ぱたぱた、とビニールの天井が音をたてた。
商売に熱中していた彼がそれに気付いたとき、すでに視界は白くかすんで冷たい色が地面を覆いはじめていた。
「……あっかんなー。こんな天気じゃ商売あがったりや」
事実、さっきまで往来していた人々は足早に姿を消してしまい、やがて広い庭園には彼と彼の店とがぽつんと取り残された。
「たいして寒うはないけど、客が来んなら開けとってもしゃあないな。……今日はしまうか」
しばらく待ったあと誰も来そうにないのを悟って、青年は店をたたむ用意を始めた。
とその時、ぱしゃぱしゃと水を跳ね上げて、庭園に駆け込んでくる者がいた。
頭のリボンから髪、靴にいたるまで、見事にびしょぬれになった少女。
「……あれ。あのコ……」
その呟きが聞こえたかのように少女は濡れた顔を上げ、青年を見ると、照れたようにはにかんで会釈した。
「ち、ちょっと待ちぃ!」
そのまま通り過ぎようとした少女をあわてて呼び止め、手招きをする。
「びしょぬれやないか。ちょっと雨宿りでもしていかへん?」
少女は少し驚いた顔をしたが、屈託のない様子に警戒心をいだかなかったらしい。ビニール屋根の下へとことこと駆けてきた。
「ありがとうございます。でも私がここにいたら商品が濡れてしまうから」
落ちついた声が、意外だった。
「ええから。あんた女王候補さんやろ、風邪でもひーたらたいへんやん」
「私のこと、ご存じなんですか?」
びっくりして聞き返す少女に、青年はタオルを渡しながら笑う。
「まーな。それよりどした、寮へ帰るとこか?それにしちゃ方向が違うけど」
「あ、いいえ。学芸館に用があって」
「学芸館?こんな雨の日まで学習かいな、えらい熱心やなあ」
ますます目を丸くして、少女は感心したように首を傾げた。
「よくご存じなんですね。試験の関係者の方ですか?」
「っとと。いや、別に……」
語尾をにごし、会話を転じる。そうしてしばらく立ち話をしたあと、彼は不思議そうに訊ねた。
「せやけど、こんな日まで試験もないやろ。
もう一人の候補さんはあんまり見かけへんで?こんな日は特に」
そう言うと、青年の視線の先で少女の表情がふわりとほころんだ。
「レイチェルは、才能があって自分に自信を持ってるから。
おやすみして、部屋でデータを分析してるんだと思います」
「ほなあんたは、才能なくて自信もないんか?」
わかって言った意地悪な問いに、少女は悠然と答えを返した。
「いいえ」
「……………」
「同じ努力でも、私は行動する方が合ってるんです。可能性は一緒ですよ」
毅然とした表情がやけにまぶしかった。
青年はそれに見入り、まばたきをすると、困ったように目を泳がせた。
透けたブラウスに視線が止まりかけ、あわてて逸らす。
「せ、せや!確か女もんの服があったさかい、貸したるわ!」
わざとらしくごそごそと箱を探り、かわいらしいワンピースを取り出す。
「えっ……でも、私お金を持ってなくて……」
「ええって。そんなカッコで行ったらイヤミ言われたり心配されたり、大変やろ。サービスや」
「ホントーによく知ってるんですね」
「う、あ、っと。心配せんでも、コレは会社に持って帰る分の商品やから」
「会社に勤めてらっしゃるんですか」
「あ、いや、ホラ!靴も貸したるから、学芸館に行ったら着替えや。
メイドにゆうたら部屋用意してくれるさかいな」
「……………」
次々と失言をくりかえす青年にそれ以上なにも言わず、少女はくすくすと笑ってうなずいた。
「はい。じゃあお借りします、このお礼は必ずしますから」
「あんたが喜んでくれたら、それがなによりの礼や」
いままで何度も使ったそのセリフを、本心から言うのは初めてだった。
もう一度会釈して雨の中に飛び出した少女は、振り返って手を振った。
「私、アンジェリークといいます。またお会いしましょうね!」
走り去っていく彼女をいつまでも見送りながら、青年は呆然とつぶやいた。
「……まさか……マジやないやろな……」
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