……エルンストが女王候補の寮を訪れたのは、その日の午後のことだった。
付き人に案内されて部屋へ入ると、中にいた少女は驚いて立ち上がった。
「……今までなにも言わなかった者が、と謗られるかもしれません。
ですが、私の本当の気持ちを、貴女に聞いていただきたいのです。
女王が決定した今だからこそ、言えるのかもしれませんが……」
そう前置いて、エルンストは言葉もない少女の傍まで歩み寄った。
「私には、夢がありました。小さい頃見た満天の星空を、その謎を何とか解明したいと思ってこの研究をはじめ……宇宙学の研究のためなら他のなにをも犠牲にしてもよいと思っていました。
ですが貴女に会ってから気付いたのです、私の夢が変わってしまったことに。
私の願いは、貴女をずっと見守っていくこと。宇宙の創生より、それを創り育てた貴女こそ、私のすべてなのです。」
少女は、目を見張ってそれを聞いていた。やがて、肩が小刻みに震えはじめ、うつむいた彼女の口から小さな呟きが漏れた。
「…………負けた、のよ?」
エルンストは少女の身体をぎこちなく抱きしめた。
「試験に勝てなかった……自分こそ女王に相応しいなんて言っておきながら。
あのコに、アンジェリークに負けたんだよ、ワタシは!?」
「レイチェル」
エルンストの胸に、透明なしずくがぱたぱたと落ちてゆく。
「……私は、貴女に女王になって欲しくなかった。偽ろうとすればするほど、私の口からは本心があふれていました。
私が女王陛下の前でアンジェリークを支持したことが、あるいは結果を変えたのかもしれません。
しかし……私がもっとも女王に相応しいと思い続けてきたのは、貴女です。 それだけではいけませんか?」
「…………!!」
「初めて逢った8年前から、私はずっと……貴女だけを見てきたのです」
8年前。
レイチェルは両親に連れられ、初めて主星の地を踏んだ。
各惑星ごとに最大の称賛を浴びつづけ、主星の王立研究院に直々に招かれた8才の天才少女は、いきなり研究院の大学院課程に所属し信じられない早さで学問を修めていった。
しかし、彼女のそばには感嘆や嫉妬の目はあっても、親身になってかまってくれる優しい手は存在しなかった。
「貴女はあの時も、こんなふうに泣いていましたね……」
あの日、惑星視察から帰ったばかりのエルンストは、聖地の結界を調べるために森へ来ていた。
かなり入ってからふと見ると、小さな女の子が木にすがって泣いているのが見えた。迷い子かと思い声をかけようとした瞬間、彼の目に信じられないものが映ったのだ。
ふわりと彼女を包み込む、大きな金色の翼。
おぼろげながら確かに存在する輝く天使の羽根。
絶句する彼の目の前で、やがて少女は涙を止め、自分の頬をぱしんと叩いて出口の方へ歩いていった。
一時間後、研究院で噂の天才少女と引き合わされた時の彼の驚きはいかほどだったのか。
「アナタが、エルンスト?
院の研究生課程を最年少で卒業した秀才だそうだね。でも!」
少女の瞳が、キッと強くなる。
「勝つのはワタシだからね!! ワタシは天才なんだから。
アナタになんて、負けない………」
腰に手を当てふんぞり返っていたレイチェルは、ぎょっとして言葉を止めた。
エルンストの顔が、自分より低い位置にある。すっと片手を胸に当てて跪き、姫君に敬意をはらう騎士のように見つめる、エメラルドグリーンの瞳……。
しゃれたことなど出来ないはずの彼は、ごく自然にその動作をやってのけ、立ち上がると、少女を見下ろして言った。
「……ご自分が天才だと仰るなら、それなりの成果を期待させて頂きましょう。では」
態度の落差に唖然とする少女を残して、エルンストは去って行ったのだった。
「あのとき、私にははっきりと判ったのです。貴女は私などには触れることもできない、尊い存在なのだと。
そして私の役目は、貴女を指導し育てること……なのだと」
以来8年間、エルンストはレイチェルに最大の努力と結果を要求した。
レイチェルと並び称される彼のそれは、彼女にとってさえ容易ではなかったが、レイチェルは決して泣き言を言わなかった。……少なくとも他人の前では。
11年の歳の差はそのまま知識の差に現れ、彼女はそれを埋めるために必死だった。自分の傍で常に反論を交えながら勉強するレイチェルを、エルンストは見つめ続けてきたのだ、8年間ずっと。
限りない愛しさと、それ以上の自制を込めて。
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