?大丈夫?」
「大丈夫じゃない……いくら争わなくて良くなったとはいえ、王宮は苦手だ」
「マルクルは楽しそうだけど」
「サリマン先生は素直に教えを請う者に甘いからね。マルクルなんて典型だよ」
はあ、と大きくため息をつくハウルの頭を、ソフィーは優しく撫でてやる。
彼がただいまのキスをねだろうと、顔を上げたとき。
「お帰りなさい」
テーブルの向かいで黙って眺めていたカブが、おかしそうに声を掛けた。
「……?」
「カブ!?」
ぴくりと肩を揺らしてそれを見たハウルが何か言う前に、横にいたマルクルが声をあげる。
「どうしたの!?いつ来たの!?」
「お久しぶりです。先程、こちらに来たばかりです」
「うわあ、カブが来るって知ってたら僕、王宮なんか行かなかったのに!」
「すみません」
「………………。」
駆け寄って目を輝かせるマルクルの後ろで、ハウルがすっと目を細めて。
なにやら呟きながら身を起こすと、にこりと彼に笑いかけた。
「なるほどね。王宮で聞いた使者っていうのは、君のことだったのか」
「え?使者?」
ハウルは腕を組んで肩をすくめた。
「隣国から使者が来たそうだよ。休戦はしても完全に戦争が終わったわけではないこの時世に、跡継ぎの王子が協定書を持参したと王宮は大騒ぎだった」
「へえー。カブ、そんな大事なご用でこっちに来てたの?」
「ただのついでですよ。こちらを訪ねるついでに、届けただけですから」
「なあんだ。ね、王宮でもらってきたアイテム、僕の部屋で一緒に見ようよ!」
安心したように腕を引くマルクルに、微笑んで頭を下げる。
「申し訳ありません、今日はそろそろ戻らないと……」
「えーーー!?いやだよ、帰ってきたんじゃないの?」
「そうよカブ、ここはあなたの家なんだから、よかったら泊まっていって?」
二人の無邪気な言葉に、カルシファーは小さくため息をついた。
休戦協定書というものは普通、重要な地位にいるが重鎮ではない者が取り仕切るものである。
ましてやつい最近まで戦争をしていた敵国の王宮に、跡継ぎの王子がのこのこ現れるなど通常考えられず、おそらく隣国では彼の身を案じていることだろう。彼が帰らなければ国同士の関係悪化は免れない。
そんなことは微塵も理解していない二人と違って、ハウルにはそれが分かっているはずだが、彼は不機嫌そうに黙り込んでぷいと階段を登っていってしまった。
うわー……ありゃ後で荒れるなあ……
待ち受ける騒動を思いやって憂鬱げに火を揺らしたカルシファーと、マルクルに抱きつかれているカブの視線が、かち合う。
「……少しタイミングが悪かったようですね」
「……ああ、まあ、ハウルは王宮が嫌いだからな……」
それ以前にソフィーに近づく男は、例えマルクルやカルシファーでもいい顔はしない。
二人ともそのことは重々承知していたから、あえて口に出したりはしなかった。
「ハウルったら。ろくに挨拶もしないで、どうしたのかしら」
後でよく言っておくわ、と謝るソフィーに、カブはカップを置いて立ち上がった。
「ソフィー」
「?なあに?」
「ソフィーは今、倖せなのですね」
「え?」
その言葉に、驚いて彼を振り向く。
「できればあなたが私の国に来てはくれないかと、今日はそれを伝えに来たのですが」
「……え?……え、っと」
きょとんと彼を見返してから、ソフィーは少しだけ困った表情をした。
それに、笑って。
「でも、彼のことを話しているあなたはとても倖せそうだ。今日の所は退散することにします」
「カブ……」
「それに私は、そんなあなただからこそ好きなのですよ。残念ながらね」
そう告げると、カブはもう一度彼女の手を取った。
この感情は、彼女が自分のものにならないくらいで妨げられはしない。
ソフィーは自分にとって、唯一の真実。
呪いを掛けられ、流離って零落れて、王子であることを忘れかけていた私を救ってくれた。
彼女の傍にいるだけで、元通りの自分を取り戻すことができた。
呪われた日々の悲惨さを語ると、あなたは笑うけれど。
『そんな酷いことがあったようには思えないわ』と信じて疑わないけれど。
ただ小さく笑うだけで、私を倖せにしてしまうあなただから。
「ソフィーが倖せであれば、私は嬉しい。
今は、彼の傍で笑っているあなたが一番好きです。でも」
いつか、私の愛を捧げることがあなたの一番の倖せにしてみせますよ。
囁いてシルクハットを手に取り、カブは優美なお辞儀をして身を翻した。
FIN. |