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  あなたにサラダ 2 

その日の夕方。
青年は、休日出勤の労から開放されて一人帰路についていた。
窓から見える景色はいつもと変わらないのに、青年の目にはよどんで映る。
理由は当然、傍にいるべき少女がいないせいであった。

……いつもは俺がいわんでも手伝ってくれるのに。なんや機嫌も悪かった気ぃするし、どしたんかなぁ。
 俺、何かを怒らすようなことしたんやろか……」

ひとりだとどうしても物事を暗く考えるくせのある彼は、広いリムジンの座席で足を組んで独語した。

「俺のこと……もう嫌いになったんかな。に嫌われたら俺、生きてなんかいかれへん。どないしよう……許してくれへんかなぁ……」

情けない心情を吐露したとき、車が屋敷に到着した。
たちまち、青年は大企業の社長の顔に戻る。よっぽどのことがない限り、上に立つ者として使用人などに弱みを見せるわけにはいかないのだ。
……しかし、そのポーカーフェイスはものの10秒で崩れさった。

『きゃあぁーーーっ!!』
「!?!?」

戸外まで響く叫声をきくやいなや、青年はスーパーダッシュして館に駆け込んだ。

 

◇     ◇     ◇

 

!どしたんやーっ!!」

声をたどると、厨房のドアの外でシェフ達が右往左往している。かまわず厨房に入った青年の見た物は、ひっくり返された料理や割れた皿の散乱するなか、調理机の上にちょこんと座っているの姿であった。

?……どないした?」

とりあえず怪我などはないようだが、少女は怯えた様子で青年を見ている。

「ダメ、来ちゃ駄目!」

近づこうとするのを止められ、彼は一瞬のうちに膨大な悪夢を予感した。
だが。少女の目は青年ではなく、青年の踏み出そうとした床を注視している。

「あ、あ、そこ……そこのキャビネットの下………」
「なんや? なにがあったんや??」
「私、それだけは駄目なのぉ! お願い、どこかに持っ……」

そう言いかけた時、の差すキャビネットの下から黒い虫が走り出た。

「きぃやああああああーーーー!!!!」

最大音量で叫ぶと、は机の上に突っ伏す。

「い…いゃ、……お願い〜〜……」

ほとんど涙声になる少女に要領を得た青年は、その辺にあったスリッパを持ち出した。(やっぱスリッパでしょう・笑)

を恐がらせた罪は重いでぇ! 一発で死なせたる!!」
「だめっっ!」

スリッパを叩きつけようとした青年をまた、が止める。

「駄目よ、殺すなんて……第一見たくない!そんなの見たら夢に出ちゃう〜」
「難儀やなー。ほなどうしよか? 外へ持ってったらええか?」
「う、うん。でも触らないでね! 触ったら三日は違う部屋で寝るからね!」
「わかった。……っと、その前に」

青年は机まで注意深く歩み寄ると、をひょいと抱き上げた。

「ここにおりたくないんやろ? 大丈夫、ちゃんと遠くに捨ててきたるさかい」
「本当ね? 絶対に触らないでね」
「ほいほい」

不安そうなを抱きかかえたまま、青年は非常に機嫌良く返事した。いつもは気丈な少女の珍しい様子を見れたことと、少女が自分を頼りにしてくれていることが嬉しくて仕方ないのだ。

せやけど、はものごっつ怖かったんやからな。喜んでばかりいるわけにもいかん!

「ね、聞いてる? 捨ててきたら、ちゃんと手洗ってね。ううん、お風呂入ってくれたら嬉しいな」

少女の注文はまだ続いている。いつもにまして可愛いその様子に、自分を戒めたばかりの青年の頬がゆるんでしまう。
しかし調理場を出てシェフ達と目が合うと、青年は忌々しげに舌打ちをした。

「……んでも、あいつらは何やっとんや!?をこんな目に遭わせて
「違うの! 私がムリヤリ頼んだの、あなたに美味しいもの食べてほしくて。
 でも、ほとんど駄目にしちゃった……」

あわてて言い、少女は暗い顔でうつむいた。

「ごめんなさい。私やっぱり、料理なんてできないみたい」
「い、いや、そんなことないって! 今回やってアレが出てこんかったらできてたんやろ?
 今度また、俺がおるときに作ってや

気にしない、と言うよりすでに“今度”を楽しみにしているといった口調に、泣きたい気分のはその首を抱きしめる。

「……うん。あ、でも、冷蔵庫に入れてたサラダはたぶん無事だと思うの」
「ほんまか? んじゃ、パンでも焼いてもろて晩メシにしよか。
 いや〜、みたいな奥さんもろて俺はホンマに倖せモンやなぁー」
「…………バカにしてる?」
「? なにが?」

心底そう思っているらしい青年は、不思議そうに少女を見た。

「サラダしかマトモに作れないのをいい奥さんなんていう人、あんまりいないと思うけど……」
「ここにおるやん」

寝室のドアを器用に足で開けながら、青年は満面の笑みをこぼす。

「俺は、が傍におってくれるだけで十分なんや。毎日アンジェの姿を見られるだけで倖せやのに、そのうえは俺を好きで、俺を気遣ってくれるやろ?
 俺って世界で一番の倖せモンやといつも思うわ」

下手をすれば毎日毎夜ささやかれるその台詞は、いつもより優しくの心を包んだ。

「ほな、ちょっと行ってくるさかいな。調理場はあいつらに徹底消毒させたるから安心しとき。今日はここでメシ食うから、おとなしく待ってるんやで」

ベッドに降ろそうとする青年の首に手を廻したまま、は頬に軽く口付けた。

「ありがとう……大好きよ、あなた


結局相手にはかなわないことを体現したのは、やはり青年の方であった。

FIN.

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