次に俺がそのドアを開けたのは、5時間後のことだった。 
本当は、営業時間はあと3時間ほどあったのだけれど。 
裏の部屋で彼女が眠っていると思うと、仕事にも身が入らず、早々に早仕舞いしてしまったのだ。 
「よ…っと」 
荷物を持った手で鍵を開ける。荷物の中身はサンドイッチとミルクティー。彼女が起きていたら、腹を空かせているのではないかと思って用意した。 
だけど。 
「……よく寝るなぁ……」 
少しあきれてしまう声。 
俺が出て行ったときそのままに、彼女はベッドで熟睡していた。 
すぴすぴと、倖せそうな寝息を立てて。 
少し埃っぽい毛布にくるまれて。 
 
荷物をサイドテーブルに置き、ベッドに近づく。 
 と。 
床やベッドの端に、服が脱ぎ捨てられているのが目に入った。 
「…………」 
どうやら、寝ている間に脱いでしまったらしい。靴、スカート、ブラウス、ジャケット。寝にくかったのだろう、ご丁寧にバレッタまで外されて床に落ちている。 
「全く、無防備すぎる。……」 
なんとなく、親友のような口調が出てしまい、俺は頭を振って服を拾い集めた。 
ざっとまとめて、それもサイドテーブルに置いた後。 
ギシッとベッドを軋ませて、彼女の顔の近くに腰掛け、その頬に唇を近づけた。 
「……抱いちまうぞ?おい」 
囁くように言って、わずかに頬に触れると。 
ピクリ、とその体が動き。 
一瞬眉をひそめた彼女が、またふわっと微笑う。 
その笑顔の穢れのなさを見て、俺の胸がざわめいた。 
 
無防備だからこそ、簡単には近づけないオーラをまとって、彼女は倖せそうに眠っている。 
それでいいか、と俺は思う。 
俺がここにいて、俺の傍で、彼女は眠る。 
それだけで、いいかもしれない。 
 
俺は独りで寝るときのように服を脱ぐと、毛布を取ってしまわないように気を付けて彼女の隣にもぐりこんだ。 
そっと抱きしめると、暖まった体がまるで真綿を抱いているようで心地良い。 
抱き枕ってこんな感じかな、と思いながら、俺は目を閉じた。 
 
 
「……眠っちゃうの?」 
 
 
静かな部屋に、突然響く声。 
俺はバチッと目を開けて、腕の中を見下ろした。 
「起きてたのか?」 
「うん…今。私、ねちゃったんだね」 
「そりゃもう、ぐうぐういびきかいてたよ」 
「嘘!?」 
「うそうそ。……家には奈津実ちゃんから連絡してもらったからね。上手くやってくれるでしょ」 
奈津実ちゃんは、『俺の所に泊まらせるから』という一言だけで、詳しく事情を聞くことなく了解してくれた。 
おそらくこういうことに慣れているだろうな、と俺が睨んだ通り。 
きっと、何もかも首尾良く手配してくれているだろう。 
 
彼女はふと目を伏せた。 
「……なつみんの番号、知ってたの?」 
「ん?ああ。初めに来たとき、ちょっとね」 
「……ふーん」 
やっぱり分かりやすい、彼女の態度。 
「おいおい。あの時はまだ……」 
「まだ?」 
大きな瞳が、俺を見上げる。 
後ろめたい事はないけれど。何故か、罪悪感を誘う目。 
それが見えないように、俺は彼女の頭に顎を乗せた。 
 
「……こんなに囚われるなんて、思ってもみなかった」 
「えっ?」 
半分口の中で呟いた台詞は、彼女の知覚以下であったらしい。 
らしくない台詞が恥ずかしくなって、俺はぽんぽんと彼女の頭をなぜた。 
彼女はしばらく沈黙した後、もそもそと体を動かし、俺にぴったりと寄り添ってきた。 
「こらこら。あんまり近寄るんじゃないよ」 
笑いながら、額を押し返す。 
半裸の彼女の肌が触れるたび、理性が効かなくなりかけているというのに。 
「どうして?」 
「どうしてって……」 
俺は少しためらった後、からかいを含ませて言った。 
「俺だって、一応男なんだからさ。みゆうちゃんには……」 
分からないかもしれないけど、と言いかけて。 
俺は言葉を失った。 
 
彼女が背伸びをして、柔らかい唇が俺の唇を塞いだから。 
あれだけ、うじうじと悩んでいた俺の心の壁を。 
彼女は、あっさりと乗り越えてしまった。 
 
「…………みゆうちゃん。どうして……」 
「水結」 
「え?」 
「水結って、呼んでください」 
言って、もう一度見上げた彼女の瞳は、泣いたように潤んでいて。 
胸を突かれた俺に、彼女はゆっくりと答えた。 
「義人さんに……私をずっと、捕まえていてほしいから」 
静かに笑って、答えられない俺にもう一度くちづける。 
「あなたを、誰にも渡したくないから。私であなたを縛りたいの」 
 
 
「………まいったな」 
小さくため息をつく。 
この子がこうなのは、あの時の零一の想いを知らないからだろうけど。 
きっと、それだけじゃない。 
彼女が、18歳の女の子の純粋さ、言い換えれば遠慮のなさで、俺を求めてくれているのが分かった。 
 
俺は、一呼吸のあいだ目を閉じると、跳ねるように体を起こし、強引に彼女の唇を奪った。 
「ん……!」 
呼吸を途絶えさせられて、彼女の表情が苦しそうに歪む。 
そんな姿をゆるりと眺めながら、ようやく俺は唇を離し、咳き込む彼女に囁いた。 
「 抱くぞ」 
喉元に当てている手を、強引に頭上で固定する。 
「いいのか?」 
至近距離で見つめる彼女の瞳が、俺に出した条件。 
俺は、聞こえるか聞こえないかのかすかな声で彼女を呼んだ。 
 
 
「………水結」 
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