「大丈夫ですよ、クラヴィス。お医者様は大事ないと仰喋っていましたし、呼吸もだいぶ安定してきました。 
 きちんと休めばすぐ良くなります」 
 
そう言って、地の守護聖は安心を促すように笑った。 
 
「そうか。こんな時間に面倒をかけてすまなかった、ルヴァ」 
「いぃえー。それにしても、一体何があったんですか? こんなに長時間雨に打たれて、ひとつ間違えたら危ないところですよ」 
「……私が悪いのかもしれぬ」 
 
ベッド脇の椅子に腰掛けて、私は大きなため息をついた。 
 
「ルヴァ。私は…私は遠い昔、愛しい少女を失ったことがある」 
 
ルヴァは驚いて私を見た。それは、私がそれを口にした事への驚きのようだった。 
 
「あの時、もう二度と人を愛すまいと心に誓った。嘘ではない。 
 思えば、他の者を愛するには私の心は彼女に捕らわれすぎていたのかもしれぬ」 
「………ええ。」 
「しかし、そんな私をもう一人の少女が救ってくれたのだ。金の髪の…私の天使が。 
 ……彼女を拒んだのは、彼女を愛せなかったからではない。愛していないわけがないのだ、私にはあの者しかいなかったというのに……」 
「クラヴィス…あなたは、未だに陛下の…いえ、のことを……」 
 
ルヴァがいたわるような口調で呟いた。誰に対しても穏やかな物腰と気遣いで接することが出来るこの守護聖を、私は一瞬うらやましく思った。 
 
「私は恐かったのだ、今思えば。 
 女王になるべき者を、宇宙の運命を自分ひとりのわがままで変えてしまうわけにはいかぬと自分に言い聞かせながら、その実彼女に拒まれるかもしれない、いつか私から離れていくのではないか、と怯えていた。この私がな……」 
 
“”は先程とはうってかわった穏やかな吐息を立てている。 
私はちらとそれに目をやって、微かに首を振った。 
 
「この少女は、私にかの者を思い出させる。この少女が私に向かって微笑むたびに、かの者を想う心が痛んでやまない。 
 私にとっては、愛する者も…そして女王も、ひとりなのだ」 
 
そこまで言うと、私は耐えられなくなって額に手を当てた。 
悪夢のような即位の儀、それを引き起こしたのは自分だった。この上忠誠の対象としての彼女さえ失くしてしまったら、自分は生きていく理由を失ってしまうだろう。 
 
「………“”は…あなたのことを好きなのだと思いますよ。この間言っていました、『女王候補は女王になる義務を負ってるんでしょうか』と」 
「……義務?」 
「どうやら、あなたは彼女と同じことを考えているようですね。 
 ……いつかも言いましたが、守護聖も女王候補も、その前にまずひとりの人間なのです。 
 全てをかけても手に入れたいものを無理に押し込めていても、決していいことはないと思いますよ。」 
 
ルヴァはいつかのような諭す表情で私に言った。 
 
「あなたはもっと…想ったままを口にしていいのですよ、クラヴィス」 
「ルヴァ……」 
 
二人の姿を、ほのかな朝の光が照らし始めた。 
 
「……夜が明けてきました。私はそろそろおいとまします、今日は日の曜日ですし彼女を一日休ませてあげるといいでしょう」 
「あ、ああ。寮には使いを出しておこう。すまなかったな」 
「では、これで……」 
 
一礼して、ルヴァは部屋を出ていこうとした。 
 
「……ルヴァ!」 
「はい?」 
 
呼び止めて、私はぎこちないであろう笑顔を浮かべた。 
 
「世話になった。……ありがとう」 
 
彼は、その言葉にこめられた意を正確に解してくれるような人間だった。 
 
 
ルヴァが去った後、私はまた物思いに耽った。 
『想ったままを口にしていい』…か。もしかしたら、あの時かの者も私と同じ言葉を欲していたのかもしれない。そして、同じ恐怖を感じていたのかもしれない。 
人の心は、言葉にしなければ伝わらぬもの。そんなことも判らずに、勝手な思い込みで愛する者に自分と同じ苦しみを味あわせたかと思うと、自己嫌悪がふつふつと沸いてくるのだった。 
 
「……私はあの時、おまえを連れて逃げようと本気で思ったのだ。 
 宇宙など、まして守護聖の座などどうでもよかった。他の者が不幸になろうとも、おまえに傍にいてもらいたかった。 
 勇気を出せなかった私への、これは天罰かもしれぬな……」 
 
思わずそんな台詞が口をついたその時、 
 
「……それを、今、陛下に言ってあげてください」 
「!」 
 
突然掛けられた言葉に、私は驚いて目を開けた。 
 
「ごめんなさい。聞いてしまいました、クラヴィス様がどんなに陛下のことを想っているか」 
 
少女はベッドに起き上がり、澄んだ瞳でじっとこちらを見ている。 
 
「でも、勇気を出せなかった、と悔やんでいてもなにも始まりません。 
 それよりは陛下にちゃんと伝えてあげてください。いまでも愛している、と」 
「……馬鹿な。彼女は今や全宇宙を司る女王なのだぞ、そんなことが……」 
「出来るわけがない、とお思いですか? たとえ女王であろうとも、愛する人を思う気持ちはなによりも強いはず。陛下はきっと、あなたを待ってるに違いありません。 
 それに、女王であるからといって愛する人と結ばれていけないわけが何処にあるんですか?  
 障害となっているのは現実ではありません。クラヴィス様の心にある恐怖です。 
 どうかそれを乗り越えて、陛下を迎えに行ってあげてください」 
 
私は呆然とした。この期に及んで私が彼女の答えに怯えていると、少女は言ってのけたのだ。 
 
「……しかし…しかし、そうなれば私はますますあの者以外の人間を女王に推すことはできなくなる。 
 女王でも補佐官でもなくなった人間を聖地にとどめることは出来ぬ……」 
「大丈夫です。この女王試験は、新たに生まれる宇宙の統治者を選ぶためのもの。 
 私かレイチェルが女王になるのは、あなたの『』が治める世界とは別の世界なんです」 
 
立て続けに知らされる事実に言葉をなくした私は、だが、あることに思い立った。 
 
「………しかし、…そなたは………」 
 
私の問いに、彼女はせいいっぱいの笑顔で返した。 
 
「……あの時、森の泉で私を見つけてくださったとき、クラヴィス様は初めて私の名前を呼んでくださいましたね。……私はそれだけで充分です」 
 
私は、その時の彼女ほど哀しそうな笑顔を見たことがなかった。 
 
「大丈夫です、クラヴィス様。私、女王試験がんばりますから。きっと、りっぱな女王になってみせますから、だから……大丈夫です」 
 
少女の目に、必死でこらえているらしい雫が見える。 
 
「………すまぬ。私はおまえに、多くを教えられた気がする。 
 こんなことを言ってもいいのかどうか判らぬが、おまえは良い女王になるだろう。 
 おまえの統治する世界を、私も見てみたいと思う」 
 
言葉が足りないのを承知で告げたことを、少女は最大限に理解してくれたようだった。 
 
「さぁ、はやく。ロザリア様が、日の曜日陛下が宮殿を抜け出して困る、と嘆いていらっしゃいました。 
 あなたなら、陛下の居場所に心当たりがあるのではないのですか? 
 今度は悔いの無いように、ちゃんとすべてを伝えてあげてください」 
 
少女の言葉に頷いて、私は踵をかえした。 
 
「ありがとう、………」 
 
 
ひとり残った少女は今度こそ何にも抑えられることなく、俯き小さな嗚咽を洩らした。 
FIN.  |