|   暖簾に腕押し、の諺を実感する機会は最近、格段に増えた。 
 
 
 
「花火大会……?ですか?」 
 
問い返しながら、少女はカップに紅茶を注いだ。 
注意深く色を確かめながらソーサーにセットし、彼の前に置く。 
 
「ああ、ありがとう」 
 
誘われたことよりも、紅茶の味の方に気持ちが行っている彼女に苦笑して、天之橋はそれに口を付けた。 
うん、と頷くと、少女は嬉しそうに微笑む。 
その満足感に押されるようにして。 
 
「はばたき市の花火大会は、近隣でも有名でね」 
「聞いたことはあります。すごくたくさん花火が上がるんでしょう?」 
「そうだね。二万発くらいは上がるんじゃないのかな?行ったことがあるかい?」 
「中学の友人が行ってましたから話は聞きましたけど……行ったことは、ないです」 
「なら、一度行ってみないかね?損はしないと思うよ」 
「ええと……」 
 
困ったような顔をして、少女は少しだけ視線を外した。 
しばらく迷った後、もう何度も返したことがある返事を返してみる。 
 
「お仕事がありますから。私だけ遊んでいる訳にはいきません」 
 
それに対する答えも、何度も聞いたものだった。 
 
「別に君だけ遊ばせるつもりはないよ。ただ、このはばたき市という所をよく知って欲しいからね。 
 君以外の者は皆、はばたき市に住んで長いから……ただそれだけだよ」 
 
満面の笑みを浮かべてそう言われて、答えにつまる。 
 
いつもそうだった。ショッピングやドライブなどはまだ、荷物持ちとかナビとかそういう役目があるのかと思えたが(そしてそんな役目はまだ一度もしたことがないが)、映画やコンサートに至っては使用人を連れて行く必然性はまったくない。 
なのに、彼はかなりの頻度で彼女を誘う。それが善意であることも分かっているが、彼女としては少しだけため息をつきたくなる状況だった。 
例えて言えば、社長に気に入られている一社員のように、身の置き所に困るのだ。別に他の使用人が文句を言ってくる訳でもなく、寧ろ『旦那様の我が儘に付き合うのは大変だろう』というニュアンスの笑顔をかけてくれることもあるのだけれど、これは他人にどう思われるかというよりも自分がどう感じるかという問題だった。 
 
「ああ、もし他に用があったり私と行くのが嫌なら勿論、無理にとは言わないが」 
 
重ねてそんなことを言われ、少女はつい本当にため息を漏らした。 
 
「……お仕事があるのに用があるわけないじゃないですか。そんな仰りようは、ずるいです」 
「はは、すまない。けれど、君は夏休みの間ずっと仕事をするというが、本来なら休日だからね。 
 学校の友達にも誘われてるんじゃないのかね?」 
「いえ……」 
 
確かに、誘われたのは誘われた。そして、普段学校に行っている分を取り戻すために休みを取らないと言っているのは自分の方だから、日曜の一日くらい時間が取れない訳でもなかった。 
けれど。 
 
「お仕事をするつもりだったので、断りました」 
 
そう言うと、天之橋は何故か嬉しそうに肩をすくめた。 
 
「それは、私のために空けておいてくれたということかな」 
「ち、違います!」 
「私と行くのは嫌かね?」 
「それはっ……」 
 
さっき上手く誤魔化したと思ったことを、誤魔化せていなかったのだと悟って、またため息が洩れた。 
そんな少女を見て、くすくすと笑いながら。 
 
「本当に、嫌なら無理は言わないよ。君は有能だから仕事をして欲しくない訳でもない。 
 けれど、嫌でないなら……」 
「……ないなら?」 
 
思わず訊くと、天之橋は椅子を軋ませて背もたれに背を預け、傍に立っている彼女の髪にするりと手を伸ばした。 
 
「日曜日、付き合ってくれるのが仕事だと思ってくれれば良いよ。君以外にはできない仕事だ」 
「……………」 
「付き合ってくれるかい?」 
「……………」 
 
みたび、ため息をついて。 
少女は子供のように期待を込めた瞳で自分を見上げている彼を見返した。 
 
 つまり彼は、親切にしたり喜ばせたりすることが楽しいのであって。 
使用人としてそれを甘受できませんと断ることは不可能なのだろう。 
楽しくないから、という理由なら断ることができるかもしれないけれど、雇用主に対して嘘を言うのはよくないし。 
 
そこまで考えて、楽しくないのが嘘だと思う自分の内心に苦笑しながら、少女は小さく頷いてみせた。 
 
「分かりました。お供します」 
 
それを聞いて、本当に嬉しそうに頷き返す彼に、確かに相手を喜ばせるのは楽しいかもしれないと思いながら。 
更に続く? 
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