|  ここから見える海を、見せてやりたいと思ってた。朝焼けも、夕焼けも、日差しに煌めく波も。
 見とれるおまえに、何ヶ月もかけて編み出した、店にも出してないスペシャルブレンドを飲ませて。
 優しくキスをして。
 それでおまえが笑ってくれる。
 そんな夢なら何度となく見た。
 
 俺がいなきゃ、見て笑ってくれるのかな。
 
 「爺さんウルセーからコーヒーいれて来てやる。飲んだら帰れよ」
 
 
  現実はこうだ。 好きになってくれなんて言えない。
 片想いでも構わない。
 ただ、彼女を傷つけることさえ無ければいいと思う。
 
 「瑛くん、眼鏡とコンタクト代の分お店手伝うよ。…あの、あんまり役に立たないと思うけど、買い物とか洗い物とか…私に出来ることなら何でもするから」
 
 自分がそばにいなければ。
 話すことも近づくこともなければ。
 その分彼女が傷つかなくて済むのはずっと前から分かってる。
 
 「………じゃあ一回ヤらせろよ」
 
 どうせ店も彼女も、大切なものは何もかも、自分のものにはならないのだから。
 二年もオトモダチしてりゃ嫌でも分かる。
 彼女が誰の話をする時に幸せそうに笑うのか。
 俺にビンタ喰らわすなり、逃げるなりしてアイツに泣きつけばいい。
 一歩踏み込むと、窓際の彼女が不思議そうに俺を見た。
 
 「………それは
  瑛くんにできないこと、だよ」 「………っっ…はは、ナメられてんな、俺」
 
 狂気と衝動が体を動かしかけた時。
 彼女が自分をまっすぐ見て、言った。
 
 「………何か悲しいことがあったの?」
 
 夕日の色に染まりつつある海を背に。
 遠い記憶の中、幼かった自分が泣いている彼女に同じことを問いかけた。
 あの時も、夕日の海だった。
 
 歩み寄る自分を避けもせずに。
 じっと目を逸らさずに。
 手を伸ばしても、澄んだ瞳を恐怖の色に変えることもなく。
 彼女は、そこに居た。
 
 「…………後ろ、向いて」
 
 情けない声。
 素直に見せる小さな背中。
 ベッドが俺の重みで軋む音。
 
 「…………ダメなんだ。親が俺の大学進学をダシにして、爺さんを説得してる。この店、俺なしでやってけるほど爺さん丈夫じゃないの、知ってて……」
 
 そっと背中に頭を預けた。
 壊さないように。
 
 情けなくてもいい。
 揺れる声も隠さない。
 ただ、彼女を傷つけることがないように。
 本当に、そっと。
 
 「珊瑚礁は……多分、もうすぐ終わる………爺さんの、俺の大切なものは」
 「失くならないよ。」
 
 彼女の毅然とした声。
 すぐ傍で。
 こんなに近くで。
 
 「……ちょっとお休みするかもしれないけど、絶対失くならない。……私たちはいつまでも何もできない子供でいるわけじゃないよ」
 「…………っっ…」
 「今だって、私だって。道に迷って泣くしか出来なかった……あの頃とは違うよ」
 
 驚いて顔を上げた俺が見たのは。
 瞳に懐かしい風景を映す彼女。
 あの日物語の人魚だと思った、夕日に照らされた横顔。
 
 
  自分のものにならなくてもいいんだ。 
  ただ彼女が傷つくことがないように。 
 偽善じゃなくて。
 悔し紛れでもなくて。
 今の俺は、彼女がアイツの傍で笑うことを素直に喜べる。
 
 神様。
 一度だけ祈るよ。
 ひとつだけでいいから叶えてよ。
 俺に、彼女を傷つけない手をください。
 
 
  そしたら一人で泣くことがないように、ずっと俺が見てるから。   おわり  |