「……あれ、レイチェル。今日は謁見の日じゃないよね?」
部屋の外で顔を合わせた彼女に、アンジェリークは思わず問うた。
四週に一度の謁見のたびごとに、レイチェルはアンジェリークを呼びに来てくれる。最初は自分が面倒を見られているようで快くなかったが、彼女の性格を知るようになるとそれが好意の表れであることに気付いた。
だから、部屋を出てすぐ会うと、謁見の日のような気がしてしまうのだ。
「なに言ってんのぉー? 謁見は来週でしょ、しっかりしてよね!」
「あ、そうだっけ。ごめんね」
いつになく気の抜けた返事を返されて、レイチェルは少々意外さを感じたようだ。常ならばさっさと研究院へ向かう足を、アンジェリークに向けた。
「なに? また何か気になってんの?」
このあいだは公園の噴水のことで、その前は湖の滝のことだったな、と思い出す彼女へ、
「………女王候補って、女王にならなきゃダメなのかなぁ」
アンジェリークはとんでもないことを言い出した。
「は?」
言われたレイチェルは思いきり顔をしかめたあと、黙って彼女を自分の部屋へ手招きした。
◇ ◇ ◇
「とりあえず、視察は昼からでいいから話してみなよ。なんだって?」
あまり16の女の子らしくない書物があふれた部屋で、小ぶりのマグカップにホットミルクを注ぎながら、レイチェルは続きを促した。
「んー……べつに、ふと思っただけなんだけど」
「いいから」
レイチェルは重ねて問う。少し戸惑ってから、アンジェリークは尋ねた。
「……ね、レイチェル。候補になる前に、つきあってた人とかいた?」
「いたよ」
率直な答えがアンジェリークを鼻白ませる。
「恋人、じゃなくてボーイフレンドだけどね。点々とした惑星でもそうだったけど、主星に来てからけっこう長いからなぁ。
……ワタシを放っておく男の子って、あんまりいないんだよね」
そういう言い方が嫌味にならないのが彼女である。慣れている少女は気にもかけなかった。
「じゃあ、候補になるとき迷わなかったの? もう会えなくなるのに……」
「小さいときから別れるのは慣れてるから。……それに、この人っていう恋人はいなかったし」
「え、なんで?」
興味津々で聞いてくるアンジェリークに、レイチェルは少し息をついた。
「ワタシに釣り合う人がいなかったからに決まってんでしょ。で?それがどうしたって?」
「……………」
とたんに俯いて黙り込む。しばらく待っていたレイチェルは、しょうがない、と口を開いた。
「アナタ、試験を放棄するつもり?」
「…………!!」
アンジェリークは驚いて彼女を見た。
「誰か好きな人がいるんでしょ。アナタなら“片想いでも傍にいたいの”とか言いそうだね」
「片想いじゃないもん! あの人だってきっと……あ」
誘導尋問に引っかかったことに気付いて、アンジェリークは顔を赤らめた。
「ふぅん。それで?」
「…………試験を、ね。がんばれって応援してくれてるの。
初めは女王候補として、協力者として見てるんだって思ってたんだけど……」
自ら相手を限定したことに気付かない彼女を、レイチェルはあえて言及しなかった。
「そのうち判ってきたの。湖でお話しするときと、感じが違うんだもん。
試験に協力するって言いながら、とても哀しそうな瞳で…私を、見る、の」
思わず声をつまらせたアンジェリークは、ついこの前会った時のことを思い出していた。
いつものように部屋まで送ってくれた彼が、なにか言いかけて口をつぐんだことを。
きっと、彼を苦しめているのは自分なのだ。それを告げてしまったら、候補としての自分を迷わせてしまう、そう考えて。
その言葉を望む気持ちは、自分だって変わらないのに……。
こらえきれず涙を落とすアンジェリークを、レイチェルは少し醒めた目で見つめていた。『それ』は、彼女にはどうしようもないことだったから。
「……アンジェリーク」
一瞬言いかけた台詞を、辛うじて飲み込む。
「試験を放棄しようなんて考えちゃダメだよ。そんなことしたら、きっとその人は責任を感じずにはいられない。
それよりも、自分に与えられた使命を…新しい宇宙を、一人立ちできるまで育てて。それからでも遅くはないよ?」
「!レイチェル、それからって……!」
ぱっと顔を上げると、微笑みを浮かべたレイチェルがぱん、と肩を叩いた。
「なーに惚けてんのぉ? もう少しして宇宙が安定期に入ったら、ホントは女王なんていらないんだよ。
導き手がいなくて多少ゆっくりになるけど、女王がいない時だって宇宙はちゃんと成長してたんだから」
不勉強だなぁ、と呟きながら、学んできた知識を示す。
「女王になるのはワタシだろうけど、もしアナタが補佐官に望まれても自分の意志で辞退することってできると思うよ。
自分の運命は自分で決めなきゃ、……そうでしょ?」
私にはできないけど、とは、レイチェルは言わなかった。
それから10日後、試験開始から254日目の火の曜日。
聖地に、新宇宙の女王となるべき者が誕生した。
惑星一つの差で抜きつ抜かれつしていた二人のうち、その資格を受けたのは、研究院の天才少女ではなく栗色の髪の少女のほうだった。
次の日、アンジェリークは一人で宮殿に召され、女王と会話を交わした。 |