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  仔犬のワルツ 1 

「……そういえば。さっき客を案内するとか言うてたけど、誰か来るんか?」

春、という季節にしては、少し暑いくらいの日差しが降りそそぐ午後。
社長室の大きなテーブルに並べられた色とりどりのお菓子をつまみながら、青年は傍の少女に問うた。

「え? ええ。朝電話がきて、訪ねてもいいかって……」

少女はクッキーらしきものをひとかじりして、いまいち、という表情を見せた。
20代前半にしか見えない青年が、世界最大の大企業の社長だというのも推測しかねることだが、少女がその補佐役だといって驚かない者はいない。
彼女の名前はアンジェリーク。17・8の愛らしい、だがどこにでもいそうな外見と裏腹に、仕事のこととなると完璧に近い補佐能力を有することで知られていた。

ほんの少し前まで、アンジェリークはとある試験を受ける候補生だった。
新たに生まれた、この宇宙とは異なる世界。その女王となるべく暗黒の空間に星々を創造していた、女王候補だったのである。

……だが、彼女は女王候補たる傑出した能力ゆえに社長補佐の地位にいるのではなかった。
事実、もうひとりの候補より巧みに任を果たした彼女はしかし、即位の宣言をすることなく聖地を去った。
その理由は誰も知らない。現女王と彼女と、……彼以外は。
彼にとっては、アンジェリークがどんな資質に秀でていても意味のないことだった。天才だろうと凡人だろうと、彼女が自分の傍にいて、しあわせそうに微笑んで……そしてできれば、自分のことを好きでいてくれれば十分なのだ。
ふたりはそういう仲だった。

「……誰や一体。またくっだらん出資希望のジジイやないやろな?」

最近その手合いの人間達に悩まされていることもあるのだが、不機嫌な声の大半はアンジェリークとの時間を邪魔される不満にあった。
アンジェリークは心得顔で受け流す。

「私があなたの嫌がるアポを入れるわけないでしょ。……お友達よ、私の」

それ以上言わない彼女を不思議そうに見やった青年は、ほどなく指をパチンと鳴らした。

「わかった。お嬢か!」

アンジェリークの受けた試験に協力し、もうひとりの女王候補とも馴染みである彼は、彼女のことを『お嬢』と呼ぶ。

「ええ、様子見にって。試験以来会ってないから二つ返事でOKしちゃった」
「そーかそーか、あのお嬢がなぁ。自分の創った宇宙の研究は順調に進んどるんかいな」
「きっとうまくいってるんじゃない? あのレイチェルだもの」

負の感情のない明るいアンジェリークの声が弾むのを感じて、青年は思わず頬をゆるませた。
試験が始まった頃は何やかやでケンカしとったのに、ずいぶん仲良うなったもんやな。
もともと似たところのある二人だ。試験を通して育まれた友情は、以後も変わらず保たれているらしかった。

「そろそろ着く頃よ。就業時間中だから、表向きは研究院からの…使いって、……言って………」
「んな気ィ遣わんでもええのになぁ、アンジェ。……アンジェリーク?」

ふと一点を見つめて黙り込んだ少女に気付き、振り返る。

「どしたんや。気分でも悪いんか?」
「う、ううん。なんでもない!」

言われて、はいそうですかときく相手ではない。

「なんでもないって、あんまり顔色が良うないぞ。疲れたんなら隣の仮眠室使うてもええから、ほら!」
「だいじょうぶだって……あ………」

手を引かれて立ち上がったとたん、視界がぐらりと揺れて目の焦点が合わなくなった。
まずい、と思ったときにはすでに遅く、意識が一気に暗転する。

「アンジェ? どうし………」

驚く青年の腕に身をあずけて、アンジェリークはぱたりと意識を失った。

 

◇     ◇     ◇

 

「…………………ア、ア、アンジェリークっっ!!?
 どしたんやっ、気分悪いんかっ!?苦しいんかオイ、返事せぇっ!! 」

気絶している人間に返事しろもないものだが、とにかく青年はパニック状態に陥っていた。

「アンジェリークぅぅぅぅ!!し、死んだらあかんぞぉーっっ!」

半分涙声になりながらきょろきょろと辺りを見廻す。
と、その時、ノックの音がして社長室のドアが開かれた。

「失礼します。王立研究院からのお客様がおみえになりました」
「なぁによー、騒がしいなぁ。ココっていつもこんなー……、あれ?どうかしたの?」

案内されてきた少女が、倒れているアンジェと彼女を抱いたままオロオロしている青年に問う。

「きゃあっ! アンジェリーク様っ!? 」
「…そ、そや、 はよ医者を呼べ! アンジェリークが倒れたんや!」

我に返って指示を与えると、秘書はあわてて飛び出していった。

「倒れたぁ!? 全くこのコってば、まぁたムチャやってんじゃないでしょーね。
 ……ほら、とりあえずソファにでも連れてきなよ」

よっぽど落ち着いた態度でアンジェを運ばせた彼女は、きゅうくつな襟元を少しゆるめて上から毛布を掛けた。

「これでよし、と。多分すぐに目が覚めるよ、貧血か何かじゃないの?」
「ほ、ほんまやなっ!? ほんまに大事ないんかっ!??」
「知らないってば。もーすぐ医者が来るんでしょ、とにかく落ちつきなって」
「アンジェリーク〜、大丈夫なんか〜(泣)」
「………はぁ………」

置いてけぼりにされた仔犬のような目で不安がる青年に、レイチェルは深くため息をついた。

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