こほん、と咳払いをひとつして、丁寧にドアをノックする。
かすかに聞こえる物音と、感じられる気配。それだけでドアを開けるのが誰か予想できて、彼は知らず目を細めた。
「こんにちは、ソフィー。お元気でしたか?」
ドアが開くか開かないかのうちに体を伏せて挨拶した彼に、彼女はノブを握ったまま少しだけ驚いて。
そして、嬉しそうにふわりと微笑んだ。
「ええ、ありがとう。お帰りなさい、カブ」
その台詞と表情に一瞬だけ心を奪われてから、カブは笑って彼女の手を取り、その甲に口づけた。
「……ただいま戻りました」
「また会えて嬉しいわ。カブも元気?おうちは大変だったんじゃないの?」
「あなたにお会いできないことに比べれば、塵ほどの苦も」
「まあ」
くすくすと笑い声をたてながら、彼を部屋へ招き入れる。
お茶を頼むと、カルシファーは物言いたげな目をしたが、結局何も言わずにポットを抱え込んだ。
「昨日焼いたお菓子があるわ。マドレーヌは好きかしら?」
「勿論です。あなたの作ったものが戴けるなんて、夢のようだ」
「そういえば前は食べられなかったものね。あ、カップを出してもらえる?」
「はい」
彼の姿が変わる前と同じ調子でそう言うと、ソフィーは戸棚からお菓子と茶葉を取り出した。
「今、ハウルとマルクルはお出掛けしてるのよ。おばあちゃんとヒンはお昼寝だし……
せっかくだから、みんな揃ってお茶したかったんだけど」
「……ハウルはいない方がいいと思うけどなあ」
お湯を沸かしながら、カルシファーが口を挟む。
ソフィーは不思議そうに彼を覗き込んだ。
「あら、どうして?」
「…………いいや、なんでもない」
「?変なこと言うのね。家族みんなでお茶した方が楽しいじゃない」
家族ねぇ、と苦笑のような表情を浮かべて、カルシファーは熱くなったポットを彼女に差し出した。
首を傾げながら受け取って、お菓子と共にトレイに載せる。
それを持って振り返ったソフィーは、ティーセットの用意されたテーブルの横に立って待っているカブを見て、軽く目を見張った。
「あ………そうか。ごめんなさい、そういえば王子様だったっけ」
今初めて気付いたように、小さく首をすくめる。
カブはもう一度笑って、ソフィーの座る椅子を引いた。
「いえ、あなたのお役に立てるなら光栄です」
「でも、おうちではこんな雑用はしないでしょう?嫌ではないの?」
「とんでもない。元より私の国では、男性は心に決めた女性に尽くすもの。
父王ですら、母のためにお茶を淹れたりするのですよ」
「まあ、素敵ね」
カブとしては『心に決めた女性』に反応して欲しかったところだが、ソフィーはそんなことには気づきもせずさらりと言葉を流した。
苦笑しながらお茶を受け取って、勧められたお菓子に讃辞を述べる。
あれ以来一度も会っていなかった二人には、時間は瞬く間に過ぎていった。
呪いのこと、戦争のこと。両国間で交わされた協定。出逢った時の思い出話。
やがて堪えきれなくなったようにカルシファーも口を出してきて、三人分の笑い声が長く部屋に響いた。
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